〈27〉お坊さんのいる病院
※文化時報2022年2月22日号の掲載記事です。
本紙2月11日号で、浄土真宗本願寺派が運営する独立型緩和ケア病棟「あそかビハーラ病院」(京都府城陽市)が存続の危機にひんしていることが伝えられた。「お坊さんのいる病院」として注目されていただけにとても残念である。理解ある医療法人などが、理念を継承してくれることを祈るばかりである。
同日号の社説に「宗教界は、そろそろ本腰を入れて診療報酬の見直しを求めるべきではないか」とあった。筆者はそれとは異なる意見を持っている。
欧米では、病院に宗教者が常駐していることは一般的である。チャプレンと呼ばれる聖職者で社会的地位も高いと聞く。その駐在費用は誰が負担しているのだろう。多くの場合、チャプレンの職能団体があり、そこから派遣される形を取っている。病院は専用の部屋を無償で提供しているだけである。
筆者は米ハワイ・ホノルルの中核病院クイーンズ医療センターを訪れたことがある。当時8人のチャプレンが交代で24時間体制を整えていた。病院内のチャペル(祈りの部屋)には、阿弥陀如来像が安置されており、ハワイの自由さを感じた。その立派なチャペルの内装やご本尊の設営には、その病院で亡くなった日系人患者の遺産の一部が充てられたそうである。本来の宗教活動とはこういうものではないだろうか?
診療報酬は「国民皆保険制度」に基づくものである。国民の自由意志ではなく、法律によって決められた「義務」により徴収されている。その財源を宗教者に使うことを世間が容認するだろうか? 難しいと思う。
今、宗教者が考えるべきは公金を当てにすることではない。その宗教活動を支えてくれる信者への感謝と浄財の適切な運用であろう。それさえ間違えなければ、「お坊さんのいる病院」は人々に受け入れられるに違いない。お坊さんが病院職員である必要があるのだろうか? まずその発想から点検してみてはどうだろう。
あそかビハーラ病院の試みが失敗だったとは思わない。14年たった今、軌道修正が必要となったということだと理解している。また新しい形となった「お坊さんのいる病院」が登場することを楽しみにしている。(三浦紀夫)