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帆船トップオタが見た、Stad Amsterdam

こんにちは。ぶんごーです。

これまで25年間、日本の帆船の何隻かに、主にボランティアクルーとして関わってきました。
また海外の帆船にも何隻か乗船してきています。
これまで乗ったことのある帆船は9隻。

・あこがれ(セイル大阪 ボランティアクルー)
・海星(日本セイルトレーニング協会 ボランティアクルー)
・海王丸(海技教育機構 研修生)
・咸臨丸(ハウステンボス ボランティアクルー)
・Lord Nelson(Jubilee Sailing Trust 乗客)
・Irvin Jhonson(Los Angels Maritime Institute 視察)
・Swift of Ipswich(LAMI 視察)
・Ami(アミヨットクラブ ボランティアクルー)
・みらいへ(Zeri Japan ボランティアクルー、ペイドクルー)

Irvin Jhonsonは停泊中に乗っただけだけど、マストに登ってガスケットしたので、まあ乗ったってことでいいかなと。船内に泊まったし。
みらいへとあこがれは同じ船だけど、運営が変わって、船内の体制もまるっきり変わってるので、別の船にカウントしてみました。

初めてこれまで乗った船のリストを作ってみましたが、25年は長いですが、それでも9隻はなかなか多いのではと思います。
身の回りに帆船好きは多くいますが、これだけ乗ってる人は知りません。
自分で自分のことをマニアやオタクだと思ったことはありませんが、リストを見るとかなりハイレベルのオタクなんじゃないかと思えてきました。
オタクのなかのオタク。まさに「帆船トップオタ」じゃないでしょうか。

今回、乗客として乗船した Stad Amsterdam はぼくにとって10隻目の帆船。
数多くの帆船を見てきたトップオタの視点から、帆船 Stad Amsterdam の特徴やその運用方法について語っていくのが、この投稿です。

有料記事ですが、ハッキリ言ってマニアの方以外には払っただけの価値はないと思います。
逆に、帆船好きな方には面白い話がたっぷりと。
そして、なんがたわからないけど帆船の世界を垣間見たいという方にもおすすめです。

■だいたいこんな感じ

まずは Stad Amsterdam の仕様を公式webサイトから引っ張ってきてみますね。

全長 76m
全幅 10.8m
セイリングの最高速度 17kt
エンジンでの巡航速度 11kt
セイルリグ 3本マストシップ型
セイル枚数 31枚
マスト高 46.5m
トン数 723トン
ハル スチール

ちなみにですが、船の大きさを表す「トン」は容積を表す単位で、重さを表すトンとは別物です。
船で問題になるのはどのくらい積荷が積めるか(それによって税金や岩壁使用料などが変わってくる)です。
なので重さではなくどのくらいの容積があるのかを示すのですが……

このトン数、実はいろんな測り方があって、呼び方もいろいろあります。
総トン数(国内と国際では別計算)、純トン数、容積トン、パナマトン、スエズトン…
これは容積ではなく重さを示すことになるのですが、排水トンという単位もあります。

Stad Amsterdam は特になにも表記がないので、おそらく国際総トン数だと思われます。
ちなみに「みらいへ」が320トンなので、わりと大きいですね。

■「クリッパー」という船

Stad Amsterdamの正式名称は "Clipper" Stad Amsterdam。
その名の通り「クリッパー」というタイプの帆船です。
19世紀初頭から作られるようになったもので、Stad Amsterdam は当時のクリッパーをモデルにして造られています。

クリッパーというと、ウイスキーの商品名にもなっているカティーサークが有名です。
長距離で貿易するのが目的で、なるべく早く走るために、積載量を少し犠牲にしても、最高速度が出るような構造になっています。

クリッパーの代表選手 カティーサーク

どうしてそこまでスピードが重視されていたかというと、そのまま利益に繋がっていたからです。
カティーサークもそうですが、当時クリッパーはヨーロッパとアジアを結んで中国産のお茶の運搬によく使われていました。
それまで、一年から二年かかっていたのが、クリッパーでは3-4ヶ月まで短くなったそうです。

アジア航路には当然、いくつかの会社のいくつかの船が投入されていました。
それらの船は、毎年お茶の収穫が終わったほぼ同じ時期に中国を出航します。
果たしてどの船が最初に荷を下ろすのか、そのことも注目されていましたし、当たり前ですが早くついたものほどいい値段で売ることができました。
船の速力はそのまま、いいPRにもなったのです。

しかし19世紀はまた蒸気船が一気に発達した時代でもあったのです。
最初の頃はスピードでもコストでもクリッパーシップが、圧倒的に有利でした。
帆船はまだ遅かった蒸気船の倍近いスピードが出ましたし、石炭などの燃料も必要ありませんでした。
ですが、蒸気船の性能がよくなり、また石炭の補給ネットワークもできあがったことで、クリッパーの優位性はだんだんと失われていきました。

そして、1869年に地中海と紅海を結ぶスエズ運河が開通。
これによってアジアとヨーロッパの距離は劇的に短くなり、長距離輸送においての帆船のメリットは失われていきました。
前出のカティーサークも後期はお茶からオーストラリアとの羊毛貿易へと航路を変えています。

帆船が活躍した時代の最後にして最速。
それがクリッパー船の特徴です。

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