見出し画像

少し前の思慮

少し前に考えていたトピックを整理しないまま、
下書きのままで止まっていたnoteがあったので、
書き終えてみた。

代替できるものとできないもの

友人の職場での悩みを聞いていた時だった。
・組織の統率が取れていなくてコミュニケーションが難しい
・思考や言葉のレベルが違いすぎる人たちと合わない
・役職と求められる労働の責任が乖離している
・集団心理が難しい

「辞めればいいのでは」

と誰もが思うような感じではあったのだが、
実際友人はその環境で頑張ろうとしていた。

「やっぱり辞めればいいのでは?!」

とは思いつつ、というかそういうように見えるよという話はした前提で
色々聞いてみた。

「仕事」に関する悩みの中に、幾つもの要素があるように見えた。

・合理化された組織の仕組みが実態に即してない
・人間関係の精神的負荷
・ライフプランやそれに伴う金銭的不安

友人曰く、その困難も人生の糧にするという。

「それって今の職場でないと手に入らないの?」

人間関係や、組織対自分における困難を経験しようと思ったら、
そういう環境はきっとめちゃくちゃあるし、
お金が気になるのであれば、
お金を稼げる仕事に転職する

機能だけで捉えると、全て代替可能なようにも見える。
でも、それでも職場に執着してしまう理由は、究極

負けず嫌い

ということだった。
なんて自分のための理由。
思わず笑ってしまうすがすがしい理由。

でも私自身も負けず嫌いな性分ではあるので、すごく共感できた。

だから総じて友人は、自分のために、自分の選択で職場に残っている。
ということがわかった。
自分のために頑張っている友人を、応援したい。

わかりあえないことから

・思考や言葉のレベルが違いすぎる人たちと合わない

『わかりあえないことから』

がよぎる。
そう、私たちはわかりあえないから、言葉を交わす中で寄り添うのである。

最近見ている、家族系youtuberの子供の癇癪動画を見ている時だった。
「小さい子は、何が嫌で、どうして欲しくて嫌な気持ちになってるのかっていうのがわからないから、叫ぶしかないんだよね」
感情に、事象に名前がついてない、つけられないから、親になんとか拾ってくれのギャン泣き。

でもこういうことって往々にあるというか、

「むかつく」「だるい」「うざい」の言葉で
事象と、それに伴う自分の感情と、それに対して相手にどうして欲しいのか
の全てを伝える人はいる。
というかそういう人ってかなりの数いるんじゃないかと思う。

そういう人の中には、自分が言葉にできないことがわかっているからこそ、
相手が寄り添って解説しすぎてしまうと、軽い劣等感などを感じて不快に思うこともあるそうで。(by パートナー)

高校大学に行くと、ある程度「偏差値」というレベル分けのおかげで、
圧倒的に合わない人とはだんだん合わなくなっていくものである。
だけれど、「働く」ことに伴って、再び交わることはある。
もう軽くカルチャーショックを受けるに違いない。

私の職場はたまたま自分のレベルと合うだけで。
合わない人の方が多いはずだ。

私たちはわかりあえない

ことにすら気付けない人もいる。
そういう人たちと生きていくのは難しい。
気づいてしまった人と、気づけない人。

一緒にいる選択肢、離れる選択肢を状況によって
選ばないといけない。

他人と生きていくということはそういうことだと思うのだ。

やめる労力

まあ辞めればいいと思うけどね!と話をしていると友人が

「梢はさあ、なんで辞めてないの?」

辞める理由がないわけじゃない。

単純に、同じお金をもらえるのであれば、もっと労働時間が短く且つ管理してもらえる場所に行けばいいし
やっぱり演劇やってる人たちうらやましいし

ただ今の仕事は面白いと思っているし、
今の職場、人との関係性の中での自分の立ち位置は良いと思っているし。

そうした享受しているメリットと、辞める労力を考えると
辞める方が圧倒的に面倒くさい。

というのが私の、会社を辞めない理由だ。

あきらめるということ

私は本当にあきらめることが簡単になったと思う。
もちろんこの諦めるは手を抜くみたいなことではなくて。

あきらめることに対して、ネガティブな感覚がなくなったからだと思う。
前向きな撤退というか。

むしろ、本当にあきらめたくない時のために、
とっておくような気持ちに近い気がする。

振り返れば、私は取捨選択が好きじゃなかった。
「何かを手に入れるためには、何かを犠牲にするしかない」
という言葉が好きじゃなかった。
高校生の時、美術科であることと、演劇部であること、両方手に入れた気がしていたのだ。ただそれは無意識で捨てていたものに気づかなかっただけだ。

家で過ごす時間、高校生として休日を過ごす時間、振り返れば普通の高校生よりはずっと少なかった。

さらっとあきらめがつくようになって、
ずっと生きやすくなった。

まだわからないことも多いけれど、
少なくとも、

こういう大人になりたかった
こういう大人と一緒にいたかった

という人になりつつあるんじゃないかと思う、24歳、7月。

いいなと思ったら応援しよう!