春が来た 春が来た どこに来たの
雨が庭を激しく濡らす。桜雨、花の雨、春時雨(はるしぐれ)、春のにわか雨、桜のころなら「花時雨」など、様々に雨を示す言葉がある。桜雨は、まさに今を表していると謙也は思った。一方、性的な欲望の「春情」 や活動の盛んなとしごろの青年期の「青春」など春は様々に使われる。それだけ使い勝手がいいワードでもある。
春は花々や木々の芽吹きの季節。若葉、青葉が咲き乱れ目にも爽やかな季節だ。これからソメイヨシノの桜が咲く。青空がピンクに染まる。誰もがこの時期を待ち焦がれ、桜の木の下で宴会が行われ、大騒ぎする。それもコロナ禍の中では、虚しいかな何もできないこととなった。
花を愛でるというよりそれを理由に馬鹿騒ぎをする口実でもある。「建前と本音」を使い分ける日本人の本質に迫る心情なのかもしれない。仲間が集まり、酒を酌み交わしながら、コミュニティを広げ、人となりを知る絶好の機会でもある。しかもオープンスペースの空の下で繰り広げられる宴会は飲めや歌えの狂乱乱舞、無礼講となる。
無礼講とは、身分・地位の上下を抜きにして楽しむ酒宴。「無礼講の概念そのものは、日本では古代からあったと考えられる。しかし、具体的に『無礼講』という名称を用いたのは、鎌倉時代末期、1320年代初頭に、公卿・儒学者である日野資朝とその親戚・同僚の日野俊基が開いた会合が、史料上の初見である。 」とウィキペディアに書いてあった。
無礼講といえども、礼節を重んじる国だから、節度を弁えないと後で大変なことになる。これにも建前と本音が潜んでいる。最近は、若者たちが団体行動を嫌う傾向にある。すでに、会社組織や上下関係のある組織での宴会や花見は無くなり始めている。このコロナで一層無くなる傾向だ。
酒好き、女好き、歌好きな上司や中年にとっては、生きる術を無くしたようなものだ。ブルーシートを敷く場所取りなどの会場設営や飲食の手配などの雑用を強いられる新人や若者にとってもコロナ禍のこの状況は天国にいるのような気持ちだと思う。
春の味という発泡酒やビールなどが発売されている。当然、春の味を試したくなるものだ。それほど極端に変わっている訳でも無いが、美味しく感じると謙也も思う。それは私見だが、春というイメージから脳が判断する。春を買うは、禁句になってしまった。売春という悪のイメージが強い。意外にイメージ操作されているものだと気付く。
もやもやとした季節だから、そうなるのか、芽吹き始まる季節独特のものなのか分からないが、とにかく、この季節は恋の始まる季節でもある。期ごとの区分では4月・5月・6月を春という。気象学では3月・4月・5月を春という。
二十四節気(春)の一覧ではこうなっている。
* 立春(りっしゅん) 暦の上で春が始まる日。
* 雨水(うすい) 立春から15日目。
* 啓蟄(けいちつ) 土の中で冬ごもりをしていた虫が、はい出るという意味。
* 清明(せいめい) 春分から15日目。
* 穀雨(こくう) 春雨が穀物の発芽をうながす時期。
* 春分(しゅんぶん) 春の彼岸の中日で、大陽暦で3月21日ごろのこと。
春分が終わると立夏の夏になる。二十四節気の方がわかりやすい場合が多い。国立国会図書館によると「二十四節気(にじゅうしせっき)は、今でも立春、春分、夏至など、季節を表す言葉として用いられている。1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもので、「節(せつ)または節気(せっき)」と「気(中(ちゅう)または中気(ちゅうき)とも呼ばれる)」が交互にある。太陰太陽暦(旧暦)の閏月を設ける基準となっており、中気のない月を閏月とした。」とある。春夏秋冬を6つに分けて24あるので親切なガイドラインのように思う。
四季があるだけでも幸せだと痛感する。南極、北極、赤道付近などや砂漠地帯、熱帯地方、極地などでは一般的に四季の変化が少ない国も多い。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、ピタッと彼岸を境に寒さが和らぐ。謙也は、四季のある日本に住んでいる幸せを味わっている。
童謡「春が来た」を口ずさむ謙也がいた。
高野辰之作詞
春が来た 春が来た どこに来た。
山に来た 里に来た、
野にも来た。
謙也は幸せだと実感している。
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