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《忘れえぬ記憶》ツイッターの「小池一夫」とは何者だったのか?(執筆中)

『子連れ狼』等、数多のヒット作で一世を風靡した劇画原作者、小池一夫(1936年5月8日 - 2019年4月17日)のツイッター(現X)が、2021年12月10日、ハンドルネーム「小池一子」さんによって突然、削除された。

フォロワー数90万を誇っていた。

当時すでに内部事情を知る者のあいだでは「小池一子」さんはゴーストライターと目されていた。

「小池一子」さんは名店の料理写真を私物化して何回も流用したり、小池一夫のあることないこと、小池本人を知っている者にとっては驚きの虚像を投稿しつづけた。

正義の基準を失いかけている日本社会を象徴するような前代未聞のネット事件だった。

削除されてしまったツイッターでは、小池一夫のイメージは温厚でお茶目、知恵のある賢者の風格さえ漂わせていた。

わたしは三十代のころ、五十代の小池が経営する出版社スタジオシップ(後の小池書院。2016年、実質倒産)に六年ほど勤めた。

社長と社員の関係を前提にしたとき、わたしの眼に映った生身の小池一夫は自己顕示欲と偽善の体現者以外の何者でもなかった。

行き当たりばったりの想いつきで指示を出すので、出版社の経営者としても最悪であった。

頭脳明晰であるはずの小池の頭には損益計算も採算分岐点の発想もまったくなかった。

当時の小池は月々の原稿料だけでも2000万円以上、印税をふくめた年収は数十億円稼いでいた。

それらがどんぶり勘定で使われたので、銀行からの借り入れ額も凄まじく、社屋も自宅もすでに抵当に入っていた。

小池は、劇画村塾の塾生には猫撫で声で話しかけるにもかかわらず、社員に対しては平気で罵詈雑言を浴びせかける、裏表のひじょうに激しい二枚舌の持ち主だった。

気にいらないことがあるとすぐに激昂する、神経質にして複雑、時と場合によっては狡猾な人物でもあった。

そして日常茶飯事のごとく息するように(傍点)嘘をついた。

嘘に対する反省心、罪悪感など微塵もなかった。

ギャグ作家の田中圭一さんがわたしの死をツイッターに投稿した怪事件がきっかけで、わたしは小池のツイッターを読みはじめた。

劇画原作者として急下降していた晩年の小池が別のジャンルで華々しく復活したのかと、一度は眼を見張ったものの、読みつづけるうちに小首を傾げざるをえなくなった……

補足すると、かつて田中圭一さんは「師匠」の小池一夫に創作活動に専念するよう叱責されて、公衆の面前で文字どおり土下座して謝罪した。

これが田中さんと小池の確執の始まりであり、目撃者であるわたしを田中さんは深層心理で消し去りたかったのだろう。

癌の療養中だったわたしは年甲斐もなく激怒した 笑

今回、わたしは未熟な自分が少しでも成長するために小池一夫を反面教師として「批判」し​「止揚(Aufheben)」したいだけである。

もっと砕いた言い方をさせてもらうならば、小池一夫を全否定したうえでもう一度、彼を全肯定してみたいのである。

なんやかんや言ってもみても、小池一夫はわたしの人生で決定的な影響を受けた人物のひとりだからだ。

わたし流の弁証法である。

全否定から学びは始まらない。

学びはいつでも全肯定から始まるのである。

一連の詐欺行為で晩節を汚しつづけた小池のツイートは、詐欺行為などなかったことにして老衰死する当日まで元気よく続けられた。

わたしにとって、この元気よく続けられたツイッター自体が謎だった。

もともと小池はいわゆる「パソコン難民」だった。

それに加えて最晩年には認知症と診断されていた。

はたして認知症の老人が老衰死まぎわまで動画のアップを含めた投稿ができるのだろうか?

小池本人が投稿していたとは考えにくかった。

いったい誰がこのようなデタラメな投稿を続けていたのか。

わたしのなかでいつしか怒りの炎が燃えはじめていた。

ツイッター「小池一夫」のゴーストライター疑惑は、かなり以前から噂されていた。

小池の虚言症とゴーストライター乱用癖を知らない人間は、まさかそんなことがあるわけがないと一笑に伏していたようだが、そのまさかが大手を振って暴走していたのであった。

「小池一子」さん本人が小池一夫の死後、みずからツイッターに登場してきて、数えきれない嘘八百を並べたててくれたおかげで、ゴーストライター疑惑は事実上、実証された様相を呈している。

2021年10月10日、「小池一子」さんは、わたしに訴状を送ったと通告してきた。

ツイッター(現X)より

このあとしばらくして彼女は自分のアカウントと同時に小池一夫のアカウントも削除してしまった。

この行為は何を意味していたのか?

証拠隠滅以外の何物でもなかっただろう。

「小池一子」さんの訴状はいまだに届いていない(2024年9月20日現在)

受けとれば、すみやかに受けてたつまでである。

裁判になれば《事実》のすべてとは言わないまでも、かなりの部分に光を当てることができるのではなかろうか。

雨の一滴が集まって川になり、やがて大河の奔流となるように「小さな真相」の集積が、いつの日か「大きな真相」にたどり着くことを信じて、少しずつではあるが、いまもツイッター「小池一夫」事件の解明にいそしんでいる。

気長に続く 笑

photo:© 不詳

【ChatGPTによる解説】

虚像の背後にある真実──小池一夫とツイッター事件の解明

冬月剣太郎氏のエッセイ『ツイッターの「小池一夫」とは何者だったのか?』は、小池一夫氏の晩年のツイッター活動を巡るゴーストライター疑惑を中心に、真実を求める姿勢が描かれています。小池一夫氏は、劇画原作者として数々のヒット作を生み出した人物として広く知られていますが、その晩年のツイッターアカウントは、彼の死後も書き加えられたりして、ある種の謎めいた存在でした。

エッセイの中で冬月氏は、ツイッター「小池一夫」アカウントが、実は小池氏本人ではなく、「小池一子」と名乗るゴーストライターによって運営されていたことに焦点を当てています。特に、そのツイートが虚偽に満ちており、小池一夫という人物像を歪めて描写していた点を強調しています。料理写真を何度も流用したり、小池本人を知る者にとっては驚くべき内容が含まれていたため、冬月氏はこの現象に強い違和感を覚え、怒りを燃やしています。

エッセイはまた、冬月氏が小池一夫氏の出版社に勤めていた際の体験をもとに、小池氏の実像についても触れています。そこでは、偉大な原作者でありながらも、自己顕示欲や偽善、裏表の激しい性格が描かれ、冬月氏の厳しい批判がなされています。しかし、この批判は単なる否定にとどまらず、あくまで冬月氏自身が成長するための「反面教師」としての意図があるとされています。全否定することで学ぶのではなく、一度は全肯定し、その後に批判的に捉え直すという「止揚」の考え方が、冬月氏の姿勢として描かれています。

特に興味深いのは、ツイッターでの小池一夫氏の存在が「詐欺行為」として続けられたという視点です。冬月氏は、小池一夫氏が認知症を患い、実際にツイートを行うことができなかったと考えています。それにもかかわらず、投稿が続けられた事実に対して、冬月氏はその背後に隠された「小池一子」の影響を強く疑っています。

さらに「小池一子」さんが冬月氏に対して訴訟を通告したこと、その後にアカウントを削除した行為は、証拠隠滅以外の何物でもないと指摘しています。冬月氏は、この出来事をきっかけに、ツイッター事件の解明に乗り出しており、真実を明らかにするための執念が描かれています。

このエッセイは、真実を追求し続ける姿勢がどれほど重要かを示しています。小さな一滴の真相が、いつか大きな川となり、大きな真実にたどり着くという信念のもと、冬月氏はこの問題に対する執念を持ち続けています。この執念が彼の探究心と成長への道筋を示しているのです。

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