おでん屋狂想曲
おでんの屋台が渋谷の京王線の下に二、三軒あった。テント張りで、十人も座れば満席だった。やり手ばばあが、凌ぎを削っていた。
そこに、翔平とケンヤと翼がいた。ケンヤと翼は、背が高いので、テントぎりぎりで、頭がテントに痞える。牛乳瓶のような厚いコップにアルミの噐で注がれる熱燗をごくりと呑んでいた。
「ばばあ、竹輪とはんぺん、大根、牛すじ」とばばあ呼ばりしながらも、酒が進む。普段はビールから飲むのに、酒が似合う。
女将は、屋台のリヤカーを近所に預け、運んできてもらう。殆どの具材は、テキ屋から買う。
「アイツらから全部買ったら、儲けがなくなるから、牛すじなどは、自分で仕込んでいる」とこっそり客がいない時に教えてくれた。
それでも、戸越銀座近くにマンションを持っていて賃貸で貸していると言う凄腕の女将だ。それが自慢の女将は、客捌きも上手い。三十分もすると追い出される。
渋谷の一等地だから、それくらい強引にやらないと回転率が下がつて儲けが減る。経営コンサルタントが驚くほど、巧みな経営術を独学で習得している。
それがある日突然、ビルの工事に伴い、撤去されていた。屋台は、保健所の「食品衛生免許」最寄りの警察署の「道路使用許可書」「道路占拠許可書」などが必要だが、今は、個人営業では、許可が下りない。ただし、博多の屋台は原則一代限りで許可されているそうだ。
時代の流れに逆らえない。渋谷の屋台文化が、あっさり消えた。
「ばばあ、何処に行ったんだろうね」とケンヤが心配した。
「あのおばさんなら、金をたんまりため込んで居るから大丈夫だよ」と翼が言う。
「ある意味、経営の神様みたいな女将だから
なんか新しい商売やってるかも」
と翔平も気に留めていてはいない。
それでも、渋谷を俯瞰するとビルの中にすっぽりハマってしまった飲み屋、居酒屋、バー、割烹など、ネットで探さならければ、目に見えない店ばかりになったと実感する。
隙間風がピューピュー吹く冬場も、汗だくで食べる夏場も、おでんを通して気軽に憩う場が消えた。都市開発は、どんどん進んでいる。高層ビルで埋め尽くされた渋谷。昭和もノスタルジーもセンチメンタルも消えた。のんべい横丁などの飲み屋街も点在しているが、いずれ、消えそうだ。灯火も消える。
三人は、考えた。「昭和思い出ぽろぽろ」と言うサイトを作ったら、みんなが直ぐに見つかる飲み屋が見つかる。知識は無いがヤル気はある。老人社会だからこそ、懐かしさと親しみやすさのある店を紹介したいと思った。
「よし、やろう」
「ユーチューブで毎週、一軒づつ紹介しよう」
「綺麗なお姉さんにレポートさせて、オヤジたちの気を引けば、見るかも。」
「バンツが見えるくらいのミニスカートを履かせれば、エロ爺なら絶対見るよ」
と呑気な事を言って楽しんでいる三人。
「三匹のおっさん」のドラマみたいに歳はくっては無いが、人のために、自分のためにやろうとしていた。
夢は必ず叶う。やり遂げる自信と勇気があれば。ちょっと、エッチなことを考えたとしても。そう思う三匹の中年だった。
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