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個人から分人に分けることでの利点をすずかつ的考察では、経験学習がしやすくなり、より望ましい生き方を選べるようになることです。

「私とは何か『個人』から『分人』へ」の著者で、『分人主義』の提唱者、平野啓一郎さんの言葉を借りると

個人という単位の大雑把さが、現代の私たちの生活には、もはや対応しきれなくなっていることである。

と述べられています。

個人という単位が大雑把というのは、多くの情報を瞬時に判断して、処理していく必要のある今の時代、一つ一つが細かい目的に分けられます。日常生活では、インプット、アウトプットの回数がとても多くなってきています。SNSをスマホで利用するだけでも、一瞬で不特定多数にアプローチしているのが現実。

無意識の処理なので、あまり気がついてませんが、行為の一つ一つが小さな目的があるので、すごいスピードで分人が入れ替わり立ち替わり立ち上がっているわけです。

分人を扱う利点としては、その無意識で行われている処理の判断を振り返ることがしやすくなり、日常が学習になることです。

先日、仕事の現場でのチームの役割についての悩みを伺うセッションをしていました。いろんな役割があることから、どんな自分がいるか?という内容になりました。

クライアントの話を伺う中で、こんな人もいそう?とか、これも違う人?、こんな自分もいる?という感じで、一つの話題を聞いているだけで4、5人あっという間に出てきました。

その時、クライアントさんに「よくわかりますね!」と言われました。

そこで初めて(あ、分人効果だな・・・)と気がついたんです。つまり、毎日、これは「どんな分人?」と問うことが習慣になっているので、シンプルに一つの目的に対して、一人の役割の分人という考えの整理のクセができてくるのです。

伝えたいことは、『分人主義』という耳慣れない考え方を意識して適用していくと判断したりする前の整理が自然とできる思考習慣が身に付くということです。

体験的に分析的なものの見方をしなくても、整理された情報が目の前に瞬時に並ぶのでとても便利です。

例えば今はブログを書く、ブログ分人。という具合で、分人分けしていく作業が日課というか時課。

暇さえあれば、「どんな分人?」と問いかけています。

分人はキャラではない

ちょっと微妙なのがキャラと分人を分けるところ。

キャラを演じる、仮面をかぶる、という発想は、どうしても「本当の自分」が、表面的に仮の人格を纏ったり、操作したりしているというイメージになる。問題は、その二重性であり、価値の序列である。
引用 p25-26

キャラかどうかは、演じているかどうかがポイント。

いつのまにか、自然にそうなっちゃってるのが分人。

ちょっと自覚的に意識しちゃって演じてるのがキャラ。

というニュアンスでしょうか?

例えば、友だちとしゃべっている時に、ふざけて誰かのマネをしたとしたら、キャラっぽい感じになりますよね。

例えば『キャラなりきり分人』

分人化は二人の間の相互作用である

「二人の間の」をもう少し抽象化すると、分人化とは「対象との間の相互作用で起こる」と言ってもよさそうです。

そういう意味で『キャラなりきり分人』はキャラを演じることで、その場に適応することが目的として立ち上がってきた分人と行ってもいいかもしれません。

こんな風に、どんな状況においても分人として確認ができます。



分人主義、おもしろそう!って思っていただいた方へ朗報。

2020/12/20(日)平野啓一郎さんご登壇のオンラインイベントを開催します!詳しくはこちらです。

https://resast.jp/events/487649





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