【能登半島地震】つながりと居場所つくる
被災の痛み―能登1年、阪神30年
※文化時報2025年1月1日号の掲載記事です。
「神も仏もない」。発生から1年となる能登半島地震の被災地では、そうした声が聞かれた。少しでも心身が安らぐよう願い、1日でも長く足を運ぶ災害ボランティアの宗教者は、継続的なつながりや居場所をつくることを目指す。一方、30年前の阪神・淡路大震災の経験を基に、寄り添う支援が必要だと考える僧侶たちもいる。
「同じ顔」が安らぎに
金光教鶴橋教会(大阪市生野区)教会長で、金光教大阪災害救援隊リーダーの竹内真治さんは、1カ月の約半分を石川県輪島市門前町の浦上公民館に通い、炊き出しを続けている。継続した支援に注力する竹内さんは、何度も顔を合わせ、関係を重ねていくことが被災者の心の安らぎになると考えている。
救援隊は2011(平成23)年の東日本大震災をきっかけに、炊き出しを中心とした支援活動を始めて以降、全国の被災地に赴いてきた。
昨年の能登半島地震では、現地の状況確認を目的に、1月6日に先遣隊を派遣。輪島市門前町に入り、当時100人程度が避難していた浦上公民館を炊き出しの拠点とすることにした。避難所が解散してからも活動を続け、資材を保管させてもらえるほど地元との関係性を築いている。
しかし、9月に起きた豪雨災害では、浦上地区も大きな被害を受けた。竹内さんが訪れると、顔を見るなり「神も仏もない。どうしたらいいか分からない」と涙を流した住民もいた。
「地震を免れた家や仮設住宅を、豪雨は襲った。だから私たちは、全く別の災害と考えて支援している」。竹内さんはそう話す。
以降は震災支援の炊き出しに加えて、水害支援のカフェとランチ会も別途開くようになった。仮設住宅が分散している浦上地区では、集まって誰かと話をするサロンのような場がないと、交流が薄れていってしまうという。
竹内さんたちの活動には毎回多くの人が訪れるが、理由がある。炊き出しでは、定番の豚汁やカレーではなく、オムライスやお好み焼き、焼き肉弁当など、被災地ではあまり見ることのないメニューを提供している。
加えて、使用する食材の産地や弁当パック、割りばしの使い勝手にも気を配っている。最近は高齢男性が「この人たちがスーパーで石川県産のコシヒカリを買ってくれたのを見た」と、列に並ぶ地元の人々に言ってくれたこともあった。
また、必ず余るように用意し、配り終えると仮設住宅を訪ねておすそ分けにも行く。そうすることで、会場に来られなかった人ともつながることができ、「金光さんがまた来てくれた」と言ってくれる人が増える。
「今は助成金を申請して活動費用に充てている。いずれそれも出なくなるが、もらえているうちは、とにかく1回でも、1日でも多く行きたい」。そういう思いで、2、3カ月先の活動予定も伝え続けている。
一緒に生きていく支援
被災地で宗教者によるボランティア活動が行われるようになったのは、「ボランティア元年」ともいわれる1995(平成7)年の阪神・淡路大震災だった。 神戸市兵庫区の真宗大谷派西林寺は本堂が半焼、庫裏が全焼し、運営していた同市北区の保育園に一家で仮住まいをしながら、5、6年かけて堂宇を再建させた。
先代住職が再建に奔走する間、震災発生時に大谷大学4年生で京都に住んでいた中杉隆法住職は、卒業後神戸に戻り、ボランティア活動に取り組んだ。貧困問題や虐待、家庭内暴力(DV)などで身元を明かせない被災者が避難するテント村に入り、山陽教区の仏教青年会とともに炊き出しなどを行った。
当時の状況について、中杉住職は「すぐには現実のこととして受け入れられなかった。テント村には、復興から取り残されていく不安や孤独感を抱える人が多くいて、ゆっくりでいいから一緒に生きていこうと思ってやってきた」と振り返る。
孤独死した人の通夜や葬式も引き受け、テント村が解散し復興住宅になってからも、イベントへの協力などで10年ほど関わりを続けた。「『これからもそこで生きていく』という人の姿を絶対に忘れず、大切にしていくことが大事」。中杉住職はそう語った。
真宗大谷派宗議会議員の邨上(むらかみ)了圓・眞宗寺(兵庫県加古川市)住職は、宗派の災害救援本部事務局で事務長を務めていた。コンテナを調達し、神戸市内の公園に運び込んで、社会的に弱者とされる人たちが落ち着いて過ごせる居場所を提供した。
「30年近くたって街はきれいになったが、当時の被災者は深い傷を持ったままだ」と漏らす邨上住職は、能登の復興についても「被災者に寄り添うことが大前提」と考える。「小さくてもいい。僧侶と門徒が集える場をつくるべきだ」と強調する。
手の届かない地区
一方で、能登地方にはいまだに声が届かず痛みを抱え続ける地域が存在する。
高野山真言宗千手院(石川県穴水町)の北原密蓮住職が穴水町の仮設住宅で開く傾聴移動喫茶カフェデモンク=用語解説=には、宗内外の僧侶やケアに従事する人たちが手伝いに来ている。そのうちの1人で輪島市に住む寺庭婦人から「うちの地域でも傾聴してほしい」と要望があった。
北原住職は快く引き受け、昨年11月から寺庭婦人のお寺がある輪島市鵠巣(こうのす)地区の仮設住宅でも、カフェデモンクを始めた。同地区は、9月の豪雨災害の影響で現在も一般車両が通行止めの道路を通る必要があり、支援が行き届きにくい現状がある。
北原住職は「高齢の方がほとんどで、先が見えないとの声も漏れる。厳しい状況は続いている」と話す。宗教者の支援を待つ人々は、まだ多い。
【用語解説】カフェデモンク(宗教全般)
2011(平成23)年の東日本大震災を機に始まった超宗派の宗教者による傾聴移動喫茶。コーヒーやスイーツを振る舞い、人々の心の声に耳を傾ける。曹洞宗通大寺(宮城県栗原市)の金田諦應住職が考案し、僧侶や修道士を意味する英語のモンク(monk)と文句、悶苦の語呂合わせで命名した。全国の災害被災地や緩和ケア病棟など14カ所に広がっている。