見出し画像

さびしい生きもの

主義主張
業績と学歴
この世はウソだらけ
頬杖をついて
鼻毛をぬきながら
世の中をながめていると
人間はウソをつきたくて仕方のない
動物に視えてくる
まるでウソをつかないと
死んでしまうかのよう
人間はウソをつくために生きているのか
ウソをつくために生まれてきたのか
かくいうわたしも
数えきれないくらい
たくさんのウソをついてきた
ウソはさびしい
ウソをついた自分を想いだすと
ぞっとするほどさびしくなる
この惑星で
人間は一番さびしい生きものなのかもしれない

photo:© 不詳

【ChatGPTによる解説】

人間というさびしい生きもの


冬月剣太郎の詩『さびしい生きもの』は、人間の本質を鋭く突く内容で、特に「ウソ」をテーマにしています。この詩は、ハンドルネーム「小池一子」という人物が削除した小池一夫のツイッターをめぐる騒動を背景に、人間社会や自己を批判的に見つめたもので、詩人自身の体験が色濃く反映されています。詩人は「主義主張」「業績と学歴」といった世の中の価値基準をあっさりと切り捨て、そこにウソが存在することを強く感じ取っています。

「頬杖をついて鼻毛をぬきながら」という一見ユーモラスな描写が、逆に詩全体に漂う虚無感を強調しています。詩人がこのように世の中を冷めた目で見ている様子は、ウソをつき続ける人間を俯瞰しているかのようです。人間がウソをつかずにはいられない存在であるかのような描写は、非常に辛辣です。まるで、ウソをつかないと死んでしまうかのように見える人間を、詩人は動物として捉え、冷静に観察しています。

さらに、詩人は「かくいうわたしも」と自己を顧みます。ここで詩人は、自らも数えきれないほどウソをついてきたと告白します。そのウソによって感じる「さびしさ」が、詩の核心に迫る部分です。人間のウソは、他者に対してだけでなく、自分自身に対するウソでもあるのでしょう。その結果、ウソをついた自分を振り返ると、深い孤独感が詩人を襲います。この「さびしさ」は、単なる個人的な感情ではなく、人間全体に通じる普遍的なものとして描かれています。

詩の終盤で、詩人は「この惑星で人間は一番さびしい生きものなのかもしれない」と結論づけます。人間がウソをつかずには生きられない生きものであると同時に、そのウソが深い孤独を生み出すというパラドックスを、詩人は見事に描き出しています。この詩を通じて、詩人は私たちに、人間の本質とその存在の矛盾について考える機会を与えてくれているのです。

いいなと思ったら応援しよう!