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明けない朝はない。諦めない図太さ

速攻で願いが叶う神社がある。家の近くに弥生神社である。今日は息子が編集とニュープロジェクトについて話合うそうだ。上手く行くように願った。「私も新事業の結果が出始めた。めでたしめでたし。本当にこの神社はよっしゃよっしゃと田中角栄がいるみたいな神社だ」と謙也が喜んでいた。

早朝7時40分に家を出た。テレビがないので、適当に家を出た。優子は、デニムのワンピースにタータンチェックのウールの布を腰に巻いて、厚手のウールの紺色のコートを着ている。首にはダウンのマフラーを巻いた防寒スタイルだ。謙也は、ジャージのパンツに、ラガーシャツとパタゴニアの古いダウンジャケットを羽織っている。

「お昼にラーメンを食べに行きましょう」と言うメモをテーブルに置いてきたので、11時頃には帰る予定だ。神社は、石段を登ると社務所のあるところが広場になっている。そこには、昔お祭りで芝居などをやっていた舞台がある。そこのベンチで一休みした。早すぎるので、太陽の陽がささないが、いつもはこのベンチで日向ぼっこができる。

そこからまた急な石段を登ると神社が現れる。賽銭箱に10円玉を投げて、2礼2拍1礼をする。「息子がうまく行きますように」と願った。「ついでも私も小説が上手く行きますように」とついでに願った。10円でも聴いてくれる神様だから、真剣に願う。

市内の住宅や大山が見渡せるベンチに三人のおばあさんが座りながら、大声で笑っていた。謙也が「お元気ですね」と声をかけると勢いよく大声で笑って「おはようございます」とハモリながらた。地域の交流は、些細なことで始まる。

土と石で出来た階段を登ると「龍峰寺」という寺がある。神社と寺が隣に合わせにある便利な場所だ。臨済宗建長寺派の寺院である。1341年に創建され、昭和初期に現在の場所に移された寺である。ここの住職一家は花木が大好きで、庭に花木に名前を記している。名前もろくに知らない謙也たちには、本当に助かっている。「写真を撮っても名前が分からないとフェシスブックにも書けないからね」と謙也は、知ったかぶりができるので助かっている。

龍峰寺の裏側にお墓がある、そこを抜けて、坂道を降ると住宅街がある。ずるずると降りていくと畑と住宅が入り組んだ細い道をいく。大きな道路にぶつかる。右手の歩道を歩くと上に相模鉄道の陸橋がある。朝の8時台は、通勤通学の時間帯だから、ひっきりなしに電車が行き来する。

そこを超えて、信号にぶつかると歩道があって、橋がある。目久尻川が下に流れている。橋にには、河童の石像が両端にあって、誰か分からないが、洋服を着せている。ケーブル編みの緑のニットワンピースと帽子が着せてあった。マスクもしている。マスコットのように大事にされている河童だが、本当は、悲しい物語があった。

こんな話が残っている。『河童が増え続け、作物や川魚を食べてしまったことで、人間が怒り始めた。「畏れ多くも寒川大明神(※相模國一宮・寒川神社の御祭神)にお供えする作物を奪うとは不敬千万!あんな奴らは神様ではない!」村人たちは手に手に鍬に鎌に松明を持って川に集結。その上流と下流から総力を挙げて「川狩り」に乗り出したのでした。』という話が残っている。架空の河童の正体はあったのか否かは謎だ。

ただ、目久尻川の側道が工事で通れないので、遠回りしながら杉本小学校の門近くの道まで歩いた。その樋面にローソンがある。そこで、助六とおにぎり一個を買って、途中の自販機でお茶を買って、北部公園のベンチで朝食のおにぎりと助六を食べた。

誰もいないベンチで日向ぼっこをしながら食べていられる優雅さに酔いしれてしまう二人であった。よくぞ、ここまで生きてこれたものだと言う実感を味わっているように見える。

業務スーパーが246号線にある。豆腐や発泡酒、ドイツ製のチョコレート、缶詰、野菜などを買って、帰路についた。往来の多い国道は、絶え間なく車が通る。信号まで5,600メートルあるが、そこまで一緒に歩くが、横断歩道を渡り、反対側の歩道を歩き始めると謙也は、優子に「先に帰ってくれる」と言う。

同じ歩調で歩く自信がないので、お願いする。ガソリンスタンド前にタイの寺院がある。そこに座れるスペースの台座がある。そこでひと休みする。そこから一気に家に向かって歩く。ゆっくりゆっくり歩く。どこが悪いのかと聞かれても、はっきりわからない。とにかく、足も腰も痛い。

そんな具合で散歩が終わると、万歩計アプリを覗くと1万歩と表示されている。汗だくなので、下着もラガーシャツもびっしょりと濡れている。そのまま、洗濯機に放り込んで、新しい下着をシャツに着替えた。「12時から打ち合わせが入った」と息子に言われた。ちょうど11時をすぎたところなので、庭にある枯れ木を鋸で切って、明日の燃料用に準備をした。

12時半に打ち合わせが終わり、なんだか息子が機嫌が良い。大成功みたいだ。その機嫌の良い状態で、中華屋に行くことにした。親子三人で出かけるのは久々だ。「宏源居」は、リーズナブルな中華屋さんで地元で愛されている。中国人の店主と店員と女将と三人でやっている。

それぞれが、麻婆豆腐の定食、上海焼きそば、ラーメンと半チャーハンのセットを頼んだ。もちろん、息子と謙也は、生ビールをジョッキでたのんだ。予祝だ。「予祝とは、あらかじめ期待する結果を模擬的に表現すると,そのとおりの結果が得られるという俗信にもとづいて行われる。」(コトババンクより)

謙也達は、何かと予祝をする。その通りの結果などは気にしないで、期待することが重要だとの判断だ。今回は、期待する結果が出た。何しろ、思い描くことが重要だと思っている。諦めない図太さと執念に近い根気の良さは、謙也の真骨頂である。「明けない朝はない」はずだ。


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