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おにぎり一個からメディアミックスに
謙也は本を読みながら、一時間ほど半身浴をしている。朝風呂なので、蛍光灯の光だけで充分な位読める。図書館で借りてきたので、本はいっぱいある。優子が握ってくれたおにぎりが一個テーブルに置かれていた。半身浴は、風呂上がり後に滝のように汗をかく。当然、水分だけでなく、腹が減る。おにぎり一個が、身に染みる。
人は空腹時に、食い物を貰うと感謝の気持ちがピークになる。今がそれだ。食糧難になったら、私は草でも平気で食う。謙也はそんな時代を通り越して来た。なんでも食う。食糧難は怖いがそれが人間の証明でもある。
「人間の証明」といえば、映画が公開された。有名な台詞に「母さん、僕の帽子どうしたのでしょうね」という映画予告のテレビCMが毎日のように流れた。本当は、西條八十の詩がオリジナルであるそうだ。「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」。
ジョー山中が歌う「人間の証明」のテーマソングもヒットし、ベストテン入りを果たしている。また映画公開に合わせ、文庫フェアも行われ、森村誠一は一躍、ベストセラー作家に躍り出た角川商法"と言われた大々的なメディアミックス戦略も確立させた話題作であった。
Wikipediaで調べるとあらすじはこうだ。『高層ホテルのエレベーター内で、胸部を刺されたまま乗り込んできた黒人青年ジョニー・ヘイワードが死亡した。麹町署の棟居弘一良刑事らは、彼をホテルまで乗せたタクシー運転手の証言から、車中でジョニーが「ストウハ」という謎の言葉を発していたことを突き止める。さらにタクシーの車内からは、ジョニーが忘れたと思われるボロボロになった『西條八十詩集』が発見された。一方、ジョニーが殺害された同時刻に、ある女性が何者かにひき逃げされる事件が起きた。犯人は有名ファッションデザイナー八杉恭子の息子である郡恭平だった。恭平は豪雨の中で運転していた最中、飛び出してきた女性に気づかずに轢いてしまったのだ。発覚を怖れた恭平は女性の遺体を東京湾に沈めたが、翌日、女性の夫から捜索願が出された事により事件は公になった。恭平は恭子に事件のあらましを全て告白し、恭子は恭平にアメリカへ逃げるように指示する。その頃、棟居刑事は「ストウハ」がストローハット(麦わら帽子)を意味すると推理した。実際に事件現場であるホテルの回転ラウンジの照明が麦わら帽子状に見えるため、ジョニーがそれを見てそう思い込んだと解釈した。』
センセーショナルな映画告知だったので、多くの日本人が覚えている映画だった。松田優作・岡田茉莉子・ジョージ・ケネディがそれぞれ過去に一物を持つ人物を演じた。「菜々のこれが私の生きる道」によると「テレビを使って、大々的に映画の宣伝をしたのも角川映画が初めてだった。それまで映画の宣伝をテレビがしなかったのは、テレビでの映画宣伝費が高額だったためと、テレビ業界、映画業界双方ともに相手を嫌っていたのが原因だった」と言う。ある意味革命が起こった角川戦略だった。
竹野内豊、夏川結衣、大杉漣、高岡蒼佑、横山めぐみ、松下奈緒、りりィ、鹿内孝、堀北真希、緒形拳、風間杜夫、國村隼、松坂慶子など錚々たるキャストが演じるテレビドラマも1978年には放映された。視聴率も20%超える大ヒットとなった。今の「鬼滅の刃」のようなヒットとなった。
角川映画はその人気シリーズを1970年代から80年代にかけて、次々とメディアミックス展開していく。謙也が印象に残っているのは、金田一耕助の横溝正史シリーズでなく、赤川次郎原作の薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」だった。1981年のことだった。
主演の薬師丸ひろ子は、中学1年生の時、角川映画第3弾『野性の証明』の長井頼子役にオーディションで選ばれ、高倉健との共演で1978年に映画デビューし、1980年に相米慎二の監督作品『翔んだカップル』に初主演する。翌1981年に再び相米監督作品に主演した『セーラー服と機関銃』が大ヒットした女優である。
角川映画といえば、薬師丸ひろ子という印象を今でも受けるのは、この「セーラー服と機関銃」だった。謙也も薬師丸ひろ子の個人的にファンだったようだ。大人になってもドラマ『木更津キャッツアイ』(宮藤官九郎脚本)を真剣に見ていた。美礼先生(浅田美礼)役の薬師丸ひろ子は、木更津第二高校で古文を教えている。岡田准一演じる公平たちの恩師。国語教師であるが白衣を着用している理由は大学時代に共に教員を目指しながら志半ば病に倒れた先輩から譲り受けたもの。裕福な家庭の一人娘でいまだ独身という役は、コメディドラマまでこなす大女優の円熟さを見せつけた。
角川映画と薬師丸ひろ子のおかげで、様々な映画、テレビドラマ、そして本と出会えた。巨額な金額を使えば、メディアミックスが可能だ。今なら、YouTubeやNetflix、Amazonを使えば、大成功する。ただ、コンテンツの面白さも重要だ。キャストも大切だ。そんなことを思っている謙也であった。