【映画】「マルジェラが語る”マルタン・マルジェラ”」感想・レビュー・解説
「マルタン・マルジェラ」という名前を、この映画で初めて知ったというぐらい、ファッションにまったく知識も興味もない人間だが、この映画はなかなかおもしろかった。
以前、現代アートに関する入門書を読んだ際、「デュシャンの『泉』がなぜ評価されているのか」という説明が書かれていた。
デュシャンの「泉」というのは、便器にサインが書かれているだけの代物だ。しかしこれが、「20世紀を代表する作品」と評価されているという。
はっきり言って、意味不明だ。
しかしその入門書には、「それまでの美術界の『常識』を破壊し、問いを投げかけたから」というような説明がなされていた(具体的には覚えていないが)。
つまり、「デュシャンの『泉』」は、「問題提起」として価値がある、ということなのだ。
いずれにしても、アートにもファッションにも詳しくないが、ファッションの世界も同じだろうとこの映画を観て感じた。
僕のようなファッション音痴が観ても、マルジェラがやっていることは「斬新だ」と感じる。
デビューショーでは、モデルの顔を隠す。東京に訪れた際に見た「足袋姿の作業員」にインスピレーションを得てブーツを作る。モデルに色付きの氷のジュエリーをつけさせ、ウォーキング中に氷が溶けることで服の色が徐々に変わっていく。決して治安が良さそうではない地区の子供の遊び場でショーを行い、モデルが住民の子どもを肩車しながらウォーキングする。レジ袋でトップスを作る。
あぁ、これは凄いなぁ、と思う。僕のようなド素人にもその凄さが伝わるようなことをやりつつ、同業者や批評家からの評価もものすごいのだ。
映画には様々な人物が登場し、マルジェラの凄さを語る。その一部を抜き出してみよう。
『ファッション業界最後の革命児』
『ショーも思想も時代を大きく先取りしている』
『19世紀まで遡っても10本の指に入るデザイナー』
『誰も喜ばせようとしないからこそ喜ばれた』
『マルジェラは人が映える服を作る』
『異質でモダン』
『他の服が全部古く見えるくらい』
『モードの革命児。今も新しい』
それらの称賛の中でも、映画のラストの方で登場人物によるこんな言葉が一番印象的だった。
『マルジェラはこれまでの30年間ファッション界をリードし続けた。
そして(引退後の)20年もまだリードしている。
50年もファッション界の先頭に立っているなんて偉大だ』
マルジェラは2008年、自身の名を冠したブランド「メゾン・マルタン・マルジェラ」の20周年を迎えた年に、デザイナーを引退した。しかし引退後の20年もマルジェラがファッション界をリードするというのだ。
ちょっと尋常ではない評価だろう。
2018年、ガリエラ美術館でマルジェラの全作品の回顧展が開かれ、大勢の人々が訪れた。この回顧展についてマルジェラは「嬉しかった」という言葉に続けて、こんな言い方をしていた。
『ファッション界は速い。あっという間に有名になり、忘れられていく。
だから、10年後も注目してもらえるとはまさか思っていなかった』
マルジェラの特異さにまだ触れていなかった。彼は、一切の顔出しをしていない人物なのだ。この映画でも、マルジェラの音声は聞こえるし、手ぐらいは映る。しかし顔は出ない。
それでも、写真はおろかインタビューさえ一切受けてこなかった人物なのだから、この映画で「本人の肉声」が流れるだけでも恐ろしく貴重なのだ。
『有名人になりたくない。匿名でいたいんだ。
みんなと同じだと思えるとバランスが保てる』
『僕の名前は、作品と共に記憶されていてほしい』
彼は、「自分を守るための選択(=顔を出さないこと)を後悔したこともある」と語ってもいたし、「顔を出さずに名を成すのは本当に難しい」とも言っていたが、結果として、デザイナーが表に出なかったことは、成功だったと言っていいだろう。
ある人物は、マルジェラが表に出ないと決めたきっかけが、「子どもの遊び場で行ったショー」にあったのではないか、と語っていた。大いに盛り上がったショーではあったが、やってきた観客の半数は「ポカーンとしていた」というし、ショーの後で「こき下ろす人もいた」からだ。そのことで傷ついた彼は、顔を出さないと決めたのではないかと言っていた。
マルジェラ自身は、こんな風に語っていた。
『自分の仕事について語るのが苦手な自分に気づくようになった。
取材がダメというよりは、自分の作品について語るのが嫌いなのだ、と。
作品は、自由に感じたままに受け取ってほしい』
ある人物も、マルジェラのショーについてこんな風に語っていた。
『だからマルジェラのショーは、ある意味で”親切”と言えるわね。
見た人が自分で考えるように促してくれるから』
そんなマルジェラの考え方は、服だけではなくモデルにも及ぶ。
初めて一般人をモデルに仕立てたのはマルジェラだったという。ストリートでモデルをスカウトした際、「歩き方は?」と聞かれ、「そのままで完璧」と答えたという。
また、女性に「知的さ」を求めたのもマルジェラの特徴だったそうだ。ファッション界では、女性にはある種の「色気」が求められがちだが、マルジェラは「働く女性」「自身の女性としての魅力を気にしない女性」をモデルとして求めたという。
またモデルからもこんな証言があった。
『マルジェラの手が好き。
(デザイナーの中には)人によって触ってほしくない人もいるけど、
マルジェラは私たちをマネキンではなく人間として扱ってくれた。』
マルジェラのスタンスを「唯一無二」と評したある人物は、彼の凄さをこんな風に語っていた。
『マルジェラはカウンターカルチャーだから唯一無二なんだ。
カウンターカルチャーって、汚いものも美しくないものも取り込んでいく。
それらが舞台上で光り輝いたりするんだ』
引退直前のショーで、「いつもやってるやり方を続けてるだけだから飽きてきた」と言って、これまでとは違ったことをやろうとする。それで白いスーツを作るのだが、彼自身が「こんなのマルジェラじゃない」と考え、パンツの後ろに「アイロンの跡」をつけることにしたという。なんちゅう発想だ。
『いつでも自分を追い込んでいた。
発想を求めて追い込むのが好きだった』
想像以上にキツイ仕事だ、と語っていた。
ある人物はこんな風に言う。
『「発想の転換」という言葉が、彼の作品を見る度に何度も思い浮かぶ。誰もやらないことをやろうとする勇気が凄まじい』
マルジェラは、コンサルタントとして様々なブランドにデザインを提供する機会もあった。そんなマルジェラの元に、ある時エルメスから依頼がくる。マルジェラは即答する。
新聞では様々な表現で、このコラボを”評価しなかった”。ある新聞は露骨に、「神の元に悪魔」という見出しをつけた。
エルメスのトップとマルジェラはすぐに意気投合した。そしてマルジェラは、エルメスのデザインの本質をすぐに見抜き、「ずっとそこにあったかのようなアイテム」が生まれた。マルジェラは、エルメスの店内でショーを行うことを提案し、マルジェラがデザインしたシンプルな服を着たモデルが歩く。
それを見た多くの人が「はぁ?」という反応を示したという。「本気の苛立ち」を感じたという。「こんなことのためにマルジェラを雇ったの?」という反応もあったという。
マルジェラは、
『シンプルが退屈だと受け取られたんだ』
と語る。
しかし、
『新しいものが定着するには時間が掛かる。
新しい挑戦の始まりだと思っている』
そんな彼は、何故デザイナーを引退したのか?
理由の1つは、自分が立ち上げたブランドが買収されたことがきっかけだ。マルジェラと同じく0からブランドを立ち上げた人物に出資してもらったのだが、買収後は、マーケティング部門がデザインのコンセプトを提示したり、コンセプトを表す言葉も変更させられたりしたという。
また、こんなことも言っていた。
『私は創るのが本分だ。
アシスタントに指示を出すディレクターではない』
もう1つの理由は、ショーがネット配信されるようになったことだ。
『現場のサプライズが生み出すエネルギーが失われるように感じた。
すべてがインターネットに出回ってしまうと、どんどん悲しい気分になってくる』
彼は今、ファッションに限らない創作を自由に行っているようだ。好きな時に好きなことが出来ると楽しんでいるようだ。
まったく知らない存在についての映画だったが、やはり「新しいものを生み出す人物」の生き様は興味深いと感じるし、「表舞台に出ない」という特異なスタンスを含めて、伝説的だと言える存在の語りは非常に面白かった。