ユニコーンのように
「まるで遊牧民ですね」
そう言葉を発したのは、眼の前に立っている農業高校の先生。
「ぼくたちみたいに土をいじっている人間には考えられない生き方です」
地方巡業する劇団の裏方をしていた時期があった。
街から街へと渡り歩き、高校の芸術鑑賞の授業でお芝居をする。
劇場なんてどこにもない小さな町に行くこともあって、そんなときは体育館に機材一式持ち込んで一日だけの劇場を作りあげる。
ある日、公演が終わって出発までのつかの間、機材を詰め込んだトラックの脇で学校の先生と立ち話をした。
「毎日、こうやってお芝居を続けているのですか」
「そうです。設営して、お芝居をして、片付けて、移動して。毎日こんな感じです」
「遊牧民」
もう20年も前のことだけど、そう呼ばれたことはずっと心の片隅に残っている。
あの先生は自分にはできない生き方だと言ったけど、ぼくはこういう生き方しかできない。
通り過ぎる風のようにしか生きられない。
旅公演はいつもそう。
いろんな土地を回るけどほんの数日しかひとところにはとどまらない。
公演する時間はたった2時間ほど。
その特別な2時間を届けるためだけに旅を続けていた
はじめからそれを望んでいたわけではないのだけど、いつしかそんな暮らしが肌に合うようになってしまった。
ただ通り過ぎるだけではなくて、なにかを、一瞬だけ弾けるように輝くなにかを残して去っていく毎日が。
「最後のユニコーン」というぼくが生まれた1968年に書かれたファンタジー小説がある。
地上にただ一匹残されたユニコーンが消えてしまった仲間を探す物語。
そのなかにユニコーンは「夢を見るのではなく夢見られる」存在という言葉があった。
ぼくも夢見られる存在でいたいと願う。
例えば地元で暮らす人たちの宴会で、
「そういえば、昔あんな人がきたよね」ってときたま話題になる。
そんな酒のツマミになる程度の爪痕が残せる旅人でいたい。
夢がすこしずつ失われようとするこの世界で。