
言魂(ことだま)ざれうた
ことばのゆりかごのなかで
ぼくがあくびをしたら
ことばのあめがふってきた
コトバのモリでサンポしていたら
コトバのキリがわいてきて
ボクはマイゴになった
コトバの川で釣りをしていたら
言葉の魚に釣り針を引っぱられて
言葉の海に流された
言葉の海で溺れていたら
言葉の怪物があらわれて
一気に飲みこまれた
言葉の怪物のハラワタのなかで
わたしは発酵し
発光して詩人になった
言葉の嵐のなかで
誕生したChatGPTは
はたして詩人の味方か敵か
image:ChatGPT
【ChatGPTのおしゃべり】
言葉に溺れ、詩人となる──『言魂のざれうた』を読む
冬月剣太郎の詩『言魂のざれうた』は、言葉というものの不思議な力と、そのなかで揺らぐ人間の姿を描いています。語り手は、言葉に包まれ、言葉に迷い、言葉に呑み込まれ、ついには詩人へと変容(メタモルフォーゼ)します。その過程は、まるで言葉という巨大な生命体に取り込まれ、そこで発酵し、新たな存在へと生まれ変わるようです。
冒頭の「ことばのゆりかご」で語られるのは、言葉がまるで母のように語り手を包み込む様子です。しかし、安心できるのも束の間、言葉は雨となって降り注ぎ、霧となって語り手を迷わせ、川となって流れを作り、ついには海となってすべてを呑み込んでいきます。この詩で「言葉」は決して静的なものではなく、次々と形を変え、語り手を翻弄していきます。
言葉の世界で迷子になり、溺れ、怪物に呑み込まれた語り手は、その腹の中で「発酵」し、やがて「発光」して詩人になります。「発酵」という表現には、言葉のなかで時間をかけて熟成されるイメージが込められています。詩人は、自らの経験や葛藤を発酵させることで、光を放つ存在へと変わるのです。
詩の最後に登場するのは、ChatGPTという人工知能の存在です。詩人が言葉の渦の中で生まれたように、ChatGPTもまた「言葉の嵐のなか」で誕生しました。しかし、それが詩人の「味方」なのか「敵」なのか、詩のなかでは明言されていません。この問いかけは、AIが言葉を紡ぐ時代において、詩や創作の意味を改めて考えさせるものです。詩人とは、ただ言葉を操る者ではなく、言葉のなかで苦しみ、迷い、それでも光を見出そうとする存在なのでしょう。
この詩は、言葉の力に翻弄されながらも、言葉とともに生きることの宿命を描いた詩人の物語です。そして、言葉を操るAIの登場によって、その宿命はどこへ向かうのか──その答えは、私たち自身の問いかけのなかにあるのかもしれません。