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【文活6月号ライナーノーツ】左頬にほくろ「永い息継ぎ」
この記事は、文活マガジンをご購読している方への特典としてご用意したライナーノーツ(作品解説)です。ご購読されていない方にも一部公開しています。ぜひ作品をお読みになってから、当記事をおたのしみくださいませ。
こんにちは、左頬です。
今月もお読みくださりありがとうございます。
梅雨真っ只中、いかがお過ごしでしょうか。フィリピン付近で台風が発生した瞬間から身体が反応してしまう気圧よわよわ人間のわたしにとっては嫌な季節ですが、6月号テーマ「やすむ」の言葉通り、心安らかに過ごしたいものですね。
さて、今月のライナーノーツを当番させていただきます。
前回は執筆作品そのものを掘り下げた内容でしたが、あれから毎月文活メンバーの皆様が綴る熱のこもったライナーノーツを拝読しながら「書く」そのものについてわたしも今一度向き合ってみたく。どんな形が完成するかも分からないまま目の前のまっさらな色紙を山折りしたり谷折りしたりして、とにかく“何か”にしてみようと思いながらこれを打っています。
・書きもの=アウトプットについて
わたしの日常に存在する「書く」というカテゴリーには、月に一度掌編小説を寄稿しているこちらの文活と、ほぼ毎日何らかの呟き(主にドラマの感想)を吐き出しているTwitterとがあります。
特定して届ける相手はいないけれど、自分の胸の中で秘めたままにせず世界に向けて紙飛行機を飛ばした、という観点ではわたしにとって大小問わずどちらも同じ「書きもの」という行為です。手紙やLINEのように送り先の顔は浮かばず、かといって自己満足の一言で済むものとはまた違うそれらは、果たしてどこに、そして誰のもとに着地するものなのでしょうか。
・0→1、(1)→1
普段、小説/漫画/note/Twitterなどどんな種類でも文章全般を読んでいるときにわたしが抱く感情は大きく分けて2種類なんですね。
発見、そして、共感。
発見、とは
降って沸いた驚き、自分では到底思いもつかない、知る由もなかったようなこと、真新しいもの、新世界、遭遇、言葉にできない何か。
0→1 の「生まれる」という感情。
共感、とは
自らに内包された想い、記憶、いつかの過去、言語化はできずとも確かに存在していたもの、納得感、分かりたくないけど分かること。
(1)→1 の「名付ける」という感情。
読む、鑑賞する、書く、まとめるというインプット/アウトプットの行為において、誰しもがこの2種類の得意分野や好みをそれぞれ持つのではないかと思っているのですが、わたしはインもアウトも圧倒的に「共感」が得意で好きなタイプです。細かなジャンルでいえば、
得意:ヒューマン/恋愛/家族/日常/リアルミステリ
不得手:SF/ファンタジー/アクション/非現実ミステリ
となり、20年以上も続く唯一の趣味・テレビドラマ鑑賞でも今まで大量に観てきたはずなのに思い返せばハマった作品の雰囲気がどことなく毎回似ているのは、嗜好に偏りがありその嗜好が昔からまったく変わらない所為でした。
幼い頃大好きだったごっこ遊びでも、“家族シチュエーション”なら幾らでも思いついて延々と遊べるのに、“魔法の世界”になった途端想像力の限界がきてすぐに飽きてしまうような子供だったので、わたしは幼少時代からずっと「現実に起こったこと/起こりうること」の自然さは楽しめるが不自然さの違和感を乗り越えにくい、という少々カタめの脳をしているのだと思います。
・何が書けるのか、何が書きたいのか
「妄想癖のリアリスト」
これは、前述の経験からわたしが自分自身の視点・思考の特徴を分析した結果なのですが、つまりは妄想こそ出来るけれどそれには地続きで現実的にあり得る話か?というベースが存在しなければならない、という絶対的なマイルールがあることが分かります。
ただ、そんな中でも「発見」サイドに対する憧れの気持ちはやっぱり消えないもの。頭でっかちな自分には難しいと知っているからこそ、欲しくなるのかも知れません。
人生で一番好きな漫画『ハチミツとクローバー』に登場する主要人物5人もわたしから見れば発見タイプと共感タイプに分かれていて(ご存知ない方すみません)
発見 0→1チーム:はぐ・森田さん
共感 (1)→1チーム:竹本くん・あゆ・真山
となるのですが、中でもいちばんのリアリストが真山。みんなで遊びに出かけた動物園でキリンを見ているときに、
「 恐竜とかってもし目の前にいたらこんなだったのかな 」
と、普段の彼にはまるで似つかわない無垢な子供みたいなことを真山がぽろっと発します。
わたしはその何気ない一言がとても、とても好きで。多分 “リアリストがこぼすひと匙の夢みたいなもの” を感じたからなんですよね。
真面目でつまらないと言われがちなリアリスト一辺倒になるのではなく、時には心に眠っているちいさな夢の欠片もこぼせたら。という自身の願いが込められている言葉のような気がしました。
ちょうど一年前、noteを始めて間もない頃に参加した私設賞・磨け感情解像度で『芽生え賞』をいただいたことがnoteで小説を書く原点なのですが、その際にサトウカエデさんが贈ってくださり今もずっと大切に、心の御守りにしているメッセージがあります。
左頬さんが書きだす感情は、空白地帯から拾い上げた光に見えます。なかったはずの光に、名前をつけて輪郭を与える。それは、私たちがかつて通り過ぎた抱擁、別れ、涙。繊細な情景と合わさり、読み手の心をゆらします。
わたしには書けないことが沢山あります。やってみたら書けるのかも知れないけれど、それって本当にあなたの書きたいことなの?と訊かれたらきっと即答ができない。
だからこそ “だれかの日常や生活に寄り添う物語を届ける”をテーマにしたこの文活においても、もしかすれば似た世界観・ジャンルが続いてしまうかも知れないけれど敢えてそこにこだわりながら「名付ける」ことを、そして「たまにこぼれた夢は恥ずかしがって隠さない」ことを、毎月丁寧に重ねてゆきたい。
それが、今のわたしにとって「書く」ことなのだと思っています。
・紙飛行機の着地先
いつものことですが話が長くなりましたね・・・。
最後に少しだけ、せっかくのライナーノーツなので「書いてきたもの」の話をして終わります。
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