【能登半島地震】地震直後に住民避難 佐野寺、支援物資の集積場所にも
※文化時報2024年2月27日号の掲載記事です。
能登半島地震で被災した石川県輪島市町野町の高野山真言宗佐野寺(谷隆秀住職)は、地震発生直後に地域住民15人ほどが避難し、堂内で身を寄せ合った。自宅に戻った後は、支援物資の集積場所となっている。(大橋学修)
元日午後4時10分。激しい揺れとともに、本堂前面の扉数枚が外れた。土壁が崩れ、屋根の棟瓦が落下。堂内の位牌(いはい)は軒並み倒れ、壊れた。本尊の薬師如来像や市指定文化財の聖徳太子孝養像は無事だったものの、釈尊立像などの仏像は頭部が割れるなどした。車庫は崩れ、自動車は押しつぶされたという。
しばらくすると、集落の人々が避難してきた。余震が続く中、恐怖で身をこわばらせながら眠れぬ夜を過ごした。
水道と電気が止まった上に、幹線道路が崩れたため、町野町は一時孤立した。
2日におにぎりが地区の集会所に届けられ、ようやく初めての食事にありつけた。3日からは、住民が自宅の様子を見に行くようになり、幸い倒壊を逃れていたため、それぞれ帰宅した。1週間ほどすると支援物資が届くようになり、電気が戻った。指定避難所の東陽中学校に取りに行った支援物資をお寺に置き、集落に残る人が持ち帰れるようにした。合わせて、行政情報を庫裏の玄関に掲示した。
発生から1カ月が過ぎ、いまだに水道は復旧していないが、住民15人は自宅で過ごしている。自衛隊が用意した風呂に週2回通い、電子レンジで温めるご飯を口にする。毎週土曜に地区の集会所で行われる炊き出しで体を温める。
前住職夫人の谷和子さん(73)は「3月まで断水は続くと聞いている。食料が不足しがちになっており、支援団体が週3回届けてくれる15人分の弁当が頼り」と不安を口にする。
道路寸断…お寺の復興遠く
佐野寺は標高367メートルの奥能登修験の霊山、舞谷御前山を背にする古刹(こさつ)。開創は不明だが、平安末期の保元年間(1156~59)に広がった疫病を祈禱(きとう)で退散させ、人々の信仰を集めたという伝承が残る。
江戸中期の天明年間(1781~89)に建てられた本堂は倒壊しなかったが、片付けはどこから手を付けていいか分からない状態。2007(平成19)年の地震では、高野山真言宗の青年教師会が倒れた墓を戻してくれたが、今回は幹線道路が寸断されていることもあり、応援が来る見通しは立っていない。檀信徒宅も甚大な被害を受けている。
谷和子さんは「娘婿がお寺を継いでくれたのに、こんな状態になってしまった。復興できるかどうかも分からない」と話した。