【速報・訃報】大谷修師が逝去 真宗大谷派鍵役、98歳
※新聞掲載前の速報です。文化時報2024年4月5日号に掲載予定です。
真宗大谷派鍵役の大谷修(おおたに・おさむ、法名・信明院釋闡廣=しんみょういんしゃくせんこう)師が3月30日午前5時20分ごろ、腎不全のため京都市内の病院で逝去した。享年98歳。通夜は4月9日午後6時から、宗派葬は10日午前10時から、京都市山科区竹鼻サイカシ町13の17、山科別院長福寺で。喪主は長男、浩之(ひろゆき)氏。弔問は1~9日の午前10時~午後4時に山科別院長福寺で受け付ける。
鍵役は、真宗本廟(東本願寺)の両堂に奉仕し、儀式などで門首を補佐する役職。修師の逝去により、浩之氏、暢文(のぶふみ)氏、佳人(よしひと)氏の3人となった。
1927(昭和2)年5月、東京都生まれ。47年12月に得度。60年3月1日に鍵役に就任した。暢裕門首のいとこおじ(親のいとこ)に当たる。兄は教団問題=用語解説=で大谷家と内局の間を取り持ち、門首代行を務めた演慧(えんねい)師。
昨年の宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃(きょうさん)法要と御正忌報恩講にも出仕し、今年1月ごろまで晨朝の勤行にも姿を見せていた。
【用語解説】教団問題(真宗大谷派)
1969(昭和44)年、当時の大谷光暢法主が、内局の承認を得ずに管長職を長男の光紹氏に譲渡すると発表した「開申事件」を発端とする騒動。「同朋会運動」を推進する改革派と、大谷家や大谷家を擁護する保守派が対立し、後継者が次々と離脱した。最終的に光暢法主の三男、暢顯氏が96年に門首に就任し、沈静化した。〝お東紛争〟とも呼ばれる。
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