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傾聴は求道の証し 門徒の自死胸に

 熊本県内で65 人が死亡、2人が行方不明になった昨年の7月豪雨から1年が過ぎた。臨床宗教師=用語解説=でもある真宗大谷派浄玄寺(熊本市南区)住職、吉尾天声さん(55)は「内心忸怩たるものがあった」と振り返る。長年積み上げてきた傾聴活動を、新型コロナウイルス禍に阻まれたからだ。生きづらさを抱え、もがきながら生きる人、自死を選んだ人。僧侶として多くの苦に直面してきたからこそ、支援の道を歩み続けている。(主筆 小野木康雄)

7月豪雨に通用せず

 2016(平成28)年の熊本地震。吉尾さんの姿は、同県益城町のグランメッセ熊本にあった。車中泊を続けていた多くの被災者のために、傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を屋外で行い、さまざまな苦悩に耳を傾けた。

 カフェ・デ・モンクは元々、東日本大震災の被災地で曹洞宗通大寺(宮城県栗原市)の金田諦應住職が始めた取り組みだ。僧侶(Monk)が文句を聴き、共に〝悶苦 〟する。テーブルの配置や飾り付けまで細かく気を配り、入れ立てのコーヒーとケーキで心をほぐし、じっくり腰を据えて話を聴く。

 熊本地震や翌17年の九州北部豪雨でも、その手法は通用したが、昨年の7月豪雨では断念せざるを得なかった。新型コロナの感染リスクが懸念されたからだ。「行政や地元の方々が心のケアを必要だと思ってくれても、従来のやり方だと進まない。ジレンマがある」と明かす。

小学生から月参り

 吉尾さんは、浄玄寺の生まれ。宗祖親鸞聖人に倣い、9歳で得度した。病弱だった父の代わりに、学校から帰ると月参りへ行った。法衣姿を友達に見られるのが恥ずかしく、お参り先の軒先で着替えるような少年だった。

 寺を継ぐのは嫌だったが、父から「だまされたと思って行ってみろ」と言われ、大谷大学文学部真宗学科に進学。学寮で同級生や先輩と出会い、カルチャーショックを受けた。「常識とされる考え方に『それは本物か?』と問う世界があった」。夢中で勉強した。

 就職先は決まっていたが、父が断り、そのまま自坊に戻った。自身が30歳の時に父が亡くなり、住職になった。

 入寺したばかりの頃だ。ある門徒宅にお参りに行くと、何かを話したそうにしていた。「またゆっくり来ますね」。用事があったので辞去した。

 数日後、その門徒は自死した。

 「なぜ気付けなかったのか。どうして何も感じられなかったのか」。衣を着て教えを説きながら、真宗が大切にする「共に歩む」ことができていなかったと痛感した。

吉尾天声さん・浄玄寺山門

味のある山門の浄玄寺

当事者の姿に学ぶ

 電話相談で自死防止に取り組む「熊本こころの電話」のカウンセラー養成講座を受け、通信制の専門学校で精神保健福祉士の資格を取った。携帯電話の番号をホームページで公開し、自分でも電話相談を受けるようにした。

 公共の現場で活動しようと、県精神保健福祉センターによる引きこもりの支援にも参加。生きづらさを抱える分、他の人よりも内面を深く見つめ続ける当事者の姿に、多くを学んだ。

 あの時感じられなかったことを、感じたい。突き動かされるように行動してきたのは、自分なりの求道だったと思う。
 
 13年に東北大学大学院の養成講座を受講して臨床宗教師になり、その後仲間と共に九州臨床宗教師会を発足させた。公共の場では、超宗派の宗教者による協働が欠かせないと考える。

 一方で、住職として自坊を開く活動にも取り組む。今年9月には熊本県看護協会と協力し、まちの保健室=用語解説=を開催する予定だ。

 「ほっこりして帰れるような場をつくりたい」。吉尾さんはそう語る。門徒をはじめ地元のさまざまな人たちから協力を得て、少しずつ進めていく考えだ。これまでの活動で培ってきたノウハウと、大切にしてきた思いを胸に。

吉尾天声氏サブ・キャプションなし

【用語解説】臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし=宗教全般)
 被災者やがん患者らの悲嘆を和らげる宗教者の専門職。布教や勧誘を行わず傾聴を通じて相手の気持ちに寄り添う。2012年に東北大学大学院で養成が始まり、18年に一般社団法人日本臨床宗教師会の認定資格になった。認定者数は21年3月現在で203人。

【用語解説】まちの保健室
 学校の保健室のように、地域住民が健康などさまざまな問題を気軽に相談できる場所。図書館や公民館、ショッピングモールなどに定期的に設けられ、看護師らによる健康チェックや情報提供が行われる。病気の予防や健康の増進を目的に、日本看護協会が2001(平成13)年度から展開している。

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