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【taboo持ち寄りぶんじ寮 vol.3 メンタルヘルス @ぶんじ寮 20210516 】 イベントレポ文責:Masamasa & Aki iwaya
こんにちは。ぶんじ寮のまさまさです。taboo持ち寄りぶんじ寮は早くも3回目。今回のテーマは「メンタルヘルス」です。
メンタルヘルスへの思いを巡らせよう。それは、だれもが関わる"なにか"。自分の中で、語りやすいこととそうでないことの線引きはありませんか?逆に、人から見たら語りにくいことでも、自分にとってはそうでないことってあるのかな?
心はなにでできているのか?心の健康は何に影響を受けるのだろう?心の存在を意識することはありますか?
僕が興味深かったと思うpointを切り取りながらになりますが、taboo持ち寄りぶんじ寮の世界へ、行ってみましょう。
メンタルヘルスと聞いて、何を思い浮かべますか?
言葉や意味・定義…そんなことからはじめなくたっていい。今回は、いま、ココ、心の表現からスタートすることにしました。
参加者の心の表現はこちら。
みてくださったあなたは何を感じたでしょうか。
「ある」世界と「ない」世界
メンタルヘルスという言葉が身近になった「ある」世界は、いつ頃だろうか。20年前にはあまり聞き慣れない言葉だったように思う。「ない」世界からある世界へ、どんな変化があるだろう。
言いづらかったことも気軽に。
「精神疾患があるんです。」「親が精神病で…。」なんだか言いにくかったことも、メンタルヘルスとか心の風邪…なんて表現によって、少しばかりポップに感じるようになったのかもしれません。「ご自愛」という言葉が聴かれるようになったり、コウペンちゃんが出てきたり、自分を大切にしようという雰囲気が感じられる世の中にはなったのかもしれませんね。
一方で、「ない」世界を、語られなかった世界を、精神疾患や精神科病棟という言葉から、覗いてみたいと思う。一度なったら治らない?軟弱・脆弱だと思われる?男が弱音なんて情けない?人間失格? そういった思い込み?自分への厳しさ?周囲からの眼差し?がtabooを生むのだろうか。
参加者の一人は言いました。
精神病とか精神科病棟とか…なんだかとても強いイメージです。言葉を選ばずにいうと、刑務所に近いというか…あぶない・ころす・特別・犯罪…が浮かんできます。
その人がそうイメージする背景に耳を傾けると、こちらのワン・ビン監督のドキュメンタリーを見た、というのです。
私たちの価値観やイメージは、情報への触れ方によって、捉え方が大きく異なることをこの後の会話で感じることになりました。上記のようなイメージと真逆で、「心の調子を崩した人たちはみな優しく彼らに支えられていまの私がいます。」そうおっしゃった方もいらっしゃいました。
心の存在はどう理解すればいいだろう?
ある参加者は言います。
観察してみることにしているんです。でも、わからなくて、考えてみるんだけど、やっぱりわからなくて、そうこうしていると、考えすぎてしんどくなっちゃって…。
見えないから難しい。わからないから対応できない。それに対して、ラップ(WRAP:元気回復行動プラン)という考えとエレメンツコードというものを教えてもらいました。
▶ラップ(WRAP:元気回復行動プラン)
W:Wellness
R:Reacovery
A:Action
P:Plan
自分の心のトリセツ(取り扱い説明書)を作るつもりで書くといいようです。自分を自分で大切にするセルフヘルプツール。さらに、自分では対処できないような状態になっても、自分の意思で自分を助けられるようにとクライシスプランというのも作っておけるようです。詳しい説明は、こちらに譲りたいと思います。
▶エレメンツコード
また、心というものを互いに見比べたり客観的にみることのできる試みも始まっています。心の見える化、心の可視化といえるでしょう。大事なのは、病気か病気でないでわけることではなく、人それぞれストレス耐性だったり、得意や苦手だったり、自分の凹凸を資質・特性として理解すること。それを相手にもわかってもらえるよう、コミュニケーションを取っていくことだと思います。
自分自身が自分の心を理解しようと試みることで、「関わる」ということが可能になってくるのかもしれません。わからないものは、怖いもの?心がわからないから、怖い・不安だ。心の不調等によって病気といわれた人たちのことがわからないから、怖い。私たちは互いの違いから学びあえる機会を、その恐怖によって失っているのかも知れない。目の前にいるのに関わることができない。関わり方がわからない。関わる選択肢を持ち得えていない。関わり代がない寂しさを抱え、生きている人もいるのではないだろうか。
「わからないことがある」を知ること「コントロールできないことがある」を知ることがスタートか。
私たち人間というものは、できることなら全てをコントロールしたい傲慢な生き物なのかもしれません。WRAPやエレメンツコードはとても有用だと思います。一方で、「なんともならないこと・わからないこと・コントロールできないこと、がある」を知っていることも大事なのかもしれません。
わからないこととして、保留して持ち続ける力。すべてやった”のに”…と心折れなくても大丈夫です。コントロールできないことがある、という前提に立ち、わからないことを抱えて生きる、というスタートラインに立ってみてはいかがでしょうか。
最後に…一緒にかんがえませんか?
参加者の方々の声とそこで起きた疑問を少しだけ載せておきます。
▶病名をつけられることが幸せか?
病名をつけてもらうことで「助かった」「生きられる」と表現した一方で、「自信を失くした」「もうダメだと思った」と表現される方もいます。病名というのは、だれにどのような影響を与えるのだろうか?
▶病気は全てを変えてしまう可能性がある。
病気になることで、自分自身、仕事、家族や周囲の人ととの人間関係、それら全てを変えてしまう可能性がある。それは本当だろうか?どうしてそこまで影響力が強くなってしまっているのだろうか?
家族や自分がメンタルヘルスの不調を経験した人なら少しは、メンタルヘルスについて真剣に考えるかもしれない。でも、興味のない人に届けるにはどうすればよいだろうか。彼らにとっても、誰もが関わる”なにか”なのだから…。
〜〜〜
るんるん、Aki です! & ごきげんよう〜◎
あるいはなんとなしにイメージしていたのは、こんな場ー
ここは、異なる意見と出会う場です。
なぜなら、タブーとは意見の交わり/血行が滞っていることの現れだと考えているからです。
「透明なマイク」があると思って、
誰かがマイクを手にとって話したら、その人の話をしっかりと聞く。
そしてマイクが空いていたら、話す。
(あまり長い時間マイクの独占があると、鬱血するので、お声掛けする場合があるかもしれません)
沈黙大歓迎、自己紹介なし、指名なし。
否定、説教、アドバイスの放棄。
にチャレンジしてみませんか?
蓋を開けてみれば、温かい飲み物を持参してくれたり、途中で夕ご飯を食べる参加者(住人)がいたりする空間。
絵筆で絵のような何か?を描いてもらいながら、ふにゃふにゃしたり緊張したりしながらも、その場に居てもらう時間。
いまはあの場のイメージが、浮かぶ雲のように、あるいはすでにそこにない残像の霞のように残るー
「精神病」が、「メンタルヘルス」に変わったことを教えられた覚えは、私にはない。
漢字が、いつのまにか、外来語のカタカナ語表記になっている。
これはなにを指しているのだろう、と連鎖する思いが先を歩いていくのについていく。
前者には、刑務所と同じく、世俗から隔離された響きがある
ー権力から下される、動かしがたい宣託のような。
後者はまるで、それが一時的な症状にすぎず、対処の方法が見えている
ー毎年細部のアップデートされるサブスク商品や今シーズンのOSの名前のようだ。
だからたとえばそう、ワン・ビン監督作「収容病棟」を、もう一度目を凝らして見つめてみよう。
手持ちカメラを携えて収容病棟の住人の背中を文字通り追いかけ続けて描かれる鉄格子の、黒に彩られた世界。
おどろおどろしい宣伝イメージ=その分厚い鉄格子の向こうに、言語を超越して粘りつく、赤い情愛の世界を写し取ることに成功している。
精神の奥、あるいは底に流れる、人と人との情の行き交い。
それは色ではなく、とりもなおさず眼差しと吐息の交歓によって目の前に立ち現れてきたもの。
一度目を瞑って開いて、やや遠景からもういちど眺めてみる。
すると、全体として同時に相反するような二つ、つまり手と手が触れることを阻む物理的な壁、目には見えない情の繋がりが接触するさま。
このどちらともを映像越しに私の眼球へ、おそらくはその先にまで刻みつけているようだった。
可視化されうるものと、されえないもの。
可視化の可否と、その対象が存在することとは、一体どんな関係を持ちうるのだろうか?
こころは見えないもの、というのが正しいのなら、
こころは感じられない、というのも正しいのだろうか。
「もし自分の不調に気づいてしまったら、ヤバいな」、あの場で言った人の言葉が残っている。
もし気づいたら、いったい私は、どうなれるだろう?
少なくとも、この私の実感をもって確からしそうなことがあるとすればそれは、一人でこれをやっていても、二つに一つの道しかとりえないだろう、ということ、
であるなら。
ーーー
これからも、わからないことを、自分のtabooを語れる場を作っていきますね。これまでのレポートもよろしければどうぞ。
▶vol.1「死」
▶vol.2「こども」
今回のイベント概要:
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