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知事たちは、また分断を作るのか

※2021年4月19日号の社説「また分断を作るのか」の全文です。

 新型コロナウイルス感染拡大の第4波が到来した。2度目の緊急事態宣言解除から、あっという間に新規感染者数が急増した。今回の波の高さも、今は誰にも分からない。見えるのは、波が去ってからである。

 だから私たちは不安になり、いいかげんうんざりし、やり場のない怒りを誰かに向けてしまうのだろう。あるいは、危機にもかかわらず楽観的に考える「正常性バイアス」によって、感覚を麻痺させている。

 第4波は、感染力の強い英国型の変異株「N501Y」が大阪などで広がった結果だと言われている。隣接する奈良県の荒井正吾知事は8日の会議で、「若者が(大阪で)感染させられて帰ってきている」「大阪に行って帰ってきたら、『私は分離生活をしますから』と言っていただくのが何より」などと発言した。

 思い起こせば昨年7月、当時官房長官だった菅義偉首相は、コロナ禍について「圧倒的に東京問題と言っても過言ではない」と語っていた。地方では、東京から来た人々が白い目で見られ、嫌がらせを受けるケースが相次いだ。そうした分断や差別を追認するかのような為政者の発言は、批判の対象になった。

 だが、今回の荒井知事の発言は、一部メディアを除いて、問題だというスタンスでは報道されなかった。もし、そう言われてもやむを得ないという諦観がはびこっているのなら、社会は危険水域に入ったと言えるのではないか。

 大阪と兵庫、宮城に続き東京、京都、沖縄の3都府県に、特別措置法に基づく「まん延防止等重点措置」が適用された。緊急事態宣言の手前で機動的に感染拡大を防ぐという触れ込みだ。

 しかし、対象を市区町村や一部地域に限定する制度は、隣接する市同士で明暗を分ける結果をもたらした。東京では、市境にある駅が出口によって対象地域に含まれたり、含まれなかったりといういびつな事態を生んだ。新たな分断を作ったのだ。

 感染症に対して、人類は英知を結集し、克服する意志を持ち続けている。科学者だけがその役割を果たしているのではない。私たちは1年以上にわたってマスクを着用し、手指の消毒を徹底している。一人一人が、できることを続けてきた。

 せっかくここまで来たのに、我慢の限界を超えたとか「コロナ疲れ」だとか言って感情任せになってしまうと、意図せず感染を広げたり誰かを攻撃したりして、自分から分断を作ってしまいかねない。思い通りにならないのが世の常であると、意識を変えることが大切だ。

 宗教者の方々にとっては当然すぎるほど当然のことだろうが、言わせていただきたい。こういう苦境に立たされた時にこそ、人知を超えた大いなるものの言葉が必要だ。このところ宗教界は沈黙しているが、そろそろ人々の胸に響くメッセージを、社会に届けてはどうか。今こそ、宗教の出番である。

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