最終回《心がふるえた日本の川》
Author:北中康文(自然写真家)
いよいよ今回で最終回。あっという間に時間が過ぎてしまった。何をテーマにしようか悩んだ挙句、心がふるえた瞬間をピックアップすることにした。3年半におよんだ日本の川取材の中で、忘れることができないシーンを写真とともにお届けしたい。先月発売された『日本の川』に掲載されなかったショットも登場する。それがどれなのかは内緒。連載の締めくくりにふさわしくなるよう、さあ、気合を入れてラストスパート!!
(1)田園地帯の三日月湖・石狩川(北海道)
2021年6月、初夏の北海道を訪れた。この日、僕は石狩川を取材。全長268km、道内一の大河だから、たっぷり1週間を費やした。中でも印象深いのは、石狩川が残した三日月湖の空撮。かつての石狩川は今よりもっと蛇行していた。ところが、治水目的の河川改修により流路は60kmも短縮。つまり、以前は利根川よりも長く、信濃川に次ぐ国内第2位の長さだった。そして、カットされた旧河道ループは三日月湖として残った。
国道275号を月形町から滝川市に向けて走ると、車のナビに次から次へと三日月湖が現れる。僕は、新沼とウツギ沼(手前)を狙った。2つの三日月湖が並ぶが、手前のほうが古い旧河道だ。現在の石狩川本流は画面奥を右へ流れている。ドローンをフライトさせる場所は見つかったが、天候が今ひとつ。薄曇りのべったりした光線状態だった。
ところが、そうこうするうちに雲間から陽光が差し込んできたのだ。急いでドローンを上げ、高度とアングルを微調整。手前の三日月湖に陽光が反射するようポジションを探し、すぐにシャッターボタンを押した。薄曇りだったお陰で逆光線が和らいだ上、田園に囲まれた三日月湖に陽光のアクセントが盛り込めた。そして、安心したのも束の間、ほどなくしてその輝きは消えていった。
(2)豪瀑と化した法体の滝・子吉川(秋田県)
2020年9月、鳥海山東麓にある法体の滝駐車場で目覚めた。夜通し降り続いた雨は止む気配がなく、むしろ強くなった。車内でパンをかじっていると、雨音はますます強くなるばかり。車外に出るのも躊躇するほどだった。そこで、車窓から滝が望めるよう、駐車位置を移動し待機することに。すると、法体の滝は徐々に水量を増していった。
午前7時半を過ぎると、滝の水が濁り始めた。しかも、時間が経つほどに濁りは濃くなり、落下する滝幅が広がっていく。目をそらせないくらい、その変貌振りにくぎ付けとなった。すると、落水の巨大なエネルギーにより、滝つぼから水煙が立ち始めた。最初は数mの高さだった。ところが、5m、10mとその高さを増していくではないか。ここまでくると、もはや傍観者ではいられなくなった。
一眼レフに70〜200mm望遠ズームをセットし、雨の中、車から飛び出した。カメラを体で覆い隠し、土産物店の軒下へとまっしぐら。そこからは滝の姿が一望できた。この法体の滝は3段に分かれ、下段が一番高く42m。その落下する濁流と水煙の激しさが、さらにヒートアップ。その姿をファインダーにとらえ、水煙の上がる瞬間にシャッターを連写。そして、午前8時15分、水煙が滝の半分まで上昇するようになった。下段の高さの半分だから、水煙だけで20mもの高さだ。
一旦、車に戻って画像チェック。すると、拡大した画像には、落下する濁流に黒い礫が点々と混じっていた。まさに、浸食する水のパワーを見せつけられた思いだった。
(3)前川の巨岩・阿武隈川水系(山形県)
2020年10月、山形県米沢市の滑川温泉を訪ねた。温泉目的ではなく、その近くにかかる滑川大滝を撮影するためだった。しかし、滝への登山道は通行止め。仕方なくドローン空撮で対応した。その帰り道でのこと。紅葉が美しかったので車を停め渓谷をのぞくと、写真の巨岩が横たわっていた。この場所は前川(左が上流)と大滝沢(奥)との出合で、山形県下にあって唯一太平洋に注ぐ阿武隈川水系に属する。
この巨岩は、小さな家一軒ほどの大きさだった。高さ5〜6m、幅7〜8m。いったいどこから来たのだろう。前川上流の左方向からか、それとも奥の大滝沢からか。巨岩のサイズを考えると後者の可能性は低そうだ。もしかすると、この付近の山腹から落ちてきたものかもしれない。しかし、それにしては角が丸く削られている。やはり流されてきたのだろうか。だとすると、この巨岩を押し流す水流はどんな規模だろう。僕の中でいろんな思いが駆け巡った。
(4)長瀞の虎岩と荒川(埼玉県)
2022年8月、埼玉県の名勝・長瀞を訪れた。以前にも訪問していたが、そのときは長瀞の代名詞の岩畳を見学しただけ。今回は、その上流に位置する虎岩もカメラに収めたかった。日本地質学会発行の長瀞探検マップを頼りに、虎岩を目指した。その入り口は埼玉県立自然の博物館そばにあった。
歩道を下っていき、途中から河原へと飛び出した。そして、地図を見ながら虎岩を探した。すると、細かい白黒模様の岩塊が視界に入った。近づいて確認すると、目的の虎岩だった。黒褐色のスティルプノメレンという鉱物と、白い長石や石英が重なった縞模様が特徴。地殻変動で折り畳まれ(褶曲)、波打つように見える。
どこからどのように撮ろうか。ポジションを変えながら、白黒模様が印象的な部分を近接撮影。思っていたより大きな岩だったので、引いたり寄ったり。次から次へとシャッターを切った。そして、背後に荒川を入れようとポジションを変えた瞬間だった。上流から2台のラフトボートがやって来たのだ。「ええやん、ええやん!!」と心の中で叫びながら、奥までピントが来るようF11まで絞り、1/125秒のシャッターを切った。
(5)朝霧の姫川と白馬連峰(長野県)
2022年10月中旬、黒部峡谷・下の廊下の開通を待っていた僕たちは、姫川のビュースポットを訪れた。そこは長野県白馬村の北城地区にあって、蛇行する姫川と背後の白馬連峰がひとつの絵になる場所。午前6時10分。坂道を登って現場に着くと、先客のカップルがいた。挨拶をして、僕たちも展望の利くポジションに陣取った。ところが、周辺一帯は濃い霧に包まれ、白馬連峰はまったく見えなかった。
天気予報は快晴で、無風状態。一帯を包む霧は放射冷却によるものだろう。上空は晴れているはずだ。僕はそのうち霧が引くと読んで、待つことにした。午前6時40分、霧の状態に変化はなく、先客のカップルは諦めて帰っていった。「いや、絶対晴れる!!」そう思い、僕はパートナーと2人でさらに待機した。
そして、午前7時を過ぎたときだった。頭上の霧がにわかに薄くなったかと思うと、霧の中から白く輝く稜線が見え始めたのである。「来た、来た!!」期待を胸に膨らませ、さらに待っていると、左右に連なる稜線が徐々に姿を現した。朝霧に包まれた姫川と、その彼方に新雪を冠した白馬連峰。想定以上の絶景が出現。夢中でシャッターを連写した。
(6)黒部峡谷下の廊下・黒部川(富山県)
2022年10月下旬、姫川の取材から4日後。待ちに待った黒部峡谷下の廊下が開通した。この年は例年より積雪が多く、ルート確保に時間を要したためだ。危険個所の番線や桟道の補修、雪渓を高巻くロープ張り、落下しそうな礫の除去などなど。地元の山を知り尽くした達人たちが、毎年ルート整備をしてくれるのである。
開通を知った日の夕方、僕たちは扇沢のバスターミナルへ。そこで登山の準備をして車中泊。翌日は快晴の予報だった。そして、迎えた当日午前6時半、黒部ダム行きのバス乗り場に出向くと、すでに10人ほどの登山客が並んでいた。バスの始発は午前7時30分。下の廊下の開通を待っていた人たちが、やって来たのだ。午前7時46分、満員の登山客を乗せた始発バスが黒部ダムに到着。ダムサイトを出てヘルメットを装着、いよいよ旧日電歩道へと足を踏み入れた。今回は、白竜峡までの下の廊下を撮影し、そのままピストンして同ダムに戻る予定。ダムを出るバス最終便は午後5時30分。往復9時間半あれば、最終便に間に合うと踏んでいた。
初めて目の当たりにする下の廊下は、日本とは思えないスケール。その絶景ぶりに足を止め、ついカメラを向けてしまう。そして、歩を進めるにつれ、歩道と川面の距離は離れていった。気づいたら、切り立った断崖に架けられた桟道や、岩盤をくり抜いた半トンネル状の岩場を歩くことに。時々ヘルメットを頭上の岩にぶつけては、身をかがめて進むという具合である。そんなルートが続き、ふと前方を見ると巨大な雪渓が出現。厚さ10m超あるだろうか。「すごい!!」という言葉しか出てこない。雪渓を越えたら、今度は高さ15mほどの梯子が現れた。それを垂直に上り、水平となったところで振り向いた。すると、写真の光景が飛び込んできた。足場を固め、態勢を整えてレンズを向けた。10カットほど撮って先を急いだ。なお、奥の断崖に刻まれた水平な筋が、来た道である。
午後1時を過ぎ、ようやく白竜峡の手前(上流側)に到着。しかし、白竜峡の核心部までアプローチするには、時間も体力も残っていなかった。上流から望む白竜峡をカメラに収め、僕たちはUターン。一路黒部ダムへと引き返した。
(7)4河川が集まる河口・北川(福井県)
2021年11月、若狭湾に注ぐ北川を取材した。この川は九頭竜川とともに福井県を流れるが、国土交通省の管轄では近畿地方整備局に属する。全長30kmと短く、支流の数が12しかない。そんな小規模な北川だが、何といっても河口部が特徴的だ。
北川の河口付近に到着したのは、午後4時ちょっと前。晩秋の太陽が西に傾いていた。上空はスッキリ晴れていたので、落ち着いてドローンのフライト準備に入った。機体のアーム4本を伸ばし、その先端にプロペラを装着。そして、本体にバッテリーをセット。ドローンを飛行方向に向けて地面に置き、送信機の電源をオン。さらに、機体のバッテリーもオン。この状態で送信機モニターの必要箇所をタップ。すると、モニターにドローン搭載のカメラ映像がリアルタイム(厳密には若干遅れる)で映し出された。
午後4時5分。ドローンの3m後方に立ち、送信機の左右2本のコントロールスティックを斜め内側に倒した。と同時にプロペラがスムーズに回転。そして、周囲の安全を確認し、左のスティックをゆっくり前方へ傾けた。すると、ドローンは唸りを上げて上空へ飛び出した。地上100mの高度をキープ、北川に沿って下流へ水平フライト。風もなく順調に移動できた。モニターには北川だけではなく、そこに寄り添うように接近する3河川もとらえられていた。4つの川が寄り添って海に注ぐなんて、初めて見る光景だった。
(8)石垣の家並みと旭川(岡山県)
2019年11月、『日本の川』取材を始めた年だった。以前にも通ったことのある国道313号の真庭市勝山。旭川に沿って南下すると、左の車窓にレトロな石垣と家並みが連なる。通過するたびに「撮りたい!」と思うのだが、駐車スペースがなく断念していた場所である。しかし、今回だけは車を離れた場所に停めて、徒歩で国道を南下。すると、国道わきに川へ下りる階段があった。その踊り場に立つと、「ここや!!」ポジションはすぐに決まった。
晩秋の草紅葉が中州を彩り、対岸に石垣と古風な家並みが連なる。よく見ると、石垣にもそれぞれ個性があり、一軒ごとにその模様が違っているのだ。眺めているだけで楽しくなる。まさに日本の原風景だ。カメラを手に取りファインダーをのぞくと、ゆるやかな風にあおられ、ススキの穂が下流へとなびき始めた。なお、ここを流れる水は、下流で岡山城と後楽園の間を通って瀬戸内海に注ぐ。
(9)四万十川源流点(高知県)
2020年5月、初夏の四万十川を訪問。近年、メディアなどで最後の清流とよくいわれるが、その源流部を見てみたいと思った。四万十川は全長196kmの四国最長河川。ところが、遠い昔、四万十川の原型は現流路の半分ほどしかなかった。なぜ、流路が倍増したのか。そのあたりは新刊『日本の川・西日本編』四万十川の項目をチェックしてほしい。また、名の由来には諸説あり、非常に美しいという意味のアイヌ語「シ・マムト」から来たともいわれる。
午前7時50分、不入山(いらずやま)登山口に到着。身支度をしてカメラを抱えて入山。「どんな源流なんやろか?」わくわくする気持ちを抑え、歩を進めていった。新鮮な森の空気を吸い込むと、じつに気分爽快である。歩き始めて25分で目的地に到着。そこには、四万十川の源流点を示す白い標柱が立っていた。
周囲を見渡すと、岩肌には緑のコケが密集。木々が生い茂る薄暗い森の中だった。2条の流れが軽快な水音を響かせ、遠くからミソサザイの美声が聞こえて来た。じつに気持ちいいところだ。ここが四万十川の源流点。弾む心を落ち着かせ、僕は静かにシャッターを切った。
(10)砂漠緑化に貢献した山田堰・筑後川(福岡県)
2021年12月、九州最長の筑後川を取材。その中で、福岡県朝倉市の山田堰を見学した。この堰は江戸時代につくられ、何度か改修されたものの当時の原型を留めている。石造りの堰には2つの舟通しと1つの土砂吐、計3本の水路がある。流水は堰の下流で衝突、減衰するよう設計され、船通しは舟運に利用されるばかりか、魚道としての役割ももつ。そして、流水の一部は右岸の水門から流出、堀川用水となって地域の田畑を潤す仕組みだ。治水、利水に加え、生態系にもやさしいつくりである。
この自然素材を使った日本古来の土木技術「山田堰方式」を、遠く離れた海外で活用した一人の男性がいた。故・中村哲医師である。日本から6,300km離れたアフガニスタンの砂漠に、この山田堰をモデルにして長大な水路を建設。荒野と砂漠16,500haを農地に作り替え、アフガニスタンの人々の暮らしを支えたことは我々の記憶に新しい。
ところが、この山田堰方式(傾斜堰床式石張堰)は、国内で唯一ここにしかないのである。もっと他地域でも活用されてしかるべきシステムではないだろうか。山田堰の右岸には故・中村哲医師の記念碑があった。そこには直筆文字で次の句と署名が刻まれている。
「濁流に 沃野夢見る 河童かな」中村哲
Author Profile
北中康文(きたなか・やすふみ)。1956年大阪府生まれ。東京農工大学農学部卒業。スポーツカメラマンを経て、1993年より自然写真家として活動。全国1600ヶ所の滝をカメラに収めるなど、水をテーマとしていたが、水の器としての地質の重要性に気づかされる。2019年DUIDA認定ドローン操縦ライセンス取得。その後、3年半を費やし全国109一級河川を空と地上から撮影。日本の川の多様性に驚かされる。主な著書に「日本の地形地質」(共著)「日本の滝①②」「滝王国ニッポン」「風の回廊~那須連山~」「シャッターチャンス物語」「LE TOUR DE FRANCE」など。2007年「日本地質学会表彰」受賞。
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