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お人形を抱えた少女



散歩途中にいろいろな人たちに会う。杖をついたのろのろ歩く老人や足早に駅に急ぐOLやスーパーに向かう主婦やジャージを着たランニング中の男性など覚えきれない人たちに会う。年末休みで夫婦と子供二人の帰省する家族がいた。全員、笑顔で満ちていた。5〜6歳女の子がぬいぐるみの人形を大事そうに手に持っていた歩いていた。今はやっているような人形でなく、お母さんから受け継がれたぬいぐるの人形のような感じがした。それでも、綺麗なままの姿をしている。敦は、ぬいぐるみ人形といえば思いだしてしまうことがある。

学生時代に、とても素敵な光景を観た。シベリア鉄道の車窓から一瞬で通り過ぎたが、忘れられない光景だった。布で拵えた女の子のぬいぐるみ人形が、古びた窓に置かれていただけのことだった。忘れられないのは、湿地の中の貧しそうな一軒家に人形が置かれていたことだった。敦は、貧しい頭で空想した。少女がシベリア鉄道で私も旅がしたいと願って置いたはず。もう一つは、寝たきりのお婆ちゃんが、旅がしたくていられないので、願いを込めて、シベリア鉄道の乗客に向けて毎日祈っていた。そんなことを考えていた。その時、こんな詩のようなものを書いていた。

「多くのもの全てを失ってしまえ。
多くをダメにしてしまえ。
それでもお前は幸福だと言うであろう。
その時、お前は幸福だという。

お前の手を見るがいい。
垢とごみとの染みついたその手が
いつか美しいものに触れる
その感触を忘れるな。

多くの幸福を見るがいい。
だが、小さな少女が
ボロ布で人形を作っている顔。
その顔を見るがいい。

お前を苦しめる多くとは、いったい何だ。
お前の体に巻きついた蔦を
取るだけに気を取られるな。
お前の頭上には、蛇が赤舌を出して待っている。

貧しさがお前を訪れた時、
それはお前が多くのものを手に入れた時だ。
お前は常に貧しくあれ
そうすれば、常に幸福であろう。」

と妙なことを書いた詩の中に、小さな少女がボロ布で作っている人形が登場していた。ノートには、1971年7月5日と記されていた。今でも、忘れならないことがある。今日会った人形を持った少女も忘れられない一人になったようだ。

1969年にヒットした弘田三枝子の「人形の家」は失恋ソングだが、忘れられない曲の一つだ。広田三枝子は「小さな日本のジャズシンガー」として知られていた女性だが、2020年7月に亡くなった。

🎶ほこりにまみれた人形みたい
愛されて 捨てられて
忘れられた 部屋のかたすみ
私はあなたに 命をあずけた🎶
(作詞:なかにし礼)

他にもノルウェー人劇作家イプセンの『人形の家』がある。仲良し夫婦の妻ノラが夫ヘルメルに黙ってした借金がばれ、その後のごたごたでノラが人間として生きることに目覚める物語だが、自然主義作家としても有名で、田山花袋をはじめとして、日本の自然主義文学にも影響を与えたと言われている。人形にまつわることは意外に多いと敦は驚いている。

敦達の団塊世代には、物質文明に毒され過ぎたための反動で、ぼろ人形や土臭い人形に憧れる傾向がある。妻の瑠璃子は、全くと言っていいほど人形に興味がない。それよりもアカデミックなことに興味があるので、怨念や魂などには無関心だ。逆に敦は、そんなところに惹かれているように思う。メルヘンチェックなのは男の方だと最近思ってきた敦であった。夢見るジジイが、一番気持ち悪がられるのに。

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