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【本】宇佐美まこと「夜の声を聴く」感想・レビュー・解説

昔のことは、ほとんど覚えていない。小中高大学時代のことはほぼ記憶にないし、20代の記憶も怪しい。間違い探しみたいな頻度で、ところどころ記憶が妙に鮮明な箇所はあったりするんだけど、37年間、ちゃんと生きてきたのか怪しいぐらい、僕には覚えていることがほとんどない。

だから、これまでの積み重ねが今の自分になっている、という感覚からはぐれやすい。いつだって僕には、気がつくと、今の僕しかいなかったような、そんな気分になる。

【いい?過去のことをいつまでもぐちゃぐちゃ言えるのは、今が幸せだからだよ】

あの時ああしてればとか、あそこでああしなければ、なんて思考にもほとんどならない。過去のことについて考えても、変えられるわけはないし、無駄だなぁ、と思うからだ。

タイムマシンで過去に戻れるとしたらいつに戻りたい?という質問に、いつも僕は、「戻りたい過去なんかない」と答える。具体的に覚えていないまでも、子供の頃は、今より全然しんどかった。大人になればなるほど、僕は少しずつ自由になれている感覚がある。だから、過去には戻りたくない。

けど。

もし自分が、他人を殺すような行為をしていたらどうだろうな、と思う。やはりそれでも、「あそこでああしなければ」とか、「戻りたい過去はない」といえるだろうか?そう考えると、過去についてごちゃごちゃ考えずに済んでいることもまた、今が幸せということになるのかもしれない。

内容に入ろうと思います。


堤隆太は、16年ぶりにここ春延市に戻ってきた。もう取り壊されているものだと思っていた、かつて「月世界」だった建物も、まだ残っていた。荒んでいた隆太が、その後の人生を大きく変えることになるこの「月世界」にやってきたのは、ある日公園でリストカットをする女性を見かけたことが始まりだった。


非常に優秀で将来を嘱望されていた隆太は、しかし学校という環境に馴染めず、また、知識欲が貪欲であるが故に学校教育などさっさと飛び越えてしまった彼には、学校で学ぶべきこともまたなかった。中学生の時に学校へ行くことをやめた隆太は、公園で手首を切る女性を見かけることになる。目撃者の誤解から、その女性を切りつけた犯人と目され警察署に連行された隆太だったが、すぐに誤解も解けた。そして、リストカットをした当の女性、加島百合子に会いに行くことにした。死に魅入られている、自分と同類だと感じたからだ。


彼女が、春延高校の定時制に通っているという話を聞き、ぶらぶらしていた彼はその定時制高校に入学することに決める。初めこそ、人付き合いなどまったく出来なかった隆太だったが、重松大吾と仲良くなったことをきっかけに、少しずつ世界を広げていけるようになった。


その大吾が住み込みで働いているのが、「月世界」という名前のリサイクルショップ兼便利屋である。表の看板に「なんでも売ります。買います。よろず相談承ります」と書いてある。「月世界」という名前は、その建物の前身であるダンスホールの名前をそのまま拝借したという。社長は野口タカエという、気難しい70代の女性で、大吾はタカエから日々小言を言われながら、何故かずっとここにいる。事情があるらしく、16歳にして自活しなければならない彼にとって、住み込みで働けるのが良いんだと言うが、どうも釈然としない。


大吾と仲良くなったことで、「月世界」に入り浸るようになった隆太は、時々「月世界」に持ち込まれるちょっとした相談事を、大吾と一緒に解決するようになっていった。パチもんの仏像を売りにやってきた製材屋の男が、副業で飼っていたカブトムシが全滅したと相談にくる。地元の名家である倉本家のご婦人から、「タヌキが化かしにくる」という病床の夫の謎を解いて欲しいと相談にくる。また、離婚によって離れ離れになった姉妹と、「月世界」に売られてきた絵がきっかけで関わることになったりもする。そんな、忙しくも穏やかな日々を過ごし、すっかり人付き合いのリハビリが出来た隆太だったが、やがて思いもしなかったある事実を知ることになり…。


というような話です。

上記の内容紹介は、実際には本書の内容を言い表せていません。正確に言えば、上記の内容紹介は、本書の前半部に関するものです。この物語は、中盤のある時点で、様相がガラリと変わる。その臨界点を超えた瞬間に、今まで見えていた景色がまったく違った風に映るようになるのだ。しかし、その後半部に関して、触れるわけにはいかない。

本書を読みながら、これは一体どういう物語なんだろう?という疑問がずっとついて回った。臨界点を迎えるまでは、「隆太が便利屋で働く気の合う友人を見つけ、彼の手伝いをして謎解きをしている」というだけの物語で、決してつまらないわけではないのだけど、特別どうという感じのしない物語だと思っていた。で、物語の半分以上、こんな感じで進んできたということは、きっとこういう感じで最後まで行くんだろう、なんて思いながら読んでいた。

しかし、その臨界点を迎えてから、それまでまったく見えていなかった新たなルートが提示されることになる。しかしそのルートは、物語として着地させるにはなかなかハードなルートだと感じた。そのルートを通るということは、目前に突如現れた新たな謎を、最終ページまでに解き明かさないといけないことになるが、納得の行く形でそんな芸当が出来るとは思えなかったからだ。

どう決着させるつもりなんだろう、と思いながら読んでいくと、なるほどそんな風に着地しますか、というような展開になる。無理だろうと思われたことが、なかなかキレイに収まってしまったのだ。かなりうまく展開させるものだなぁ、と思った。

後半部について触れるわけにはいかないので、ぼやぼやっとした話しか出来ないが、全体を読んだ感想はこんな感じだ。

「過去」と簡単に呼ぶにはしんどすぎるような過去を背負わされた者たちの止まってしまった時間が、期せずして動き出していく展開は面白いし、その「期せずして」の中心になってしまう隆太は、自分がその時間を動かしてしまうことで安寧の場を失うことにもなってしまう。ずっと同じ関係性が続くわけがない、と思いつつ、人間関係のリハビリ中だった隆太にしてみればなかなかハードだっただろう。色んな意味で傷ついた者たちが少しずつ関わり、思いもよらないところで大きな絵が描き出されていく過程はスマートな感じがするし、その過程が、隆太のリハビリの過程と歩調を同じくしているような構成もいいなと思う。

ただやはり、本書の欠点は、その臨界点にたどり着くまでの物語だ。先程も書いたが、つまらないわけじゃないけど、特にこれという感じがあるわけでもない。中盤以降に臨界点があり、そこを越えると景色が様変わりする、ということを知らなかったら、途中で読むのを止める人がいないとも限らないと思う。

「月世界」に持ち込まれる相談事が、小説の中で描かれるにしてはショボい、という点もその印象を強くする。このショボさは、最後まで読むと、「なるほど、ショボいと思ってた謎のそれぞれが、こんな風に繋がるのか」という考えに変わるが、それを知らなければ、謎のショボさが際立って受け取られるかもしれない、と思う。そこがちょっともったいないなぁ、と感じる。

もちろん、隆太や大吾を始め、魅力的なキャラクターはたくさん出てくるし、ショボいからこそ小説では普通登場しないような謎や相談は、逆に新鮮かもしれないとも思うのだけど。

とにかく、中盤以降に臨界点が来ることを理解して本書を読んでほしいと思う。


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