友達を神格化している
友達の言動で一喜一憂してしまう。
嫌われていないか心配になってしまう。
そういうことがあるから、なんでかな~と考えてみたのですが。
たぶん私は周りに期待をしているのですよね。
甘やかされて良くしてもらって当然
というよりは、
友人たちを神格化している
というほうが近い感覚だと思います。
それは職場でも同じようなことが言えます。
先輩後輩関係なく、アドバイスを一旦、心底、真に受けてしまうのです。
親から心配されたときもそう。
けれども、目の前に起きていることを受け入れるなり、自分の選択が正しかったと思えるように努力する覚悟なり、人生への責任なりがあればある程度のことは受け流せると思うのです。
未だに、ちょっとした言動に傷つきかけるけど、それは相手の都合だろうと受け流せます。その話題に関しては価値観が違うというのも考えられるけど。気分で言っているだけかもしれないし、どちらかに余裕がないのかもしれないし。
実際、いつもこんな風に哲学的というか、深く考えているけれど、割りと
「そんなみんな深く考えてないよ」
と言われることが多いのですよね。
それを更に、社交辞令かしら、と考え込むほどの私。
内気というより、ひたすら内省的なのかもしれません。
さて、この連休も友人たちとたくさん会っています。
幼馴染みだったり学生時代からの友人だったり、1対1だったりグループだったり。
子どもの頃から、グループでの付き合いは苦手で、上手く話せているか嫌われていないか心配になることが多かった私。
徐々に周りを楽しませることへの意識が割合高くなってきて、見える景色や心持ちが変わってきました。
そのうえで、素でいられる感じがします。
グループ付き合いでも、足並みを揃えねばという協調性をすごくすごく気にしていたけど、一人ひとりとどんなふうに関わりたいか自分で分かっていれば良いのかなというふうに考えが落ち着きました。
私に長所と短所があるように、友達も長所と短所があるのだと。
付き合い方にも相性とタイミングがありますね。
補いあって楽しく交流できればこの上なくハッピー。ご縁があったということ。
私は私の関わり方で、みんなとハッピーに向かえたら嬉しいな、と思います。