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1/11 読書会活動報告

皆様こんにちは
文芸エム編集部の鮎京です。

今回は編集部のふるるさんより、1/11に行った読書会についての活動報告をさせていただきます♪



文芸エムオンライン読書会56「アメリカン・スクール」(小島信夫)レポート  byふるる

 こんにちは。文芸エム編集委員のふるると申します。

 文芸エムでは月に一度第二土曜日午後8時より、ZOOM会議にて読書会を行っています。

 読書会のレポートと私の読書感想をこちらに書かせていただきます。

 2025年1月の読書会、課題図書は小島信夫の短編「アメリカン・スクール」でした。第32回芥川賞受賞作です。

 

「アメリカン・スクール」あらすじ

 終戦から三年、アメリカの占領下にある日本。三十人ほどの日本人英語教師がアメリカ人が通う学校の授業見学に行く。英語教師の伊佐(英語を話すことやアメリカを受け入れられない)、ミチ子(色々冷静に見られるしっかりした人)、山田(かつては軍の将校。あまり葛藤なくアメリカを受け入れている)が織りなす敗戦国民の悲喜劇。

 

以下みなさんの感想など

 こんなふうに後の世代まで残り、読まれ、戦争の悲哀が伝わる物が書けたらいいだろうなと思う。(直接の体験談よりも伝わるかもしれない)

これは1954年の小説だが、10年くらいはあっという間でアメリカへの感情などは「戦後すぐ」くらいの感覚で書かれたように見える。(3、40年などもあっという間で)昭和の頃を書く時「つい最近」の感覚で書きそうになるけれど、気をつけよう。

 男性の方が敗戦の傷は大きいように思う。一方で女性は解放されたと思う人もいたかもしれない。小島信夫の描く人物は何かに依存している人が多い。

 戦前、英語教師はエリートだった。それを念頭に置くといいかもしれない。

 戦後まだ家父長制だった頃にこういうはっきり意見を言う女性が出てくる小説を書いたというのは?小島信夫自身が英語教師だったので、国外の空気に触れていたのでは。

 新潮文庫の『アメリカン・スクール』に入っている「小銃」は日本近代短編小説ベスト30に入る優れた作品だと思う。(戦争の悲惨さだけでなく、フェチ、エロ、サド、マゾ、毒、全部入っている)など色々なご意見、ご感想がありました。

 

以下私の感想です。

 小島信夫はやるせなさ、いたたまれなさ、情けなさを書く名手だと思います。(「抱擁家族」以降はまたスタイルが違うらしいですが)あやふやな所がある文体が、オロオロしがちな主人公、内容に良く合っている。主人公「伊佐」も始終逃げ腰で哀しい人物。

 この作品は敗戦国の悲哀を存分に描き、国が負ける、支配されるとはこういう事か!とよく分かります。それは、日本も同じ事を植民地支配で強いてきたという事の裏返しでもあり……。伊佐の、英語を喋る事への激しい抵抗。下手では嫌だけど上手いのはもっと嫌。自分でなくなる気がする。女性教師ミチ子によれば、英語だと陰口も言えてしまうし、外国語で話した喜びにも支配されてしまう。ミチ子は、授業見学後の感想など書きたくないと叫ぶ。確かに。占領されている自分たちがどういう立場で良いとか悪いとか書くというのか。何を書いても下の立場からだし、良いと書くのは媚びているようで嫌だし、悪いことは書けないし。

 しかし、それを無抵抗でやろうとする、アメリカに取り入ろうとする山田という人物がいる!その描き方も秀逸。(プライドもデリカシーもない、大して英語ができないのに偉そうなすごく嫌な人というふうに書いているけれど、それはアメリカの言いなりになっている今の日本のメタファーと取れなくもない)この、山田の嫌な感じが非常に上手く、読んでいると「山田は本当になんにも分かってない」「山田はもう黙ってて」「山田最高にかっこ悪い」と突っ込みに忙しい。

 敵国だったアメリカが夢の国や花園や天国のように見えてしまい、お箸が「日本的なわびしい道具」に見えてしまう悲しさ。私が好きなのは、ミチ子が、自分が抱えているハイヒールを花の蕾のように感じる所。(スクールまで歩く道のりは運動靴に履き替えている)。ハイヒールの形と、伊佐への少しの好意の芽生えを蕾と表現する。それが美しいのでラストの悲劇?がいっそう際立ち、辛さに拍車をかけています。ましてやミチ子は冒頭で「盛装のつもりのハイヒールと格子縞のスーツと帽子がかえって卑しいあわれなかんじ」と説明されながらもハイヒールをはくことをひそかに楽しみにしている。しかし小説の途中ではその事を恥じている。気の毒過ぎて悲しくなります。また伊佐に悲惨な靴ずれができたり、合わない靴を持ってくるというのが、無理にアメリカに合わせているという感じを上手く表している。短編なのにこれほど多くの非喜劇(伊佐が窓から出たり入ったりの喜劇もある!)が入っているのは見事、無駄な文が一つもないなと思います。

 ちなみに「小銃」もまたすごくて、女性を理想化し物として所有して愛でる感じ、川端康成の「片腕」を思い出しますがこちらの方が10年早い。戦争の悲劇と女性への見方の変化、文中の「踊れ、踊れ。」はツェランの詩「死のフーガ」を思い出します。生死、性、心と身体、理想と穢れ、男女、二項対立の列挙は取りこぼしが多そうなのでやめますが、色んな事が凝縮されていると感じます。あるいは何かを書くにはそれに関係のある色々を書かないと書けた事にならない、または関係ある色々が滲み出ざるを得ないのだ、ということを感じました。


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