言語化は芸術の敵か味方か?
「作品の良さを説明するのは野暮じゃないのか」
私はこれまで毎週1本noteに記事を書いていたのに、すっかり更新しなくなってしまった。
単純に忙しくなってしまったから、1か月間毎日更新をしてやりきった気持ちが強いから…。理由はいくつかある。
正直に言うと、私自身の中にある「文章で説明するって野暮なのでは?」という疑問の答えがでなかったことが大きい。
この疑問は、高校生の頃から私の胸にあるものだった。
あの頃は「読むな!感じろ」と思っていた
高校生の頃、私は書道部に所属していた。地区大会で好成績を収め、県大会にも出場したことがある。
私が作品を出品した書道の作品展で会場にいると、来場者の方に「これはなんと書かれているのですか?」とよく聞かれた。「こちらはですね…」と説明する一方で、私は心の中では「読むんじゃないの、書道は感じるものなのだよ」なんて思っていた。口には出さなかったけれど。
高校生だった私は、小学生の頃から習っていた習字と書道の違いに心底おもしろさを感じていた。習字は、整った美しい字を書くことをゴールとするが、書道は必ずしもそうではない。そのあたりの私なりにたどり着いた習字と書道の違いについて、私は誰かと共有したいと思っていたのかもしれない。
書道は素晴らしいものだと思えば思うほど、この素晴らしさを「感じて」ほしいと思うようになっていたのだ。
感じたことを言葉にするのは野暮なのか
「読むな!感じろ」は、書道作品に限った話ではない。
映画・音楽・ゲーム・小説などの作品の良さを言語化することは、野暮なのではないか。
私はずいぶんと長い間そう思っていたけれど、今はそうではないと思っている。
私がそう思うようになった理由が3つある。
作品を見つけるきっかけになるから
私たちの1日は24時間しかないのに、世の中には素晴らしい作品が多すぎる。その中で「言葉による説明」があれば、効率的に素晴らしい作品に出会える。
令和の時代は、小学生でもスマホを持っている。インターネット回線があれば、YouTubeで好きなアーティストのミュージックビデオが無料で読める。漫画も映画もドラマも気軽に見ることができる。現に、私は今積ん読と積んゲーに囲まれてこの原稿を書いている。
実際に、誰かが書いたレビューを読んで「おもしろそうだな、観てみよう」とその作品に触れる人も多いのではないだろうか。私も「この人が勧めているなら、私も買おう」と思って本を買う機会が増えてきた。あなたもそうではないだろうか。
もっとその作品を好きになるから
すでに自分が観た作品について説明された文章を読み、その作品がさらに好きになることもあるだろう。
昨年末から春頃、私は『ゴッド・オブ・ウォー ラグナロク』というゲームに夢中だった。
私はまず1回クリアしたあとに、この作品のレビュー記事を手当たり次第読んだ。そしてもう一度はじめからプレイしたのだ。レビュー記事で読んだ他の人のプレイを真似してみたり、1週目のときに逃したポイントに注目してみたり。結末を知らずにプレイをした1週目とはまた少し味わいの違う2週目のプレイを私は心の底から楽しんだ。
私は、レビュー記事や開発者のインタビューなどさまざまな「言語化されたコンテンツ」を通じて、このゲームの世界をより深く味わったのである。ちなみに、いずれ3週目のプレイをしようと思っている。
言語化を重ねて見えてくる景色があるから
ここまでは「言語化されたもの」に触れる利点について考えてきた。ここで、少し違う視点に立って考えてみよう。
自分が作品を言語化するのは、いけないことなのだろうか。
私はそうは思わない。
作品のどこが好きだ、あのシーンはいまいちだった、と自分自身で言葉にする行為にもさまざまなプラスがある。
これは私が憧れているストリートフォトグラファー・シトウレイさんがよく話していることだ。
なにかの良さを言葉にしようとすると、自ずとその対象をじっくりと見ることになる。深くインプットすれば、その分、多くの気づきを得られる。さらに、それを繰り返していると、その言葉は体系化されてくる。
それこそが体系化された知識であり、学ぶということではないだろうか。
なぜ私たちは言語化するのか
もし高校生のときの私に会えるなら…「書道作品の良さを感じるためには、さまざまなアプローチがある。作り手がその可能性を狭めてはいけない」と伝えたい。
もしかしたら、何の文字が書かれているのかを知れば、なにかがはじまるかもしれない。どんな筆でどんな場所で誰が書いたのか、それを知ることがその作品の良さを知るきっかけにもなり得るのだ。
作品の良さを言葉にするのは野暮じゃない。むしろ芸術へのリスペクトやラブだ。
だから私は、自分が感動した作品や好きな作品について文章にしていきたい。
私がひとつの作品について書いた文章を読んで、世界中の誰かがなにかを感じてくれるならば…。私はこれほどうれしいことはないのだから。
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