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【能登半島地震】実態知り、受け止める 記念講演と特別法話詳報

記者が見た能登―被災地報道写真展2024

※文化時報2024年12月13日号の掲載記事です。

 真宗興正派と文化時報社が11月21~28日に開催した「記者の見た能登―被災地報道写真展2024」では、一般社団法人えんまん代表で浄土真宗本願寺派本光寺(石川県小松市)副住職の八幡真衣さんと、浄土宗宝幢寺(石川県七尾市)副住職の高田光順さんが記念講演を行った。また、真宗興正派の河邊大文さん(明了寺衆徒)、田中慶一さん(西園寺住職)、川田慈恵さん(妙楽寺住職)が「被災と仏教」をテーマに特別法話を実施。聴講者は能登半島の実態を知り、地震をどう受け止めていくのかを考えた。主な内容は次の通り。

「震災支援の実態」

一般社団法人えんまん代表・浄土真宗本願寺派本光寺副住職
八幡 真衣さん

 元日は、石川県小松市で子ども食堂を開いていた。子どもたちがおせち料理を囲んだりゲームをしたりして、ケーキを食べる準備中に地震が発生。玄関を開けると、瓦が宙を舞い、外壁が音を立てて崩れた。

 屋外に退避しようとすると、5歳の男の子が出るのを嫌がった。「いやや、怖い」。何度靴を履かせても脱ぎ捨てた。

 津波の心配がなくなると、スタッフは誰が言い始めるともなく、能登に食料や水を届けるため、車に積み込む作業を始めた。避難を怖がった5歳の男の子は、今度は「僕も行く」と言い出した。母親になだめられると、お年玉にもらった5枚の千円札を差し出し「僕よりも怖い思いをした人の所に行くと聞いた。僕は行けないけど、大丈夫だよと伝えてほしい」と、たどたどしい言葉で伝えてくれた。

 1月2日から支援物資の搬送を始めた。9月の豪雨被害を受けて、今も届けている。行くと「お帰り」と言ってくれる。つらいことで得た縁は、悲しいものばかりではない。

 崩れた家の前にいた高齢女性は「ここにお父さんがいるの」と話した。一緒に瓦をどけることしかできなかった。2日後に出会うと「お父さんに会えた。でも、冷たかった」と言った。言葉が出なかった。どんなにがんばっても、当事者にはなれない。でも、非当事者にできることもある。それを考え続け、諦めなければ、私たちは何でもできる。「一人じゃないよ」「忘れていないよ」という気持ちを届ける手伝いをしてほしい。被災地の人はそれを求めている。

「被災からの再起」

浄土宗宝幢寺副住職
高田 光順さん

 元日の午後4時6分、震度5の地震が起きた。本堂のろうそくを消し、庫裏に戻ってストーブも消した。そのとたん、今度は震度7の地震が襲った。

 倒れた本堂を見た妻と娘は「夢じゃないのか」と、互いのほほをたたいていた。長男は指をパチンパチンと鳴らしていた。幼いころから遊んできた本堂が、魔法のように元に戻ることを願っていたようだ。

 その日は金沢市内にある妻の実家に避難した。風呂に入って床に着いたが、眠れずに天井を見つめていた。翌2日、寺に戻ると、住職が見たこともないような笑顔で近づいてきた。「仏さん無事やった」。本堂の半分が崩れつつも残っていた。

 以降は、仏像や貴重品などを搬出し、檀信徒に1軒ずつ連絡していった。それらを終えると、止まってしまった。惨状を目の前に、何をすればいいのか分からなかった。

 1月8日に仲間が支援物資を運んできてくれた。その後も危険を承知で続々と来てくれた。寺の状況を発信してくれたことで、浄土宗関係者だけでなく、真宗大谷派やキリスト教の方々も来てくれた。多くの支援を得たことで、どんどん力が湧いてきた。

 今、本堂の再建に向けて、素屋根工事を始めようとしている。仲間がアドバイスしてくれたからだ。こういう情報を教えてくれたことも貴重だった。

 地震保険に加入することも大事だ。たとえ一部にしかならなくても、保険金があれば再建への気持ちが奮い立つ。それと、日頃からの仲間との関係性を大切にしてほしい。

「縁を引き受ける」

真宗興正派明了寺衆徒
河邊 大文さん

 私たちには避けられない四つの苦がある。生老病死。なぜ、苦しみなのかと言うと、思い通りにならないからだ。できるだけ欲を満たす方がいい人生といわれるが、仏教は「人生は思い通りにならない」と教えている。

 社会は豊かで便利になった。そうなるように尽くしてくれた多くの人々への恩や縁を感じる社会になっているはずが、逆に恩や縁が死語になった。

 親鸞聖人は「迷いの世界を堂々巡りする輪廻(りんね)の中で、人に生まれ、仏教に巡り遇うことは難しい。その中で、阿弥陀仏の救いに出遇ったならば、遠い過去世からの縁を喜ぶべきだ」と言っておられる。

 縁には悪縁も良縁もあるが、両方を喜べという。「南無阿弥陀仏」と信心することは、良縁も悪縁も引き受けていく身になるということなのだろう。

 信心するためには、聞法しかない。教えを聞くことを通して、縁を引き受けて生きていくなら、たとえ悪縁であっても、嘆き悲しむだけにはならないだろう。

「死を受け止める」

真宗興正派西園寺住職
田中 慶一さん

 「元日は卑怯(ひきょう)ですよ」。能登半島地震で里帰りしていた家族を亡くした人の言葉だ。正月でなければ家族を亡くすこともなかった。せめて一日でもずれていれば…。そんな気持ちにうなずいた。

 一方で、お釈迦様の言葉「諸行無常」も思い出される。正月に地震が起きない決まりはない。私たちは死と隣り合わせの残酷な世界に生きている。

 でも、それを自分のこととして受け止められない。いずれ死ぬことは分かるが「明日、死にますよ」と言われると怖い。

 お釈迦様は修行して悟りを開き、仏になられて、死の問題を解決する方法を見つけられた。死の苦しみから逃れるためには、仏となった教え、仏教を聞けばいい。

 残酷な世界に、往生という救いの光が差し込んでいることに気付かされる。死を恐れることなく真正面から受け止めると「今、生かされているというありがたさ」を感じる。そして、絶望の中で人生を終えることがなくなる。

「無力感の中で」

真宗興正派妙楽寺住職
川田 慈恵さん

 能登半島地震が発生したとき、無力さを感じた。

 阪神淡路大震災のときは高校生だった。東日本大震災のときは子育て中。今回も、身動きが取れなかった。朝夕のお勤めで念仏することが、誰かの助けになると思いたかったのかもしれない。でも、念仏は魔法の呪文ではない。

 親鸞聖人は、水害で苦しむ人を救うために浄土三部経を千回読もうとして途中でやめ、「人を救おうとはおこがましいことだった」と言っておられる。「力になりたい」「救いたい」と思うが、人間の力では救えない。

 誰かのために祈るのではなく、私は私の命に向き合っていくしかない。仏様は「悔しい。もどかしい。情けない」という気持ちを全部包み込み、「救わずにはいられない」と、私の命に寄り添ってくださる。できることを、その慈悲の中でするしかない。

 被災された方々の記事や写真を見て、「これは人ごとではなく、私の命にも起こることなのだ」と受け止めることも支援につながる。

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