【能登半島地震1年】手を合わせ、前へ 總持寺祖院で追悼会
※文化時報2025年1月14日号の掲載記事です。
2024年元日に起きた能登半島地震は1日、発生から1年を迎えた。石川県輪島市と志賀町で震度7を観測し、石川県内を中心に、寺院2千カ寺超を含む建物15万棟以上が被害を受けたほか、石川、新潟、富山の3県で災害関連死を含め504人が犠牲になった。石川県は、9月に奥能登を襲った豪雨で亡くなった16人と合わせ、輪島市内で追悼式を開催。各地で地震発生時刻の午後4時10分に合わせて犠牲者に黙禱(もくとう)がささげられ、寺社などでは年末年始を中心に、慰霊や追弔の儀式が営まれた。(松井里歩、高田京介)
曹洞宗大本山總持寺祖院(石川県輪島市門前町)では1日、能登半島地震と9月の奥能登豪雨の犠牲者追悼会(え)が営まれた。地元住民らでつくる「総持寺通り協同組合」によるふるまい鍋のほか、復興を祈る氷彫アートも飾られ、多くの人々が山門前に詰め掛けた。
地震発生時刻の午後4時10分、高島弘成副監院が祈りの鐘を18回ついて、黙禱。町内の無線のスピーカーからも、黙禱を呼び掛ける声がこだましていた。
その後、山門前で導師の高島副監院と5人の僧侶が読経し、参列者らが焼香を行った。故人の写真を胸に抱いて訪れた人や小さな子ども連れ、外国人らが、それぞれの思いを抱えながら目を閉じ、手を合わせた。
總持寺祖院では例年、大みそかに除夜の鐘をついた後、祈禱を行い、餅まきをするのが習わしだったが、鐘撞堂も地震で被害を受けたため、今回は行われなかった。代わりに総持寺通り協同組合が、地元住民や仮設住宅で暮らす人々が集える場をつくりたいと協力し、追悼会の開催にこぎ着けた。
この地域で生まれ育ち、毎年参拝してきたという女性は「いろいろ思い出すが、1年はあっという間だった。いつも通りの生活ができているのが救いだし、前に進まなきゃな」と話した。
高島副監院は法語で自作の漢詩を読み上げ「今はいばらの道かもしれないが、梅の花がつらく寒い冬を乗り越えて咲くように毎日を歩んでいけば、復興の花を咲かせられるという思いを込めた」と話した。また、法要後には「みんな一緒なんだという思いを新たにする追悼会になったと思う。門前あっての總持寺祖院だ。一歩ずつ歩んでいくための大きな一年にしたい」と語った。