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【寄稿】難しい人からも聴く 埼玉立てこもり事件
おかやま在宅クリニック院長・真宗大谷派僧侶 岡山 容子
※文化時報2022年2月15日号掲載の寄稿です。写真は岡山さん提供。
在宅医療に携わっていた鈴木純一先生はじめ7人が受難された1月の埼玉の立てこもり事件について、心より哀悼の意を表します。私自身は面識がないながらも、懸命に地域医療をする同志の受難は残念でなりません。
合う家族、合わない家族
弔問に行かれるような方なのでとても誠実な先生なのだろうと思います。そして誠実に治療をしていても、分かり合えないことはあるのだと痛感いたします。
実のところ、合わない患者はあまりいないのですが、合わないご家族はしばしばあります。ご本人は当初誤解などがあっても、私が訪問することで体調が安定すると実感されることが多いので、徐々になじんでくださいます。しかしながらご家族に関しては、特に私の訪問に同席できない、接する時間が短いご家族との関係が難しいことがあります。人間同士なので、実際問題「合う・合わない」はあると思います。
私はご家族との関係がある程度努力しても無理だと感じたら、当院の至らなさを痛感しつつ、同じ地域の他の先生に「転医」をお願いしています。逆に他の医療機関で合わない方がうちで合うこともあるので、お互いさまかと思います。
今回の事件を受けて、皆さまが私の無事を願うと言ってくれますが、人は思いがけない最期を迎えることがあります。津波に遭いたくて遭った人はいないでしょう。交通事故に遭うこともあるでしょう。心を扱う以上、心の問題で受難することはあり得ることです。
だからこの仕事は危険だからやめるかといえば、やめません。危険以上の喜びのある仕事です。用心していても起こることは起こります。不測の事態に備えることは大切なことかと思っています。でも、実際に困る前からあらかじめ困る必要はないかなとも思っています。
必要なのは人の温かさ
事件の概要がだんだん分かってきました。報道によれば、容疑者は「母が死んでしまい、この先いいことがないと思った」と供述しており、自殺に医師らを巻き込もうとしたということだそうです。「死にたいなら一人で死ねばいい」とか「なぜ罪なき医師を巻き込むのだ」とか言いたいことはたくさんあるだろうと思うのですが、この「この先いいことがなさそうな予感」をどうすれば解決できたのかを考えないといけないだろうと思うのです。容疑者一人の問題ではないような気がします。
問題はいくつもあったのでしょう。親の年金がなくなると経済的に立ち行かなくなるという経済的な問題。親以外の人から、人として大切に思われることがないという関係性の問題。あちこちで怒鳴るなどして問題を起こすという生きづらさの問題…。
なぜ怒鳴り散らすのか。私も短気でよく怒鳴ったりする方なので思い当たる節が少しあって胸が痛いのですが、一つには「怒鳴ることによって解決することがあった」という学習が成育歴の中であったのだろうと思います。もちろん、怒鳴ることによって発生するトラブルの方が圧倒的に多いはずですが、怒鳴ることで自分の抱える問題が解決した快感によって、「怒鳴ると問題が解決する」という学習が強められている可能性は高いです。
これはきちんと言語化して本人に再学習させる必要があります。平たく言うと「そんな大きな声を出して怒ったりしたらだめだよ。そんなことをすると友達がいなくなるよ」と叱られることです。そのような心理的プログラムを受ける機会があれば、いくらかでも認識の訂正は不可能ではないだろう、と思います。
しかし、実際にはそのような機会はありません。そして何より、この付き合いにくい人の周囲には温かい言葉を掛けてくれる人はやってきにくいだろうと思うのです。この人に本当に必要なのは、更生プログラムより、経済的支援より、人の温かさなのでしょう。
容疑者と同じ所に立つ
…と、締めくくると、それなりに何となく分かったような感じに落ち着くのですが、ではそれを誰がするのでしょう?あなたはそれをしますか?恩ある人を殺す人。気に入らないことがあると怒鳴る人。その人に温かく接することができる人は、そんなにいるとは思えません。
もしいるとすれば、職業上この人に近づいても構わないとされる人種です。医療・介護従事者、行政(たとえば生活保護課)の担当者、宗教者などです。
私は医療従事者ですから、このような人と関わらざるを得ない立場にあります。時には暴力的な対応をする人と関わることもあります。私は短気な方ですが、それでも関係が切れないのは、基本的に「分かってくれる人」になろうとしているからだと思います。
相手を完全に理解することはできません。しかし、この難しい相手から見て「オマエ、分かってるやないか」と思ってもらえるような話し方を心掛けます。反復を中心にして、共感的な態度で聴くことです。相手の言い分が「訳が分からない」と思うときほど反復の態度で聴きます。
たとえば死後30時間たって蘇生を求められたら「何を言っているのか?」と思うことでしょう。その時は「お母さんに蘇生をしてほしい、そう思っておられるのですね」そして「お母さんに生き返ってほしい、そのお気持ちなのですね」と続けると思います。そして「そうなんです」と返事が来たならば、その言葉は「分かってもらえた」というサインです。
会話のキャッチボールではボールはまだ相手の手の中にあるので、相手の言葉を待つでしょう。その代わりに猟銃を出されてしまったら、もう、どうしようもありません。分かってくれる人だから道連れにされてしまうのか、分かってもらえないと絶望するから道連れにされてしまうのか。そのような受難はあり得ることかと思います。
危険だからといって付き合いにくい人とは全員付き合いをやめる、ということを実際にしている人もいると思います。それも一つの選択です。でも、私は自分自身が付き合いにくいタイプの人間である自覚があり、生まれや育ちが異なれば、自分こそが容疑者と同じ所に立っている可能性があると自覚しています。
自分はたまたま愛情深い人たちのおかげで何とか今ここにいる、という気持ちを強く持っています。最初に書いたように「合わない人」との関係を無理に引きずることもしていません。しかし、「難しい人」を全て断ち切ることもしないでいけたらと思っています。
◇
本稿は、産経ニュースに1 月31日に掲載された寄稿「『同志犠牲に心痛、真相究明を』京都の在宅医、岡山容子さん」を基に、筆者が加筆修正しました。
岡山容子(おかやま・ようこ)1971(昭和46)年、大阪府生まれ。京都府立医科大学卒。麻酔科学教室、集中治療室出身。医学博士。2015 年、おかやま在宅クリニック(京都市中京区)を開業。20 年に真宗大谷派僧侶となった。日本麻酔科学会認定専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定医、指導医。著書に『それでも病院で死にますか』(講談社ビーシー)。
【用語解説】埼玉立てこもり事件
埼玉県ふじみ野市で今年1月27日夜、散弾銃を持った男(66)が立てこもり、人質となっていた医師の鈴木純一さん(44)が殺害された事件。鈴木さんは男の亡くなった母親の訪問診療に携わっており、事件当日に鈴木さんを含む関係者7人が呼び出されていた。
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