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〈10〉足りないのは、臨床に立つ覚悟
※文化時報2021年5月24日号の掲載記事です。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者を殺害したとして起訴された医師らが、10年前にもそのうち1人の父親を殺害していた容疑で逮捕された。医師らに殺害されたとされる父親は、入院先から「胃ろう」手術の提案をされたが、息子である医師は「なぜ長生きさせようとするのか」と断ったそうだ。(5月15日付産経新聞朝刊より)
ALSの女性患者の事件がなければ、父親殺害の事件は明るみには出なかったかもしれない。恐ろしいことだ。
わが国では、火葬に際し家族などによって死亡届が出され許可されるという手順が、法律で定められている。死亡届は、医師が作成する死亡診断書(または死体検案書)とセットになった様式である。裏を返せば、医師が隠蔽をすることで殺人を病死へと偽装できる可能性があるということだ。
社会的に医師には「死」に関する大きな権限が与えられている。よって、その責任も大きい。
看護師も同じである。日本看護学校協議会共済会のサイトで紹介されている米国の研究によると、投薬プロセスにおけるエラーの未然発見率は、医師48%、薬剤師34%に対し、看護師はわずか2%しかないそうだ。看護師のミスは、そのまま患者に影響してしまう確率が極めて高いことを示している。看護師も極度の緊張感を持った職種ということになる。
昨今「看仏連携」が叫ばれている。医師や看護師と連携した仏教者の働きのことである。期待は高まりつつありながらも、具体的な動きにはなかなかつながらない。その一因に、医師や看護師が持っている「臨床の緊張感」を仏教者が共有できていないことがあると思う。
臨床には、老病死に関するさまざまな苦悩が渦巻いている。そこに仏教者が協働する意義はよく理解されている。足りないのは、仏教者の「覚悟」ではないだろうか? 患者、家族、医療従事者の持つ苦悩を、一緒に背負う覚悟を持った仏教者が求められている。(三浦紀夫)
三浦紀夫(みうら・のりお) 1965年生まれ。大阪府貝塚市出身。高校卒業後、一般企業を経て百貨店の仏事相談コーナーで10年間勤務。2009年に得度し、11年からビハーラ21理事・事務局長。上智大学グリーフケア研究所、花園大学文学部仏教学科で非常勤講師を務めている。真宗大谷派瑞興寺(大阪市平野区)衆徒。
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