朝風呂と猫と読書と
猫と朝風呂に入る。正確には、猫が湯船の蓋に乗って、一緒に居る。猫が湯船に浸かる訳ではない。妻の優子が風呂で読書をしていたので、謙也も真似をした。優子は、本だけではなく、タブレットまで持ち込んでいる猛者である。しかも、2時間くらい入っているので、風呂場が書斎と化している。
謙也は、祖父と一緒にお風呂に入ると歌ってくれた「小原庄助さん、朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上潰した」と言う歌を思い出す。「会津磐梯山」と言う民謡の中にある曲だ。そのサビだけを祖父がきげんよく繰り返し歌っていたので覚えてしまった。本当は、「会津磐梯山は宝の山よ」で始まるようだが、一回も聞いたことがなかった。
謙也は、身上を潰せない。身上を潰すほどの金もないが、朝風呂に酒の代わりに本を持って入る。祖父は、タライ一杯だけのお湯で、全身を洗い、それだけで入湯して済ませる無駄のないお湯の使い方をした明治男だった。晩酌も毎晩1合と決めて、それ以上飲まない禁欲的な生活をする男だった。
謙也は、間近でその姿を見ていたが、とても真似が出来ないと諦めた。明治男の実直で堅実な生き方は、現代人の鏡であるが、実践できない厳しさがある。それでも、それをやらせるような野暮な祖父ではなかった。自分だけの規律である。それがまたすごいところだった。粋でいなせな感じが好きだった。
本人から聞いた訳ではないが、隣町まで二里くらいあった。歩きしかなかったので、祖父は大変な思いをして、若い頃、賭場の開いていた場所まで行って、遊んでいたそうだ。
若いと言っても、年上の祖母と結婚していたので、やさぐれていた様だ。そんな話を何度も息子である父から聞いた。多分、女遊びも、凄かったと想像する。いわゆる、モテたと思う。謙也は、祖父の愛情溢れる言動(教育)で育てられたような気もする。
そんな祖父も癌には勝てなかった。謙也が、就職して、子供が出来たその年に、あの世に旅立ってしまった。早朝、けたたましい電話音で目が覚めた。「容態が悪くなってしまいましたので、病院に至急お越しください」と厚木病院から電話があった。とりあえず、会うだけでもと面会に言った謙也は、病室で心臓マッサージを受けている姿に遭遇した。医師が、電気ショックで心臓目掛けて、銃のように何度もショックを与えるが、何の反応もなかった。「ご臨終です」と優しく言われた。
すでに、余命何日と宣言されていたので、悲しみより痛みから逃れられて良かったと心底思った。病院から実家に電話が通じたらしく、遺体処理をするために退席し、霊安室まで運ばれるまで見届けた。謙也にとっては、大事な祖父の死に出会えたことを感謝している。
小学校の頃に祖母が死んだ時と違い、祖父の死に直面したことで、時代が終わったと直感した。新しい生命がすぐに誕生した。謙也の息子が生まれたのだ。まるで、入れ替わるようなタイミングだった。
半年が過ぎた頃に、お風呂に赤ん坊と一緒に入れる許可が降りた。おっかなびっくりしながらも、頭をしっかり抑え、一緒に入った。「こいつが、早く大きくなって一緒に酒が飲みテェ」と発したのが第一声だった。今や、猫がお供について来る。温泉以外は、一緒に入ることもない親子の関係だが、裸の付き合いは、一生ものだと言われた。裸姿を見ているのだから、親には刃向かえないはずだと謙也は思っている。
今日読んでいるのは、2008年に生涯の幕を閉じるまで、少女小説ブームを牽引した氷室冴子の作品『さよならアルルカン』だ。傷付き、傷付けながら自分を取り戻す少女の姿が話題をさらった作品だ。少女の心のひだが複雑で、無骨な謙也には、ピンと来ないこともあるが、とにかく面白い。読み進んでしまう。とは言え、風呂場なのです、ちょっと寝こんでしまうが、猫も湯船の蓋の上で座っている。猫も一緒なので、心強い。何とも、優雅な朝風呂である。猫と本と湯船が妙に合う。「写真撮って」と写メを優子に撮らせる。何だか、幸せ一家と記したくなる。
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