「やりたいこと」探しを焦るな――新大学1年生へ2015――
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自分の人生の岐路が新しい局面に差し掛かる時、このような言葉を聞く人は多いだろう。
「自分のやりたいことをやりなさい」
勉強やバイトなど個別的なアドバイスよりも、このような言葉の方が自分の人生全体を考えてもらっているように感じられる。しかし、言葉とは裏腹に「自分のやりたいことは何だろう」という疑問が生まれてしまい、多くの時間を割くことになる。
大学4年生になっても、やりたいことが不明瞭で数十年ある社会人生活を中途半端に過ごそうとしている人もいる。もしくは、やりたいことを見つけるために壮大なコストをかけようとする人もいる。
やりたいことという欲求を設定するには、相応の動機が無ければ難しい。普段の生活で見たしている睡眠欲、食欲、性欲は身体が反応するから動機が生まれる。「やりたい」という自己実現の欲求は、維持することが難しいのだ。
「芸術は爆発だ」で有名な岡本太郎は何気なく始めたことに無意識のうちにのめり込んで、そこから情熱が生まれてくるのだと言っていたといわれている。情熱を持って何かを始める人は少ないかららしいが、それは続けてこれた人が少ないという意味かもしれない。
例えば、オタクと呼ばれる人々も、普段目にするようなTVやインターネットのようなメディアでオタク文化に触れてから、のめりこんでいったのだと思う。往々にして、趣味・考えを偏らせる経緯はそのような薄い動機から始まるのかもしれない。
情熱についてもう少し踏み込むと、社会学者の宮台真司氏が用いている「内発性」と「自発性」を使うと分かりやすい。
宮台氏は、著書『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』の中で、損得勘定で物事を判断して選択することは私たちの「自発性」、判断が損得勘定を超えることは私たちの「内発性」に起因しているとしている。
アルバイトを考えるといい。お金を稼ぐために時給が良いがやりたくないアルバイトを短い時間こなす人と、自分のやりたいアルバイトを長い時間行う人がいるとする。アルバイトで稼いだ総額が同じとき、内発性に沿った後者の方がアルバイトの満足度は高い。前者はお金・時間の使い道を考える必要があるが、「自発性」で動く人がどのような使い方をするか言うまでもないだろう。
情熱というのは、内発性の発揮によって得られるのだと思う。アルバイトとどのように付き合っていくかという問題は、アルバイトに対して内発性の発揮によってどのように自分をマネジメントするかという問題に再設定できるのではないか。
やりたいことを見つけるために、自己分析を焦って繰り返す必要はない。
筆者:タンタル
経営学徒だが、社会学・文学・哲学・サブカルチャーまで手を出している。主な著作に、評論「Charles×タンタル往復書簡 ~映画『楽園追放-Expelled from Paradise-』について~」(2014年秋フリーペーパー)、エッセイ「二〇二〇年東京オリンピックに向けて持続可能な社会を考える」(『文/芸』Vol.6)。