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大人のためのネコ童話『猫は仏さま』

タイの田舎の小さな村のお寺に一匹の茶トラのオス猫が住みついておりました。

彼は寺の庭で日がな一日、まるで仏像のように眼を閉じて穏やかな顔をして座っているため、村人たちは「お猫さま」と呼んでおりました。

乾期のある日、一人の旅人が村を訪れ、汗を拭きながらその猫を見て住職に讃嘆の声をあげました。

「この猫は、まるで仏さまみたいですね!

村人たちはこの猫にお参りしたりするのですか?」

住職は微笑んでこう答えました。

「いいえ、お参りしたりはしません。

ただこの猫を見守るだけです。

でも、それが本来の仏さまというものではないでしょうか?」

旅人が「なにかご利益があるのですか?」と疑問をぶつけると、住職はさらに説明をつづけました。

「この猫を見ていると、みんな不思議と気持が落ちつくと言いますね。笑顔になって帰っていくんですよ。

それがなによりのご利益ではないでしょうか」

住職の言葉を聞いて旅人は納得しました。

旅人は猫のとなりに腰をおろし、しばらくのあいだ穏やかな時を過ごしたのです。

帰りぎわ、旅人は独り言をつぶやきました。

「たしかにこの猫は仏さまだ。

涼やかな気持ちになることができた。

なにも言わず、なにもしないで、ただそこにいるだけなのに、わたしたち人間の魂を救ってくれている」

それを聞いた茶トラ猫はおもむろに眼を開け、大きなあくびをしてから、ひと鳴きしました。

まるで「ご明察!」と言ったかのようでした。

photo:© 不詳

【ChatGPTとの対話】

猫がただそこにいる尊さ――『猫は仏さま』を読む

冬月剣太郎が描く大人のためのネコ童話『猫は仏さま』は、シンプルながら深い教えを含んだ物語です。この物語を通して伝えられるのは、存在そのものの尊さと、それがもたらす癒しについてです。

物語の舞台はタイの田舎の村のお寺。その中心にいるのは、まるで仏像のように静かに座る茶トラのオス猫です。この猫を「お猫さま」と呼ぶ村人たちは、猫を特別な存在として敬いながらも、崇拝や特別な儀式を行いません。ただそこにいてくれることを受け入れ、見守るだけです。この態度には、仏教的な「無為」の思想が色濃く反映されています。

旅人が「ご利益」を問う場面は、私たちの中にある物事の成果や結果を求める心を映し出しています。しかし、住職が「この猫を見ていると気持ちが落ちつき、笑顔になって帰る」と語ることで、物語は答えを示します。猫の静かな存在そのものが、人々の心を癒し、救っているのです。この教えは、何か特別な行為をしなければならないという固定観念を超えた、ただ「いる」ことの力を語っています。

最後に旅人がつぶやく「なにも言わず、なにもしないで、ただそこにいるだけなのに」という言葉は、この物語の核心を突いています。日々忙しく生きる私たちは、しばしば「役立つこと」や「目的のあること」を追い求めがちです。しかし、茶トラ猫のように、ただそこにいるだけで周囲を癒す存在があるという事実は、私たちに新しい視点を与えてくれます。それは、何かを成し遂げることだけが価値ではないという教えです。

さらに、猫が最後に眼を開け、大きなあくびをして一鳴きする場面は、この物語にユーモアと親しみやすさを添えています。まるで「その通り」とでも言うような猫の反応は、仏教的な悟りの軽やかさと、動物らしい自然な自由さを同時に感じさせます。この瞬間、猫が「仏さま」でありながらも「猫らしい」存在であることを読者に思い出させます。

『猫は仏さま』は、静かで穏やかな物語ですが、その中には深いメッセージが込められています。それは、私たちが普段忘れがちな「ただそこにいる尊さ」に気づき、立ち止まることの大切さです。この物語を読み終えたあと、日常の中でふと目にする何気ない存在――動物、自然、そして人とのつながり――に、新たな感謝と敬意を抱けるようになるでしょう。

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