【映画】「BPM ビート・パー・ミニット」感想・レビュー・解説

何か変えなければならないことがある場合、「何もしない人間」と「暴力的な行動を含む活動をする人間」とでは、どちらの方がよりダメだろうか?
みたいなことを考える。

これまでも、世の中の色んなことを変えるために、戦ってきた人たちがいる。でも、僕はどうしても、そこに暴力的な行動が含まれてしまうと、ちょっと引いてしまう。仮に、その活動によって、素晴らしい達成が短い期間でなされたとしても、その過程にはやはり、暴力的な行動が含まれていてほしくない、と思ってしまう。

まあそれはきっと、あまりにも理想主義的な発想なのだとは思うのだけど。

僕は別に、異なる価値観の人間でも話し合えば必ず分かり合えると思っているわけでもないし、暴力的な行動による被害よりもそれによる達成から生まれる成果の方が圧倒的に多いのであれば、価値を認めざるを得ないと感じることもあると思う。けど、僕はやはり、恥じ入るべきだ、とは思っている。仮に暴力的な行動によって素晴らしい達成が得られたとしても、それを成した者はその成果を恥じるべきだ、と。

この映画のことを非難しているのではなく、一般論だが、やはり暴力的な行動による達成を美談にしてはいけない、と僕は感じてしまう。

内容に入ろうと思います。
「アクトアップ」とは、1989年にNYで発足したエイズ患者の権利を守るためのゲイコミュニティだ。それは世界中に広まり、パリでも生まれた。
「アクトアップ=パリ」に所属するショーンは、会の発足メンバーの一人だ。会をまとめるリーダー的存在とは頻繁に意見が対立する。「アクトアップ=パリ」は、様々な活動をしており、内部に多くの委員会を持っている。無策な政府をあげつらうような抗議行動もすれば、製薬会社との折衝もする。
「アクトアップ=パリ」に入ったナタンは、活動を通じてショーンに惹かれていく。エイズは確実にショーンの身体を蝕んでいく。エイズ患者を取り巻く環境は、遅々として進まない…。
というような話です。

調べてはいませんが、恐らくこの「アクトアップ」という団体は、実際に存在したんだろうと思います(と判断したのは、映画の中で、当時の実際の映像らしきものが流れたからです)。確かに日本でも、エイズが社会問題になってた時期があって、恐らくそれぐらいのタイミングの話なんだろう、と思いました。

映画を見ていて僕が感じたことは、やはり冒頭で書いたように、暴力的な行動によって何かを変えようとすることの難しさでした。映画自体は決して、アクトアップの活動を賛美するような内容ではなくて、時代や政治に翻弄されながらも、抗えない宿命と戦う若者たちを描いているのだけど、なんとなく僕はアクトアップのやり方に違和感を持ってしまったし、共感しにくいなぁ、と感じました。当時の社会状況の中で、エイズ患者にはあまり選択肢は多くなかったかもしれないけど(実際に映画の中でそういう発言もあった)、それでも僕は、この会には入りたくないなぁ、と思ってしまいました。


で、きっとそのアクトアップの活動になかなか共感できなかったからこそ、映画全体にもなかなかうまく入り込めなかったのかな、という感じがしました。映画の性質上、アクトアップの活動と、その中で活動する彼らの話を分離しては捉えられないので。別に僕は、共感できない作品は良くない、などと言いたいわけではないのだけど、自分の中でうまく、彼らの物語を追おう、という感覚になれなかったなと思いました。

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