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このロンブンがすごい 2024

 最初に簡単な解説を。批評や研究にかかわっている方に、2024年に発表された論文のうちBEST3をあげてもらう、そんな企画を立てました。論文なので、単著未満・・・・の作品です。おススメの本は書評などで知ることができますが、雑誌掲載記事や論文はそういう機会が少ないですよね? このロンブンがすごい。知りたくないですか?
 そこで、なるべくいろんなジャンルの専門家におススメしてもらうべく依頼しました。10名から承諾をいただきましたが、依頼しているうちに気づいたことがあります。批評でも研究でもなんでもよいですが、その成果物は論文に限らないのではないか?
 もちろん論文が主役ですが、たとえばもっとカジュアルな記事もあるし、座談会やインタビューもありますよね。文庫本の解説や書誌、それに同人誌の巻頭言やアジビラなども。時評もありました。テキトーなわけではありません。この企画のミソは、対象が単著未満・・・・というところにあるからです。
 「ロンブン」とした理由もここにあります。対象を拡張した結果、「論文」では狭いし、かといって他に適切なワードがない。そこでカナ表記の融通無碍にして懐の深い特徴を活かしたわけです。「ロンブン」とは、いわゆる論文が主役ですが、単著未満のあれやこれやも入る、としましょう。掲載媒体は紙もWEBもどちらもOKです。自薦他薦問いません。

 「このロンブンがすごい」の企画を立てた背景や動機については、すでに下記の記事で説明しています。お時間あればこちらも目を通してみてください。この企画の裏テーマに、批評というジャンルを考える、というものがありますが、その観点からの説明も少ししています。また、今回の寄稿者にも裏テーマを共有してくださったものがいくつかあるので、お楽しみに。

 批評や研究は、なんらかの分析対象に対するメタ言説という性格をもちます。その成果が論文などの形となってアウトプットされるわけですね。それらはそれ自体が単体の作品でありながら、いろんな雑誌や作品の補助をしたり支えたり、繋げたりする働きをもつものです。場合によっては――アンソロジーや書誌が典型ですが――寄生した宿主の意図を改変してしまうことすらも。批評や研究がしばしば編集や運動や経営と重ねて論じられることがあるのも、このメタ言説的な働きゆえでしょう。これは他にはないアドバンテージではないでしょうか?
 いっそのこと、こういってしまってもよい気がしてきました。批評や研究とはそもそもロンブン的なのだと。ロンブン的であればあるほど光り輝くのだと。サブスク時代といえばその通りですが、今後はそんなロンブンの存在感がもっと増すこととなるでしょう。もちろん、良くも悪くも。この企画がそんな時代の批評や研究を考えるきっかけになれば。

 さて、私もついでながら3ロンブンをあげておきましょう。
位田将司「〈7・7〉と〈7・6〉との間で――「涼宮ハルヒ」と「外山恒一」」(『G-W-G』08号、2024年5月)
仲俣暁生「もなかと羊羹――あるいはいかにして私は出版の未来を心配するのをやめて軽出版者になったか。」(破船房、2024年10月)
中島国彦・多田蔵人「注解」(永井荷風『断腸亭日乗(一)』岩波文庫、2024年7月、『断腸亭日乗(二)』同上、2024年10月) 
 簡単に説明を。①をワン・フレーズで説明するなら、涼宮ハルヒ meets 外山恒一。虚構としての歴史を戦略的に立ちあげる。偽史といえばいまや陰謀論というレッテルを貼られがちですが、1968年――批評では重要な意味を持つ年です――を淵源とする偽史的想像力(©絓秀実)を存分に駆使した論文。相当マニアックなので火傷しないよう注意が必要です。『G-W-G』は文学研究者による同人誌。どの号も資料的価値が高く、位田論文以外も刺激を受けます。いますぐ読まなくても、20年後ぜったい役に立つので、出たら買っておいた方がよいですよ。
 ②は単著では? そう、単著NGという禁則をさっそく破るのかと批判があるのも承知であげてしまいます。わずか40ページの、判型も手のひらサイズ。本の形態を装っていますが、その理念は著名性や単著といった殻に縛られるものではないはずです。2024年仲俣を中心に話題となった「軽出版」は、従来の執筆・造本・出版のあり方を問うコンセプトでもあるわけですから。私は仲俣のTwitter(現X)をウォッチしていますが、アイデアが次々と湧いて出て出版に結び付く。彼が軽出版として刊行物を出すときの思い付きは、単著を出すぜというよりも、雑誌の一特集や企画を立ちあげる感覚に近いのではないでしょうか。
 ③永井荷風という作家の日記『断腸亭日乗』の岩波文庫版が全9巻となって新装刊行。そのさいに施された詳細な「注解」が目を見張ります。注解? 漱石や鷗外らの文庫本の最後に付されているアレです。このおかげで、荷風とその時代をよく知らなくても、私たちは作品をスムーズに読むことができます。校注者の膨大な知識量とリサーチ力に裏付けられたものですが、たびたびそこまで書くんかい!という脱線?ならぬ補足情報があったりして楽しめました。

 ここで、今回おススメされた33のロンブンを時系列にそって一挙に紹介しておきます。

このロンブンがすごい 2024年版

吉川宏志「1970年代短歌史」(『短歌研究』連載~11月号最終回)
vection「トラストレスなイメージへ」(『VECTION』、1月6日)
ベネディクト・S・ロビンソン「フィクション性の本当の物語」(Benedict S. Robinson, “The True Story of Fictionality.”Critical Inquiry 50.3, Spring)
すみ「加速する “JRPG” の到達点――『ファイナルファンタジー16』がそれでもムービーにこだわる理由」(『週末批評』、2月10日)
ミクニ「ぬいペニになりたくない」(note、2月11日)
蓮實重彥「ナード・デューという女優が、もしカルロッタという名前だったとしたら」(『FILM ANNONCE DU FILM QUI N’EXISTERA JAMAIS:《DRÔLES DE GUERRES》』、2月)
白尾芽「ポストモダンダンスにおける観客性と「身体的共感」――イヴォンヌ・レイナーの作品 を中心に」(『コモンズ』、 2月)
浅沼光樹「生の相関主義――反出生主義と思弁的実在論」(『現代思想』、3月号)
長井優衣「〔研究ノート〕レンズ付きフィルム『写ルンです』における写真表現のエモさVol. 1 ―主観的評価からエモさの要因を読み解く―」(『學苑 昭和女子大学紀要』975号、3月)
高木信「残酷な《秋元康》が支配する(2)何を言っているんだ、君は? 欅坂46=櫻坂46のために」(『相模国文』51号、3月)
奥野久美子「史劇「坂崎出羽守」と講談本「番町皿屋敷」(加筆版)」(奥野久美子編『𠮷沢コレクションの世界―『悟道軒日記帳』・資料解題集―後篇』、3月)
藤津亮太「富野由悠季論」(『webちくま』、4月から連載)
柿本真代「「正直に有りのまゝ」綴るということ 明治期の子どもの日記とその指導」(『現代思想』、4月号)
位田将司「〈7・7〉と〈7・6〉との間で――「涼宮ハルヒ」と「外山恒一」」(『G-W-G』08号、5月)
瀬戸口明久「レールに身体を横たえて――鉄道自殺の技術論」(『人文學報』、6月)
唐木元「「しょーらいのユメは外人になることです!」と叫んだ少女がいたんですよ」(『Rolling Stone Japan』、7月5日)
中島国彦・多田蔵人「注解」(『断腸亭日乗』、7月・10月)
梅内美華子「振幅をうたう」(『短歌』、8月号)
石井咲「喪から「新たな生」へ――ロラン・バルトのテクストにみられるダンテの影響」(『フランス語フランス文学研究』、8月)
福嶋亮大「メディアが人間である」(『リアルサウンドブック』、9月から連載中)
Niki Hadikoesoemo, ‘Exhibition/Exposition: Irigaray and Lacoue-Labarthe on the Theaters of Mimesis’ (“Homo Mimeticus Ⅱ: Re-Turns to Mimesis”, Leuven University Press, 9月)
川口典成・清末浩平「日本近代演劇史と対峙して」(『文学+』04号、9月)
中沢忠之「文学は正義‼」(『文学+』04号、9月)
橋爪太作「南太平洋の『ユダヤ人』――他者との共存をメラネシア的に考える」(『webゲンロン』、9月19日)
てらまっと「救済のパラフレゾロジー――長崎、京アニ、きみの色」(『週末批評』、9月20日)
大川慎太郎「永瀬拓也32歳、70分超の電話取材で本音を思わず口に…「藤井(聡太)さんを人間としてみてはいけないんです」「これが最後かもしれませんよ」」(『Number Web』、9月26日)
磯部涼「文化はひとを救い、時に殺す――映画『ルックバック』評」 (『QJWeb(クイック・ジャパン ウェブ)』、10月4日)
仲俣暁生「もなかと羊羹――あるいはいかにして私は出版の未来を心配するのをやめて軽出版者になったか。」(破船房、10月)
長谷川新「ベトナム戦争中の「戦闘機」はどう表現されたか イザナギと呼ばれた時代の 美術 #8」(10月9日)
三宅香帆「考察したい若者たち」(『Voice』、11月号から連載中)
酒田現「延長戦のルール」(『現代短歌』、11月号)
大木エリカ「一九三〇年代における女優の〈声〉の役割 ――谷崎潤一郎「春琴抄」のラジオ化をめぐって」(『日本近代文学』第111集、11月)
川野惠子「聾唖者書簡」翻訳(ディドロ『聾唖者書簡(3)』、『美学芸術学論集』、2024年度内発行予定)

 最後に。単著未満にフォーカスを当てる試みには先駆があります。その「かぶー1グランプリ」を毎年開催する、伏見瞬・西村紗知両氏(歌舞伎町のフランクフルト学派)にリスペクトを。そして今回、わけのわからない媒体の企画に参加いただいた各位、およびいつも支えてくれている定期購読者にスペシャルなサンクスを。

 それではお待たせしました。10名の方々におススメしてもらいましょう。最初から順番に読むのもよし、好きな書き手から読むのもよし、気の向くままランダムに読んでみるのもよし、ご自由にお楽しみください。(編・凡庸の会 中沢忠之)

このロンブンがすごい 2024


※目次から読みたい項目(①~⑩)に飛べます。

① 危機と希望の理議 永瀬恭一

ぼくは学者ではないが論文、と言われるかたちの文章をときどき読む。動機は簡単で、関心のある論文を読めば原則としてそこに書かれた主題について、何かしらの理解を深めることができるという希望があるからだ。希望は大事である。いまどき、希望なんてものはどこにでも転がっているものではない。最近は大学も研究成果をwebで公開してくれる。こうなってくると、論文はぼくのような非アカデミックな立場の人間にとっては一種の福祉である。

ところで、論文とはなんだろう。 

ろん-ぶん【論文】①論議する文。理議をろんじきわめる文。論策を記した文。②研究の業績や結果を書き記した文。「卒業──」「学位──」(広辞苑 第四版 新村出編、岩波書店、1993年、2746頁)

今回、想定されているのは「②研究の業績や結果を書き記した文」のことだろうが、改めてその定義を考えると「論議する文。理議をろんじきわめる文。論策を記した文」の側面が無視できない。論議の語を再度辞書で引けば 

ろん-ぎ【論議・論義】①問答によって理非を明らかにすること。互いに意見を述べて論じ合うこと。議論。(前掲書、2745頁)

とある。かつて仏教において諸寺が経論の要義を問答・議論し学僧の修練・試験のために行われたとも広辞苑には書いてある。美術を含めた人文分野では、既存のテキストや作品の意味内容を複数の立場から論ずる、議論するために書かれた文、という理解で間違っていないだろう。

複数の立場は往々にして政治的対立と不可分だが、しかしそれが単に勝ち負けゲームに還元されることなく「理非」に基づくためには、「理議」が構築されていなければならない。アカデミックな論文の形式性はそのために整えられているのだろう。ぼくが、論文を読めばある程度何事かについて理解を得られるという信頼がもてるのは、こういった「かたち」があるからだ。逆に言えば、論文を読んでその意味がわからないならば、ぼくはその論文を読むための前提的な知識や知恵を持っていないのだ。そのときは、改めて勉強しなければならない。論文を読むという行為は、自分が何かを知りうるだけではない。自分が「何を知らなければならないかを知る」機縁でもある。

逆を考えよう。「論文」と聞いただけで読む気がなくなる、という気持ちもぼくはわかる。いくらなんでも形式的にすぎる、形だけがあって文章が面白くもなんともない、むしろ形自体が「つまらなさ」を醸成している。こういった事象は現にある。形式に期待される「他者へ伝える」ビートがない。鎌倉時代の日蓮や親鸞の説法にあったであろうエモーション、グルーヴが形骸化し、いわゆる現代の「お説教」になったようなものか?

事の本質は「理非を明らかに」するための「理議」を「ろんじきわめる文」が、そこにあるか否かだ。だから、ぼくは、今回論-文の「かたち」にも注目しながら、「理非を明らかに」するための「理議」があるかを見定めて紹介論考を選んだ。

1. vection「トラストレスなイメージへ(『VECTION』掲載、(2024年1月6日)

一昨年、DIC川村記念美術館で個展が開催されたジョセフ・アルバースは、よき絵画や作品を作り出すことが、よき社会を作り出すことにつながるという考えを持っていた。この概念を反転させれば、ある社会を構想することはある作品、虚構イメージを作り出すことでもある。

「社会的チートの撲滅&死の恐怖からの非宗教的解放について、「それは無理」と確信しつつ、どうにかならないものかとあがく有志の会」と自らを定義するvectionが公開した本論は、この意味で現実社会と虚構イメージの産出を重ね合わせている。「自律した個における多様なアイデンティティの尊重と、それを裏付ける人権意識の高まりは、他方でどうしても、つながりを失って分断された個人に、孤独感や孤立感をもたらしてしまう」という問題意識から本論は開始される。

ここでvectionは「自律した個として生きられるような強い人は、実はそんなに多くはない」「もし、そうなら、個がその一部であるような「大きなもの(大きな根拠)のイメージ」は、結局必要だろうし、否定されるべきではない。」とする。同時にイメージによるバラバラな個の「束ね」が、往々にして権威主義的・暴力的なもの(ナチスによる映画・映像イメージが典型的である)になりがちなとき、それを回避するような、透明性と検証可能性と持続可能性があるイメージは可能だろうか。この問いから、「bot議員というアイデア」やゲーム「ゼルダの伝説」開発中のモニタリングの方法を援用しつつ、vectionは「法やルールではなく多大な計算によって生まれるイメージ(​​トラストレスなイメージ)」を検討してゆく。

民主制に代表される「現実の政治」、あるいは資本制という「現実の経済」が、実のところ「現実という名のフィクション」であることは、すでに多くの人々にとってリアルに感じられつつあるだろう。先の兵庫県知事選挙における「改革派候補かハラスメント候補か」というナラティブの攻防、また国際的に見られる「自由で個人主義的な競争イメージ」と「民族や国民的一体性といった強靭イメージ」の対立は、いわば「現実」をどのような「フィクション」で物語るか、という技法に他ならない。そこで「物語の虚構性を暴く」ことで何かした気になったり、あるいは自己に有利な物語を「勝ち」に導くための闘争に明け暮れたりするのは徒労としか思われない。いかに適正な物語をプログラミングするか、または適正な物語とはどういった形かという観点から「予算案を顔(能面)にする」や「権力分立と希望の幾何学」といった論考を積み重ねているvectionは「現実という名のフィクション=フィクションという名の現実」を創造する条件を模索している。

一見難解な議論のようで、しかし同時に子供じみた遊びを終わりなく繰り返しているように見えるvectionの「理議」。論文、というよりは知的なエッセイとすべきテキストかもしれないが、個々の議論単体というよりも、その総体を見渡せば、現在の世界に対して恐ろしくシリアスな動機を持つように見える。原理的でありながら実践的な論考群といえる。

2.白尾芽「ポストモダンダンスにおける観客性と「身体的共感」──イヴォンヌ・レイナーの作品を中心に」東京科学大学、未来の人類研究センターオンラインジャーナル『コモンズ』掲載、2024年2月発行)

正統的な論文である。本論は美術的にも面白い。「はじめに」で書かれているが、ポストモダンダンスはダンサーと観客の関係に異議を唱え「ブラックボックスと化し」たダンサーの身体を否定する。「身体的共感」を切り口にイヴォンヌ・レイナーの「作品におけるダンサーと観客の関係性を分析することで、身体を介した共感とは何かを明らかにする」。そしてこれらを準備したのがジョン・ケージとなれば、美術との相互作用は無視できない。現在も旺盛に制作されるインスタレーションや映像作品、広く展示一般への批判的再考を促す内容でもある。

イヴォンヌ・レイナーによるジョン・ケージ批判を経て、より重要なのはミニマリズムとの関係である。レイナーのミニマリズム分析が、白尾の手によってマイケル・フリード、ロザリンド・クラウスといった戦後アメリカ美術の理論的中心から読み直されていくところは美術家必読かもしれない。日本においてこういったセオリーは脱政治化される傾向がある。そしてそれはデュシャンを参照したミニマリズム自体に内在した態度でもあった。しかしレイナーが生きた、そしてミニマリズムが生きた時代には、史上初めて家庭のリビングでテレビ越しに鑑賞されたベトナム戦争という背景がある。そのうえで、レイナーにおける「痛み」が「身体的共感」という言葉から想像される融和性ではなく違和感、「居心地の悪さ」を通して析出されるプロセスはシリアスだ。

本論では見られる身体、さらに見ないことを選択する態度といった視点が論じられるが、こういった観点は、本論が単なる歴史研究でなく、誰もが日常的に経験する「見る/見られる」関係、さらに「見ないことを選択」する/されるぼく(たち)や人々といった論点にまで延長可能であることを示す。

一般に日常的タスク、歩く・手を伸ばす・座るといった動作をモチーフとしたポストモダンダンスの作品を見ると、劇場から出たあとも観客は自分の日常の動きに自意識を持ってしまうことがあるが、本論も読者の日常に不意に「自意識」を出現させるパフォーマティブな効果があるのではないか。そういった経験から、もう一度本論の共感=居心地の悪さへ、さらに政治や歴史へ意識をアップロードすることは可能な筈である。

3.長谷川新「ベトナム戦争中の「戦闘機」はどう表現されたか  イザナギと呼ばれた時代の美術 #8(2024年10月9日公開)

vection論考以上に「論文」の枠に入れがたいテキストだ。本論はTokyo Art Beatで連載されていた「イザナギと呼ばれた時代の美術」の8回目である。戦後日本美術で大きな存在である「もの派」の主要なアーティスト、原口典之はなぜ美術の素材に米軍機を選んだのか。当時のプラモデルの流行や原口が深夜の道路で見かけた輸送途中の戦闘機尾翼部分から受けたインパクト等々、資料や記録を丹念に追ったうえで長谷川は「日大闘争のバリケードの中にあった戦闘機」に迫っていく。

その先には九州大学電算センターに墜落した米軍機ファントムが、大阪城公園での「反戦のための万国博」(通称「ハンパク」)が、町田市米軍機墜落事故が、米軍巡洋艦タイコンデロガ号の水爆搭載戦闘機スカイホークの海中転落事故が連なっていく。このテキスト単体でもスリリングだが、本論を読んだ読者の多くは連載の全体、2022年9月21日から公開された「イザナギと呼ばれた時代の美術 #1:ベトナム戦争を軸に「日本戦後美術」を辿り直す」から読み返したくなるだろう。本連載は今年2024年10月に完結している。端的にアカデミックな「論文」ではない。だが、ぼくにはここに「論議する文。理議をろんじきわめる文。論策を記した文」が見える。

日本アートワールドにおいて「戦後美術」は、その価値を疑いえない金字塔としてある。敗戦後再開された日本美術は、欧米の抽象美術運動などとの影響関係から前衛美術として開花してゆき、1950年代には早くもフランスの批評家ミシェル・タピエが、アンフォルメルの一部として「具体」美術協会を称賛した。西欧との「世界最終戦争」(石原莞爾)に敗れた日本人にとって、こういった美術の「国際的評価」は、高度経済成長の一側面としてアイディンティティを補完しているとも言える。以後、日本美術史・美術批評の文脈では「戦後の日本前衛美術」の価値は不動だ。

だが、本論を含めた「イザナギと呼ばれた時代の美術」で長谷川は、当時の時代背景、ことにベトナム戦争との関係を丁寧に資料調査しながら、もの派やプロヴォーグといったビックネームの背後に隠れた、あるいは検閲や弾圧によって積極的に排除された作品や作家を再記述してゆく。「日本の戦後美術」の「評価の高まり」が、依然として欧米(その大部分がマーケットと一体である)に従属していることを考えたとき、長谷川が語りなおす失われた声は深刻な意味をもっていく。

論文制度の外部で「論議する文。理議をろんじきわめる文。論策を記した文」が書かれた、と言うのはミスリードだろう。本連載に記された註の一定部分は美術館や研究者が積み重ねた「論文」によっており、むしろ本論はアカデミックな「論文」が可能にした「論議」の展開そのものだからだ。

おわりに

主に形式的正統性よりも「理議」に込められた危機感および希望へのドライヴに重点を置いた紹介をした。本稿があまりに「論文」を軽視していると思われる方には、永原康史・金井学・木下京子「ブラック・マウンテン・カレッジにおける芸術教育の多角的研究」(多摩美術大学研究紀要第38号、紀要集は2024年3月31日発刊、webでは5月10日公開)へ誘導しておく。白尾論文にはイヴォンヌ・レイナーを準備した名前としてジョン・ケージとマース・カ二ングハムが出てきたが、彼らも参加した伝説的な自由学校ブラック・マウンテン・カレッジにおいて行われていた授業やセミナーを、丁寧な一次資料の探索から浮き彫りにした、貴重な日本語論文である。

また、2024年発表でないので外した『週末批評』(てらまっと主宰)掲載の壱村健太による「陰謀論者の夢──アーレイ・バーク試論」(2023年7月8日公開)を含む一連の論考は、近年読んだ中でもっともインパクトのある「論文」であった。一般に分析的論考が対象を「分節」することで成り立っている中、壱村は対象を想定されない形で「連結」してゆく。文字通り陰謀論的構想力が横溢する文体は、アカデミックな論文に対し外部として屹立する。

アートメディアに載っている連載論考としては長谷川と同じTokyo Art Beat上での石川卓磨「クリティカル・シーイング:新たな社会への洞察のために」と、フィルムアート社のサイトに連載中の佐々木友輔「風景のスクリーン・プラクティス」、池田剛介「絵画を辿る 20世紀芸術の描線分析」を紹介する。いずれも完結していないのでトータルな評価はできないが、長谷川の連載も含め、これらは現状の美術史、美術批評の不能を踏まえたうえでの再構築の動きだとぼくは思う。アートに関心のある人に限らず、言説の基礎たる歴史や批評の弱体化を感じている人ならば一読の価値がある。

▶永瀬恭一。1969年生まれ。画家。東京造形大学造形学部美術学科卒業。2008年から「組立」開始。 主な個展「記号の森/象徴の森/主題の森」(2024年、殻々工房)「感覚された組織化の倫理」(2021年、M-gallery)、他。主なグループ展「エピクロスの空地」(2017年、東京都美術館セレクショングループ展)他。共著に『成田克彦――「もの派」の残り火と絵画への希求』(2017年、東京造形大学現代造形創造センター)、『20世紀末・日本の美術――それぞれの作家の視点から』(2015年、ART DIVER)、『土瀝青 場所が揺らす映画』(2014年、トポフィル)。

② われわれは演劇を知らないままに忘れてしまった 渡辺健一郎

ディドロ『聾唖者書簡(3)』川野惠子訳(『美学芸術学論集』神戸大学芸術学研究室、2024年度内発行予定)

 日本におけるディドロ研究は、同時代人ルソーに比べるとあまりに進んでいない。ルソーが当時の演劇を嫌悪していた一方、ディドロは演劇のラディカルな改革を企てていた。そして良くも悪くも近代以降の演劇を強烈に方向付けたのだった。ところが彼の演劇観を知るための最重要著作、対話形式の演劇論『私生児についての対話』(自身の戯曲『私生児』をめぐるメタ戯曲)は邦訳がない。また『劇詩論』も、有名な『俳優についての逆説』も、戦中の古い訳しかなく、アクセスしづらい。
 『聾唖者書簡』も、未邦訳重要著作の一つ。18世紀フランス美学の専門家、川野惠子が2022年に翻訳を開始し、今回で連載3回目となる。主題は、人間の認識・思考と、言語との関係について。人間が物体を前にすると、まず色や形などがぱっと目に入り、それが他の対象と区別され、運動状態が認識される。こうした認識の順序と不整合な(倒置した)語順ではダメで……云々と、当時流行していた「倒置論」がまず話題にされる。ところがここでディドロは、言語が継起的な性質を持っている(前から順に読まれ、順序だって理解される)という常識に待ったをかける。思考実験的に「生まれながらの聾唖者」を召喚し、むしろ対象の認識や言葉は、絵画(タブロー)のように全体が一挙に与えられるのではないかと仮説を導出。日本語でも「理路」などというように、正しい思考には正しい道筋があると考えるのが普通だが、契機性なんかに頼っていて真正な認識なんかできるのか? というわけだ。
 個人的にいっそう関心があるのは、演劇における身体の問題が論じられる箇所。当時のフランス演劇の主流派は、優れたストーリーをいかに流麗に発話するかということに苦心していた。アリストテレス『詩学』に倣って、身体表現は副次的なもの、戯曲の精神を阻害するものと見なされていた。この支配的な見解に抗い、ディドロはむしろ身体表現の重要性を説く。表情や方向、様々なニュアンスが一挙に表現できるのだから。当たり前だと思うだろうか。しかし身体をストーリーに従属させたがる人はきっと多い。ディドロの思索に追いつくためには、抜本的な思考の転換を受け入れねばならない。
 なお、先に思考実験といったが、正確ではない。実際に聾唖者に「色彩クラヴサン」(聾者に音楽を「聴かせる」ために、色で音階を表現することを目論んだ「鍵盤楽器」)を見せて反応をリサーチしたり、劇場で耳をふさいでみて芝居がどのように観えるか自分で実験したりなど、手を替え品を替え具体的な探究を行っている。理論的な成果以上に、こうした思索の歩みが非常に面白い。本稿、訳注もかなり充実しており、当時の時代状況の理解も大分助けてくれる。全訳が待ち遠しい。
 一見マニアックなこの論考だが、昨年発表した拙論とアクチュアルに接続する。「戯曲の外の方向決定――文字の/による配置を読むことについて」(『現代思想9月号 特集:読むことの現在』青土社)。小説や戯曲を「読む」際の同時性や継起性が主題の一つ。『聾唖者書簡』に目を通す前に書き上げたが、内容の連関に自分でも少々驚いた。戯曲の形式や読み方の特殊性は、文学をよりよく理解するうえでも極めて重要。あわせて是非。
 ちなみに。ラクー=ラバルト『近代人の模倣』の序論はディドロ論で、彼の演劇哲学の中核をなすが、あまり取り沙汰されている気配がない。80年代後半からゼロ年代にかけて邦訳に恵まれたラクー=ラバルトが、しかしあまり読まれていないことの遠因に(さらには現代の論壇の演劇離れの遠因に)、ディドロの研究事情があるのではないかとさえ思っている。昨年、別の論文で件のディドロ論に触れた。「原としての演劇――ラクー=ラバルトの演劇/哲学」(『Limitrophe No.5』西山雄二研究室紀要、2024年2月)。こちらも興味があれば。

(注)当該訳が掲載されるはずの『美学芸術学論集』No.19の発行が遅れているようであり、この連載第3回目は、訳者に無理をいって、発表前の原稿を共有してもらった。『聾唖者書簡』の翻訳作業そのものの重要性を記すため、イレギュラーな評になるがご容赦いただきたい。

「日本近代演劇史と対峙して」(『文学+ 04』凡庸の会、2024年9月)

 明治期に西洋演劇が入ってきてから戦後までの日本演劇史を概観するインタビュー記事。話し手はドナルカ・パッカーンの演出家、川口典成。インタビューという体裁だが、しかし演出家目線の鋭い読みと、聞き手・清末浩平の膨大な知識量による補足とが相まって、簡明で小気味良い。日本近代演劇史を学ぶ良い教科書はあまりなかったが、今後はこれを出発点にして良いと掛け値なく言える。数多の註のおかげで次の学びにもステップアップしやすい(これを読んで私も三冊蔵書が増えた。とりわけ兵藤裕己『演じられた近代』が面白い)。
 近代演劇史? そんなニッチな、と切り捨てるなかれ。われわれの拠って立つ日本なる国の成り立ちは、西洋演劇の翻案事情を通してようやく理解されうる。文学史や思想史では「翻訳」が問題にされるが、演劇史においては、海外戯曲をいかに現実の舞台に「適応」させるかという「翻案」(adaptation)が切実な課題となる(この知見は、小林秀雄や福田恆存らの翻案思想・実践が詳述された中谷森『シェイクスピアと日本語 言葉の交通』から)。しかし翻訳と翻案にはいかなる本質的な違いがあるのか? 和魂を保ったままの洋才化はほんとうに可能か? ――こうした問題をめぐる悪戦苦闘を追体験できる、だから演劇史。
 とりわけ演劇改良会について、知っておいて損はない。少なくとも明治期の前半までは、日本の演劇といえば歌舞伎のことだった。大衆芸能として人気を博していたものの、しかし役者の地位はとことん低い。そこに欧化政策が始まる。並行して、演劇の欧化の機運が高まり、明治政府が元締めとなって演劇改良会が1886年に発足。政界の中心に位置していた井上馨、森有礼、澁澤栄一まで噛んでいた(実際に動いていたのは末松謙澄くらいだったらしいが)、が、一大ムーブメントにはなることなく、2年の活動期間を経て終結。
 短命の理由は諸説アリ。既存の歌舞伎興行を無視して上から改革を推し進めようとしたのは無理があった、などとも言われているが、ここで恩師・鴻英良による仮説を一つ。1887年には、東京藝術大学の前身となる、国立の東京音楽学校、東京美術学校が設置される。欧化を徹底するならばここに東京演劇学校が併設されていても良かったはずだ。そうならなかったのは、為政者が演劇の政治性を恐れたからではないか――というもの。演劇改良を進めると革命に至ってしまうのではないか!?
 鴻英良には政治家の力量を過大評価する悪癖があった。彼らは演劇の政治的な本質を途上で見抜いたに違いない、だから国立の演劇学校設置を阻んだのだ(「私が権力者ならそうするよ」が口癖だった)、云々。が、やはり「翻案」の厄介さを見誤っていた、というのが常識的な落としどころだろう。政治家のみならず、みんな(西洋)演劇がよく分かっていなかったのだから。
 とはいえストーリーとしては面白い仮説だった。鴻英良は「検証してみないと」と繰り返し言いながら、その仕事を果たすことなく昨年亡くなってしまった。政府が見切りをつけた演劇欧化運動が、民間から再始動するというのは、20世紀の日本の歩みにとって小さな問題ではない。改めて詳細な検討の要るところだが、演劇関係者でも関心を持っている人は少ない。岸田國士が大政翼賛会の文化部長に就いていたことさえ、もはや誰も覚えていないかのようだ。
 偉そうに言っておきながら、私も何も分かっていない。本インタビュー記事では、演劇人の「転向」問題や、森本薫『女の一生』の戦中版、戦後版の差異(特に感動的な話!)など、興味を引く話題が多数展開されている。まずはここを足掛かりに。

Niki Hadikoesoemo, ‘Exhibition/Exposition: Irigaray and Lacoue-Labarthe on the Theaters of Mimesis’ (“Homo Mimeticus Ⅱ: Re-Turns to Mimesis”, Leuven University Press, 2024年9月)

 2022年4月、オンライン上で「ミメーシス的転回」なるシンポジウムが行われた。主導者はオランダ、ライデン大学のニディッシュ・ロートゥ。主な仕事に『自我の幻影――モダニズムとミメーシス的無意識』(2013)、『コンラッドの闇――厄災、ミメーシス、理論』(2016)、『(新たな)ファシズム――感染、共同体、神話』(2019)。そして先のシンポジウムの後、『ホモ・ミメティカス――新たな模倣理論』(2022)が上梓された。
 ロートゥの関心は、人間のミメティックな性質を改めて描出することにある。プラトン、アリストテレスをはじめ、タルドやジラール、ラクー=ラバルトら、ミメーシス論の系譜を辿り、ミラー・ニューロンといった神経科学などの知見も動員して、人文学に新たな転回を起こそうというわけだ。ミメーシスは論者によってポジ/ネガどちらかに傾きやすい主題であるが、ロートゥは両極をにらみつつ慎重に歩みを進める。
 私の見る限り彼の議論はいずれも哲学史のまとめ的な側面が強く、転回と言えるほどの力を持ってはいない。しかし多数の研究者が参加した論集『ホモ・ミメティカスⅡ ミメーシスへの再-転回』(オンラインで無料公開中)には次なる展望が。
 錯綜したプラトンのミメーシス批判解釈を、口承性に焦点をあて整理する、テレサ・カーサス・エルナンデス「ミメーシス的抵抗」。テオドール・リップスの心理学を掘り起こし、文学によるエンパシーの作動を批判的に検討する、カルメン・ボナセラ「フィクションにおける否定的エンパシー:ミメーシス、感染、カタルシス」。ミメーシスなるものを概念としてではなく、模倣対象の系譜に着目しながら、自然を模倣するテクノロジーをポジティブに取り上げる、ヘンリー・ディックス「バイオミミクリー革命:ミメーシス学への寄与」など。
 興味深い論考が並んでいるが、特に注意を引いたのはニキ・ハディクスモ「展示/晒し:ミメーシス劇場のイリガライとラクー=ラバルト」。演劇性を強調する二人の哲学者を、無の模倣(mime de rien)としての(パント)マイムを軸に交差させる試み。議論の詳述はできないが、2019年のイリガライの言葉を孫引きしておこう。「もし私たちが、他者との違いを尊重するための空隙を自らのうちに開いておかないなら、相手の接触が語りかけてくるすべてのものを知覚することはない」。聞き流してしまいそうな箇所だが、真剣に受け止めたい。世に支配的な流れをせき止める抵抗の拠点としての空隙、無を、自らのうちに保つこと。その空隙で、はじめて創造が可能となる。
 私「が」抵抗するのではないところがポイントだが、どのようにすればそんなことが可能なのかとやはり問わねばならない。恐らくラクー=ラバルトもイリガライも、このほとんど不可能なプログラムにそれでもなお手をかけるため、演劇という場、俳優という形象に注目した。私も俳優として気合いを入れ直した。「ホモ・ミメティカス」のプロジェクトは開かれているので、もっと模倣感染が広がり、新たな展開を見せることが期待される。動向に注目しつつ、併走しつつ。

▶渡辺健一郎。俳優・批評家。1987年生。ロームシアター京都リサーチ・プログラム「子どもと舞台芸術」2019〜2020年度リサーチャー。「演劇教育の時代」で第65回群像新人評論賞受賞。著書に『自由が上演される』(2022年、講談社)。

③ 2024年おすすめロンブン 大橋崇行

 2024年のおすすめロンブン3点を、日本文学の領域で取り上げてほしいという依頼を頂いた。
 近現代でも古典文学でも構わないということなのだが、古典について書かれたものを論じるほど知見があるわけでもないし、専門にしている近代についても、「良い論文」がどういうものかという不遜な指標を掲げるようなことなどはできない。そのため、あくまでいま自分が持っている問題意識に沿って読んだときに面白く読めた論文を中心に、そこからどのような研究の広がりが考えられるのかということを含めながら挙げていきたい。
 まずは、奥野久美子「史劇「坂崎出羽守」と講談本「番町皿屋敷」(加筆版)」(奥野久美子編『𠮷沢コレクションの世界 ―『悟道軒日記帳』・資料解題集― 後篇』、2024年3月)である。もともとは『三鷹市山本有三記念館館報』(第27号、2023年9月)に掲載された論文だが、その増補版として再構成がなされている。
 「坂崎出羽守」は、山本有三が『新小説』第26巻第9号(1921年9月)に掲載した戯曲であり、六代目尾上菊五郎の当たり役となったことや、山本有三に無断で映画が制作された「坂崎出羽守」事件で知られている。一方で、同時代において広く知られていた講談の「坂崎出羽守」を素材にしており、けっして目新しい内容ではないとされていた。これに対して奥野論では、同時代に実際に刊行されていた「講談本」や、松居松翁(松葉)の史劇「坂崎出羽守」(『早稲田文学』第237号、1925年10月)と比較し、講談としての「坂崎出羽守」が同時代に流通していた考証を踏まえながら、「坂崎出羽守」が再話されていく過程を論じている。
 掲載誌である『𠮷沢コレクションの世界』は、演芸研究で知られる𠮷沢英明が所蔵していた講談・演劇関係資料が、奥野を介して2022年度大阪市立大学・大阪府立大学(現・大阪公立大学)に寄贈されたことから、その調査報告書として編纂されているものである。コレクションの詳細については、大阪公立大学文学研究科特設サイト「「新機軸」の展開に向けて」(https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/new-departure/)でも紹介されている。
 江戸期には写本で流通していた実録、実録体小説の出版が明治期に入って解禁され、一方で1882年に田鎖綱紀によって日本語の速記が始められたことを受けて、明治10年代の終わりには速記による「講談本」の刊行が始まっている。その後、新聞、雑誌メディアや、いわゆる明治期の「赤本」において講談は主要なコンテンツとなっていき、特に貸本屋などを中心に広く流通していくことになる。拙著『落語と小説の近代 小説で「人情」を描く』(青弓社、2023年)では落語と近代の「小説」との関係を考えたが、明治期以降の物語の編成を考えていく上で、講談は落語以上に大きな影響力を持っていた。したがって、この𠮷沢コレクションをめぐる調査は、近代の文学について考える上でのさまざまな問題と接続している。
 たとえば「赤本」というとどうしても大正から昭和にかけて、三代目玉田玉秀斎の「立川文庫」やいわゆる「赤本漫画」に焦点があたってしまう。しかし、松永瑠成が詳細に検討を進めているように(松永瑠成「赤本屋としての初代大川屋錠吉」、『日本文学研究ジャーナル』第26号、2023年6月。これらの研究は単著『貸本問屋と貸本文化 娯楽的書籍の出版・流通・受容』(勉誠社、2025年2月予定)にまとめられるという)、実際には江戸から続く明治期における地本の変容として再考するべき問題であろう。また、神林尚子の大著『幕末・明治期の巷談と俗文芸 女盗賊・如来の化身・烈女』(花鳥社、2023年)では、巷談が戯作、歌舞伎、小説、講談、落語を横断していく過程を詳細に論じている。この本で取り上げられた幕末から明治初期に限らず、おそらく明治期を通じて、実際に流通していたのは文学史で語られてきたいわゆる「近代文学」ではなく、むしろこうした有象無象の物語だった。
 奥野を中心とした𠮷沢コレクションの調査は、このようなメディアや、文学史で見過ごされてきたテクストから近代を再検討しようとする近年の研究動向と接続することで、近代文学の新しい見方を示す基礎となるように思われる。厖大な資料のコレクションであるため、今後の研究の進展を注視していきたい。
 二番目に取り上げるのは、大木エリカ「一九三〇年代における女優の〈声〉の役割 ―谷崎潤一郎「春琴抄」のラジオ化をめぐって」(『日本近代文学』第111集、2024年11月)である。この論では、1925年に三越呉服店大阪支店屋上に開設されたラジオの大阪放送局(JOBK)において、1926年から始まったラジオ「物語」で放送されたラジオ版の「春琴抄」(1934年12月14日)を取り上げる。原作となる谷崎潤一郎の「春琴抄」(『中央公論』48年6号、1933年6月)と比較し、ラジオ版においては佐助やてる、「私」といった複数の視点を通して春琴が重層的に語られる構図が取り払われる一方、朗読を担当した岡田嘉子によって春琴の声が再現され、その内面に踏み込む台本になっていることを指摘する。また、左翼運動への弾圧やジェンダー規範に抵抗するモダンガールだった岡田嘉子の〈声〉が映画的イメージと接続し、そこで演じられる春琴が、テクスト内に組み込まれた良妻賢母思想からの逸脱を試みるアイデンティティの攻防を描き出していると論じる。
 谷崎潤一郎と映画との関わりについては、佐藤未央子『谷崎潤一郎と映画の存在論』(水声社、2022年)が近年の大きな研究成果として挙げられる。一方で、大木が示したようなメディア横断的な研究は、リンダ・ハッチオン『アダプテーションの理論』(片渕悦久ほか訳、晃洋書房、2012年。原書は Linda Hutcheon, A Theory of Adaptation, 2006)以降、2010年代の日本文学研究を席巻したアダプテーション研究と接続するものであろう。しかしアダプテーション研究においては、どうしても「原作」としての文学テクストと、映画を中心とした他メディアに展開されたテクストとの差異を析出する紋切り型の論考になってしまうことが多く、そこからどのように問題点を示し、論を展開させるかが問われることになる。その点において、テクストの内容だけではなくラジオドラマの〈声〉がもたらした意義にまで言及した本稿は、一つの視座を示したものであるように思われる。
 また、たとえば鈴木孫和はヴァージニア・ウルフの小説が伝記(Biography)や同時代の心理学(Psychology)を文体としてどのように取り込んでいるのかという分析を行っているが(Tadakazu Suzuki, Virginia Woolf’s Resistance to Psychology as a Biographer in Roger Fry,『ヴァージニア・ウルフ研究』第38号、2021年11月)、そもそもリンダ・ハッチオンの理論は小説を「原作」とした映画や他メディアの分析だけを想定したものではなく、他のメディアで広がっていたテクストが文学テクストに書き換えられた際に、どのような問題が生じるかという視座も射程に収めている。いわば、物語がメディアを横断し、翻案される際の様相をより広範に分析しようとする発想であり、日本文学においてもこうした分析をどのように行っていくかが今後の課題となるだろう。
 三点目は、学会誌等ではなく一般誌に掲載の論から、柿本真代「「正直に有りのまゝ」綴るということ 明治期の子どもの日記とその指導」(『現代思想』第52巻第5号、2024年4月)を挙げたい。
 『児童雑誌の誕生』(文学通信、2023年)の著者でもある柿本真代は、巌谷小波旧蔵書と叢書「少年文学」の研究、雑誌『ちゑのあけぼの』の研究など、近年の日本児童文学の領域において旺盛な活動を進めている研究者の一人である。この論では、江戸期以前の文章規範を用いることによって文章の型を身につけることが重視されていた明治期において、明治20年代に「日記」が学校教育に取り入れられ、自身の体験したことの事実やそこで生じた心境を「正直に有りのまゝ」記述するという文章のあり方が形成されていく過程を論じている。
 たとえば、雑誌『赤い鳥』で鈴木三重吉が展開したいわゆる「生活綴方」を題材にした太宰治「千代女」(『改造』第23巻第11号、1941年6月)が如実に描き出しているように、実際に子どもたちがこうした作文を書くときには大人たちによって「書かされて」いるという側面が否めない。一方で、事実を正確に記載し、内面を書くという「日記」のあり方について考えることは、日清戦争以降に広がった従軍日記との接続や、日記体小説の成立など、近代以降における文章のあり方そのものを問い直していくことにもつながる。
 近代の日記については、「近代日本の日記文化と自己表象」についての研究(https://diaryculture.com/)が2014年から続けられており、田中祐介編『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院、2017年)、『無数のひとりが紡ぐ歴史 日記文化から近現代日本を照射する』(文学通信、2022年)といった成果が示されている。柿本もこの研究に参加しており、『現代思想』の論考もこの延長線上にあるものと位置づけられるだろう。
 一方で、近代の文章規範については、多田蔵人を中心に国文学研究資料館で共同研究「近代文学における文例集・実作・文学読者層の相関の研究」が2022年から進められており、同館では現在、明治期の文章規範類が体系的に収集されている。このような江戸期から明治期にかけての文章表現のあり方と「日記」研究がより有機的に結びつくことで、近代以降の文章表現のあり方がより多角的な視点から見えてくるように思われる。

▶大橋崇行。1978年生まれ。成蹊大学文学部日本文学科教授。主な著書に『落語と小説の近代 小説で「人情」を描く』(青弓社、2023年)、『言語と思想の言説ディスクール 近代文学成立期における山田美妙とその周辺』(笠間書院、2017年)など。論文に「翻案アダプテーションとしての「大衆文学」 吉川英治「宮本武蔵」と「史実」の位置づけ」(『日本文学』第73巻第9号、2024年9月)などがある。

④ 批評に愛されない短歌と批評を愛する短歌について 瀬戸夏子

批評の危機? ピンとこない。
それはわたし自身のメインフィールドがふだんから批評を好む人たちにとくに相手にされていない短歌というジャンルだからそう感じるのだろう。そもそもそこに批評があるとあまり認識されていないジャンルだから。短歌批評なら外せない批評家は篠弘や塚本邦雄だが、他のジャンルの批評家とは異なりかれらが必読扱いされているのをわたしは見たことがない。映画批評や美術批評や音楽批評ならそうはならない。読んでなければ格好悪いともまったく思われてない。これが致命的である。文芸批評に短歌は含まれていない。第二芸術論のころのほうが相手にされていただけまだマシというものだ。
というわけでここでわたしが年間短歌批評ベスト3を突然発表したところで何が何やらすぎてまともに読んでもらえる気もしないので、まず短歌ジャンルにおける批評の実態について書いていきたい。
まず現代短歌において批評の専門家はいない。ここ数年短歌ブームの影響で渡辺祐真氏や三宅香帆氏といった超ジャンル横断型の方に言及いただく機会はあったものの、それは現在ブームゆえに多少の商売たり得ているからだ。小説において専門の批評家が存在し得たのはむろん小説が売れていた時代があったからだ。……というのはやや嘘で、コンテンツに権威と文脈があったからだ。批評はたいていこの三つのバランスの上に立つ。
短歌には天皇制由来の権威はある(なのでときどき思い出したように激励にしか見えないお叱りを受け、専門ではない方から言及いただく機会がある)。しかし作品単体では商売にはならず、そして何より致命的なのが戦後批評の文脈のなかで有益な言及対象であり続けることができなかったことだ。第二芸術論以降、俵万智以外で真の意味で短歌が外部の批評対象になったことはない。そして俵万智が対象たり得たのはやはり短歌が商売になったときだった。一過性の、そして俵万智という一点のみの現象だった。ここでも文脈は引かれず、また批評一般の短歌への関心が持続することはなかった。
身も蓋もない話だが、批評とは「知的にかっこよくなる」ゲームである。そこに批評のマチズモの根源がある。どれだけ批判されても結局この部分が根本的に変化したとは現状を見てもまったく思えないため、ここではその前提をもとに話をすすめるが(そしてわたし自身がこのゲームに参加していないともまったく思っていないが)、この見栄張りには「知らないと恥ずかしい」固有名および固有名のマップの把握が必要だ。この日本の批評マップでは歌人の名前も短歌批評の専門用語もインストールするべきものとして登録されていない。だったら批評を志したとてわざわざ短歌の固有名を把握するために時間を割くメリットがない。デリダやゴダールや夏目漱石に割くべきだ。批評にとって短歌は不要だ。
しかし短歌にとって批評は、すくなくとも狭義の短歌批評は短歌にとって不可欠である。ということはまったく知られていないように思うので、こちらも説明していきたい。
歌壇に批評の専門家はいない。では誰が批評をしているかといえば実作者の歌人たちである。
短歌には歌会という文化がある。色々なやり方があるが、多いパターンをひとつあげると、十名弱で集まり、それぞれが自作の歌を司会に一首提出する。司会は無記名で歌を並べた紙を人数分用意し出席者に配布する。出席者は優れていると判断した歌に投票し、投票結果が出たのち、得票数が多かった順に出席者で歌について数時間かけて議論する。当然否定的な意見も出る。歌会に提出されて絶賛のみで終わる歌はほぼ存在しない。出席者全員が口を開くように、司会者は指名を調整する。歌会に参加しない歌人も存在するが、週一回の頻度で歌会に参加する歌人もいる。すると毎週毎週、歌を批評し批評されの日々が続く。最初はほとんど何も言えなくともどんどん訓練され、短歌批評一般のルールを理解し、理解した上での批評ができるようになる。
その先に批評を書くというレールが敷かれている。最初から大上段に構えて、短歌とは云々などと書きださなくてもよい。一首評という形式があり、具体的な一首についてそう長くない批評を書く。これならば歌会で評することからそう遠くない。ここから口と手が一致しはじめる。手で書けるようになれば、どんどん評のスケールを広げていけばよい。
つまり短歌をつくるようになり歌人になると同時に短歌批評養成ギブスが装着され、ある程度まで自然と短歌批評ができるようになる。批評を始めるぞという意気込みなどなくとも知らないうちに批評を始めてしまっているのだ。
文芸誌では批評の新人賞が滅びたらしいが、短歌では批評の新人賞はふたつある。短歌総合誌は『短歌』(角川文化振興財団)、『短歌研究』(短歌研究社)、『歌壇』(本阿弥書店)、『短歌往来』(ながらみ書房)、『現代短歌』(現代短歌社)の五誌。このなかの『短歌研究』は四十二回開催した現代短歌評論賞をリニューアルし、今年から短歌研究評論賞を立ち上げ、賞金を二倍にした(選考委員のジェンダー比は、男3:女1)。ちなみに『短歌研究』には『群像』から姿が消えたと思しい「創作合評」に近しい、実作者三人が集まり対象歌集や対象連作について議論する「作品季評」があり、毎号掲載されている。もうひとつは『現代短歌』が主催するBR賞で、受賞者は賞金の他に一年間『現代短歌』誌にて書評を依頼される権利を有することが明記されている(選考委員のジェンダー比は男2:女1、昨年までは男2:女2)。
そもそも短歌総合誌の誌面は、短歌連作の作品以外に何が載っているかといえばほとんどが広義の批評に属するものだといってよい。特集の論考、時評、前号評、歌集評、近代歌人や古典についての研究連載。これらを執筆しているのは実作者である歌人だ。たとえば同じ月に同じ歌人が『短歌』で作品を発表し『歌壇』で批評を執筆しているようなことなどよくあることだ。
ここまでかなり肯定的に書いてきたが、わたしは短歌批評を他のジャンルに比べてとくに優れていると思っているわけでもない。実作者の批評能力の平均値はかなり高いとも思うし、実作者であるがゆえに他人に突きつけた批評の刃がつねに自分に跳ね返ってくる緊張感もある。しかし外部の批評家に興味を持たれなかった結果、自給自足で回すほかなかったわけだし、面子があまり変わらずぬるま湯的なところも多いと思う。短歌総合誌に載っている批評はほとんどは可もなく不可もなくという感じだし、作品よりさらに批評は外部の読者に読まれる機会がないため、短歌総合誌特有の磁場を知らなければ面白く読める批評は本当に数少ない。歌人しか読まないのだから歌人にしかわからないように書いても何の問題もない。というよりそれが当然の前提で皆書いている。数十年その状態が続いている。
もし批評を志すなら絶対に短歌を選ばないほうがいい。
しかし短歌を志すなら批評は絶対に避けられないと覚悟しなければならない。
……というのが、短歌と批評についての実情であり現状である。
さて、やっと本題に入り、年間短歌批評ベスト3を選ばなければならないが、わたし自身の問題として2024年は一度も文学フリマに参加しなかったため、短歌同人誌については今回は対象としない。さらに考えてみたが、その選考方法なら短歌結社誌、学生短歌会機関誌も触れる機会があったものとなかったものが偏るため、外すことにした。出版社のサイト(砂子屋書房の一首鑑賞や月のコラム)や短歌結社のサイト(短歌結社誌からnote等に一部転載されている記事)、定期更新されているblog(フランス語学者の東郷雄二は実作を行わずに短歌批評を継続して書いている例外的存在だ)を含む、web記事も扱わない。書店で一般流通している短歌総合誌五誌のなかからセレクトした。つまり短歌総合誌に掲載されていないものは短歌批評にあらずといわんばかりの非常に権威主義的な態度でのぞませてもらったが、中心がどこにあるのかさえ外部の批評読者には伝わっていないと考えているため、この選考基準とした。

吉川宏志「1970年代短歌史」『短歌研究』連載~11月号最終回
梅内美華子「振幅をうたう」※中城ふみ子特集『短歌』2024年8月号
酒田現「延長戦のルール(長谷川麟『延長戦』書評)」※BR賞佳作『現代短歌』2024年11月号

を、2024年の短歌批評ベスト3とする。
ただし短歌ブームの影響と思しいが、文芸誌である『文學界』が組んだ「短歌と批評」特集のうち、

伊舎堂仁「空中ペットボトル殺法」『文學界』2024年9月号
乾遥香「なんでも持ってる わたしはすべて」同
瀬口真司「僕の喉を伝う君の歌を、今から僕を使って歌い破る——塚本邦雄小論」同

の三つの批評が、おそらく媒体への意識もあって短歌総合誌的磁場から離れて、結果として短歌批評から文芸批評になりかかっており(つまり短歌ブームゆえに、その商業性ゆえに)、その経緯も含めて面白く読んだことも付け加えておく。

▶瀬戸夏子。1985年生。歌人。『現実のクリストファー・ロビン 瀬戸夏子ノート2009-2017』(書肆子午線)、『はつなつみずうみ分光器 after2000 現代短歌クロニクル』(左右社)、『白手紙紀行』(泥書房)など。

⑤ ぬいペニ・鉄道・正義 荒木優太

 二〇二四年に発表され、かつ読んだ論文のなかで以下のものに感銘を受けた。順番は発表順。

ミクニ「ぬいペニになりたくない」(「note」、二月一一日公開、https://note.com/yulabsinthe/n/nf84c5ef60ff2
 所謂「弱者男性」論を反フェミニズム的磁場から解き放つための試みがつづいている。杉田俊介『男が男を解放するために』(Pヴァイン、二〇二三年九月、二〇一六年に刊行された『非モテの品格』の増補改訂版)を筆頭に、二〇二四年はベンジャミン・クリッツァーが『モヤモヤする正義』(晶文社)で弱男用公的支援策としての官製街コン、官製婚活パーティを提案した。同じ晶文社のウェブ媒体「スクラップ・ブック」における藤田直哉の新連載「フェミニズムでは救われない男たちのための男性学」もこれら議論の延長線上にあるようだ。
 女性にモテないことなのか、男性というカテゴリーに覆い隠された階級や障害の問題なのか、はたまた同情ランキングにおいて下位に甘んじざるをえない注意経済の不可避の構造なのか。論者によって微妙に相違する「弱者男性」の語に対する共感が一般に広まって久しい。個人的にはアイデンティティ政治への批判意識からこの潮流をあまり歓迎しないが――剣呑なことを書いておけばフェミニズムに耽溺しすぎるのも問題である――、それで該当意識をもつ当事者の悩みが解消するわけでもない。プロフィールによればただの三〇代OLらしいミクニは、「ぬいペニ」をとっかかりに、これに対する実践的な助言を試みている。
 「ぬいペニ」とはぬいぐるみペニスショック/症候群の略語で、友達だと思っていた男性から性的願望を向けられることの女性の嫌悪感、さらにはそれを先取してしまう男性の自責の念のこと。ミクニがこの文章で手当しようとするのは女性側の実際の嫌悪が発生する前に自罰的になってしまう過剰に反省的な男性の問題である。
 もう恋なんてしないなんていわないなんていわないの撤退論、逆に恋愛工学(藤沢数希)をおそらくは念頭にしたマニュアル論を、ミクニは「極論」と斥け、自分に自信をつけるための日々の積み重ねを推奨する。本論の慧眼は好きなこととできることの峻別にある。自分の感情をたかぶらせる好きなこと(好きな人)には愛着があってもコントロールがない。条件次第で右往左往し、生活全体が博打じみたものになってしまう。が、できることは自分の意志次第で増やすことも洗練さすこともできる。段階がある。勝ちと負けのあいだにあるグラデーションのなかに自らを位置づけることができる。プラグマティズム思想の最良の部分の継承であると同時に、ストア派のポップな復活でもある。副読本として山本貴光+吉川浩満『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(筑摩書房)を勧めておこう。
 どうやらミクニは日本語を母語とする書き手ではないようだ。でも、上手な日本語だと思う。今後の活躍も期待したい。

瀬戸口明久「レールに身体を横たえて――鉄道自殺の技術論」(『人文學報』、京都大學人文科學研究所、六月、https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/289591
 志賀直哉『城の崎にて』を読んでいて一番ひっかかるのは、たびかさなる小動物の死と主人公の重ね合わせ……よりも、その冒頭、「山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした」だと思う。いや、跳ね飛ばされねーだろ。つーか、跳ね飛ばされてなんで生きてんだ?
 この感想は全国の駅にホームドアが設置された現在においていっそう強く響くに違いない。ホームドアは落下や接触、そして自殺予防のために二〇〇〇年代からプラットホームにもうけられた仕切りの壁である。が、周知のように「人身事故」によって朝のダイヤは乱れ、混雑が超混雑に代わる辟易はいまもってなお日常になじんでいる。自殺するんなら余所でやれよ、という非人情とともに。瀬戸口は、本来は移動や輸送のために敷かれた鉄道技術を自殺手段として利用しようとした歴史を三つに分けて考える。
 まず「鉄道往生」の時代。一八七二年から一九〇〇年前後までに相当し、鉄道という諸機械のアンサンブルが都市部を中心に全国に普及していき、同時に、自殺報道によって鉄道の通ってない地域にすらその方法が周知されていく。当時、鉄道自殺は「往生」という自殺者目線の言葉で語られていた。
 つづく一九二〇年代までは、「轢死」の時代とでも形容でき、「往生」がより客観的な視線のなかで捉え直される。鉄道を移動のために使う乗客と切符を買わずに自殺手段として用いる自殺志願者のあいだの断絶が広がり、「轢死」は余所でやれよの非人情の雛形をかたどる。漱石『三四郎』は客観視点から、独歩『窮死』は主観視点からこれを描いている。
 最後に、一九三〇年代にやっと「飛び込み自殺」という言葉が登場する。ここにおいて、報道は自殺者の身の上、その経歴を無視し、ダイヤの乱れのみを語ることになる。都市生活者のほとんどが通勤・通学で鉄道を利用するようになり、運行スケジュールの優先性が個人的な物語を覆い隠すのだ。さらに、鉄道が都市生活全体を飲み込むことによって乗客と自殺志願者の分割は壊れ、志願者たちも切符を買って行為におよんでいく。外部から到来していた殺意は、日常の内側から不意に染み出るものとなった。
 瀬戸口の論の卓抜は「技術」の捉え方にある。鉄道とは、線路が敷かれ駅のホームが建ったら完成するのではない。いつ・どこに列車がくるのかという時刻表の設計とその周知、さらには人々が時計を確認するという身体の習慣性もふくめて鉄道の技術が成り立つ。が、技術が技術を求めるこの複合的連結は、不可避的に技術のハッキング可能性を生み出しもする。志願者からみれば、高速で回転する車輪は安心できる死の確約を与え、時刻表を守るための死体の無造作な取り扱いは生きる意義を失った自身にとっての適切な処置とうつるだろう。この攻防戦は都市を飲み込むことで鉄道の勝利に終わったかと思いきや、反対に鉄道は「飛び込み自殺」という厄介な敵をその内側で飼わねばならなくなったともいえる。
 プロレタリア文学のアンソロジーを編みながら、ずっとこの撲滅不能な寄生性のことを考えていた。

中沢忠之「文学は正義‼」(『文学+』第四号、凡庸の会、九月)
 筆者は「文学+WEB版」の常連寄稿者である。ために、同編集担当者の評論をここで紹介する内輪は果たしてどうかと躊躇しないではないが、一読の価値ありと信じるので推薦しておく。
 中沢の論は、現代文学のおおよその流れを掴むためのサーベイであるといっていい。やや解釈が強いが。出発点は、今日の当事者主義の隆盛。北条裕子『美しい顔』の剽窃事件、古市憲寿『百の夜は跳ねて』の参考文献に木村友祐の小説があった騒動などが、当事者本人の権能の高まりの反作用として解釈される。他人の言葉を横領しているじゃないか、というわけだ。この傾向を中沢は「アイデンティティ・ポリティクス」という名でも呼んでいる。
 本論の第一のアクロバットは、この論点の祖型を高橋哲哉と加藤典洋の歴史主体論争に求めるところにある。単純化する。従軍慰安婦問題を筆頭とした政治的に意識の高い高橋に対して、加藤は「文学」の価値を訴える。政治的な正しさに抗して、ノン・モラルな間違えうることには「この私」が宿り、それを表現するのが「文学」であるという図式である。つまり、文学と当事者の結びつきのなかに正義を見出す当事者主義は、正義の側に立った高橋のほうではなく、一般に反正義と読まれた加藤のほうにその淵源を認めることができる。言い換えれば、加藤には現在に通じる「アイデンティティ・ポリティクス」の論脈が眠っていたのだ。
 第二のアクロバットは、この有名な論争が実は目くらましとして機能しているという指摘。隠されているのは筒井康隆の断筆宣言を象徴事とする言葉狩り論争。てんかんの表現に関して、日本てんかん協会や識者が出版社に抗議し議論が起こった。キャンセル・カルチャーである。絓秀実は『「超」言葉狩り宣言』で差別批判か表現の自由かの岐路に際して、第三の道を模索した。また単純化する。絓は加藤と違い文学を聖域としない。だから、表現の自由のために闘う筒井を下らないと一蹴できる。ただ、そのふるまいは文学を見捨てることではない。文学こそが文学批判できるとする自己言及的、というよりも自家中毒的にさえうつる純化された文学主義である。絓の文学批判はイメージ(偏見)批判を旨としたようだが、そこで対置されたのは「ノイズ」である。お前は三宅香帆か! 
 言葉狩り論争から透かしてみえてくるのは加害の想像力であり、その技術性である。傷つけられたかもしれない、ではなく、傷つけたかもしれないの相である。自分(自国)の傷を後生大事に抱えた加藤から遠く離れて、ここには傷の当事者になれないままなにかを語ってもいい/語るべきであるという閉塞突破の新たな機運がある……のかもしれない。砂川文次や石田夏穂の小説主人公で特筆すべきなのは、クソみたいな状況に追い込まれても、ただビービー泣くんじゃなくって、ちゃんと他人を支配する意地の悪い戦略を練り上げるところだ。筆者は本論をそのようなアンチ太宰(生まれてすみません!?)の宣言と受け取ったが、果たしてどうか。

▶荒木優太。在野研究者。1987年生まれ。著書に『これからのエリック・ホッファーのために』(東京書籍)、『貧しい出版者』(フィルムアート社)、『文芸時評傑作選~炎上の炎に焼かれてアチチの巻~』(在野研究社)など。近刊の編著に『プロレタリア文学セレクション』(平凡社ライブラリー)がある。

⑥ 批評サイト管理人のおススメ!WEB論考:ビデオゲームからアニメ映画まで てらまっと

 2022年に「週末批評」というウェブサイトを立ち上げてから、もうすぐ丸3年になる。個人運営のごくごくインディーな批評サイトだが、おかげさまでなんとか続けられている。文芸批評や美術批評だけではなく、アニメや漫画、ビデオゲームなどのポップカルチャー批評も含めて幅広く投稿を募り、だいたい1~2カ月に1本くらいのペースで更新してきた。2025年も初心を忘れずに、ごくごくインディーにやっていきたいと思う。
 わたし自身は職業批評家というわけではない。いわゆるワナビーというか、日々の仕事の合間に趣味として批評を読んだり書いたりしている愛好家にすぎない。日曜大工ならぬ日曜批評家といったところだ(週末批評という名称にはそういうニュアンスもある)。そこで今回は批評愛好家/批評サイト管理人という立場から、いずれもオンラインで無料で読める2024年のおススメ論考ベスト3をセレクトした。以下、敬称は省略させていただく。

 第3位はわたしが運営する週末批評から、すみ「加速する “JRPG” の到達点――『ファイナルファンタジー16』がそれでもムービーにこだわる理由」https://worldend-critic.com/2024/02/10/ff16_sumi/)。スクウェア・エニックスの看板シリーズ「ファイナルファンタジー(FF)」の最新作について論じた本格的なビデオゲーム批評だ。
 著者はRPG(ロールプレイングゲーム)を中心に執筆してきたビデオゲームブロガー。元になったブログ記事は2023年に書かれたものだが、週末批評への掲載にあたって大幅に加筆・修正されている。ひとつくらいは自分のサイトから選びたいと思い、迷った末にこちらの論考を取り上げることにした。
 すみの『FF16』論を推す理由は、第一に文章が平易で読みやすいことだ。著者にはこれまでも『ダークソウル』や『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』といった名作RPGについての論考を寄せてもらったが、いずれも論旨明快で、論述にも気取ったところがない。実際にプレイしたことのない読者や、そもそもビデオゲームに関心の薄いわたしのような門外漢でも、するすると読めるリーダビリティの高さがある。
 これはビデオゲームにレビュー文化が根づいていることに加えて、そもそもプレイヤーの注意を工学的に操作することで成立する芸術形式だからかもしれない。ゲームについて論じることは、その作品がプレイヤーの注意をいかに上手に(あるいは下手に)誘導しているかを分析することでもある。それはひるがえって、読者に対する著者自身の態度にも跳ね返ってくるだろう。
 実際、すみの論考の前半部分では、ゲームプレイにおける注意の欠如、つまりは「退屈」に焦点が当てられている。FFシリーズはこれまで、ゲーム中に挿入される美麗で迫力のあるムービーを売り物にしてきた。しかしその一方で、プレイヤーはムービーを見せられているあいだは状況に介入できないため、ゲームならではの魅力とされる双方向性(インタラクティビティ)を毀損していると批判されることも多い。
 これは美学や芸術学では媒体固有性(メディウム・スペシフィシティ)と呼ばれる考え方だ。著者はこの問題をプレイヤーの退屈というかたちで心理学的に捉え返す。そして『FF16』がムービーを多用しつつも、プレイヤーを退屈させないためにいかなる工夫を凝らしているかを丁寧に分析していく。同作はオープンワールドを自由に探索するような楽しみをあえて封印し、ムービーに象徴されるリニア(直線的)なゲーム体験を追求しているのだという。
 このあたりの議論の進め方も明快だが、論考の白眉はこのあとだ。ひとしきりゲームデザインを分析したのち、すみは「『FF16』はなぜそこまでリニアなゲームにこだわるのか?」という問いを立てる。わたしはこの問いこそが、同論考を優れたビデオゲーム批評たらしめている最大のポイントだと思う。まさにそれを通じて『FF16』という作品が、欧米主導の評価基準に対するねじれた挑戦として位置づけられていくからだ。
 FFシリーズをはじめとする日本産のリニアなRPGは、欧米などでは否定的なニュアンスをともなって「JRPG」と呼ばれてきた。すみは『FF16』のプロデューサーがこの呼称を「差別的」と批判したことに触れ、同作がムービーにこだわる理由をそこに見出している。つまり、JRPG的な要素を自己否定して欧米と同じようなゲームを作るのではなく、むしろそれらの要素を徹底して突き詰め、極限まで洗練させることによって、圧倒的なクオリティの“JRPG”を作り上げること――これこそが『FF16』に賭けられていた挑戦だというのだ。そしてそれは同時に、ポリティカリー・コレクトな「多様性」への配慮を謳いながら、日本産RPGをスティグマ化してきた欧米メディアやユーザーに対する異議申し立てでもあったという。
 著者はこうしたダイナミックな解釈を、『FF16』のストーリー読解や同シリーズの過去作との比較を通じて論証していく。ひとつの作品の良し悪しを超えて、その良し悪しを決定する評価基準それ自体のグローバルな政治性にまで踏み込んでいくところが、この論考の一番のポイントだ。これはJRPGにとどまらず、いわゆるJ-ROCKとか、日本語ラップとかにも通底する論点だろう。さらには明治維新後の日本の近代化、そして敗戦後の民主化という大きなテーマとも響き合う、実に射程の広いビデオゲーム批評だと思う。

 続いて第2位に選んだのは、橋爪太作「南太平洋の『ユダヤ人』――他者との共存をメラネシア的に考える」https://webgenron.com/articles/article20240919_02)。批評家の東浩紀が創業したゲンロン社のウェブサイト「webゲンロン」のリレー連載「ひろがりアジア」シリーズの第14回目だ。
 同サイトにはウェブ広告が一切付いておらず、非常に読みやすい。大手サイトまで広告だらけになるなか、これは地味に大事なことだと思う。連載企画の趣旨はよくわからないが、東南アジアを中心に各地域の若手研究者が執筆した学術的・批評的エッセイが並んでいる。冒頭にリード文があると、たまたまSNSで知ったような読者でも読み進めやすくなるかもしれない。
 記事の内容は文句なしにおもしろい。著者は大阪公立大学准教授で、メラネシア研究が専門の文化人類学者。舞台は太平洋戦争の激戦地・ソロモン諸島の北東部に位置するマライタ島だ。そこにフィールドワークに訪れた橋爪は、一見すると荒唐無稽な「マライタ島民ユダヤ起源説」を唱える現地の予言者が乗るトラックに、本物のイスラエル人バックパッカーが同乗していたことに衝撃を受ける。
 マライタ島の一部では、古くからの精霊崇拝と20世紀以降のキリスト教の普及による文化的断絶を埋め合わせるべく、自らの祖先を「失われたユダヤ10氏族」とみなすユダヤ起源説が流布していた。著者によれば、これはあの「カーゴ・カルト(積荷崇拝)」の一種だという。白人が持ち込んだ工業製品に驚いたメラネシアの住民たちは、彼らを自らの祖先として位置づけることで、それらのカーゴ(積荷)がいつか自分たちのものになる、という信仰を作り上げた。マライタ島民ユダヤ起源説でも、やがてイスラエルの使者が「ソロモン王の黄金」を携えてやってくると信じられているらしい。
 だが、著者が驚いたのはユダヤ起源説の内容それ自体に対してではない。むしろこうした信仰が現代のグローバリゼーションと結びつき、インターネット経由で本物のユダヤ人旅行者をイスラエルから呼び寄せ、自らのナラティブを「真実」に変える生き証人として利用しているという恐るべき現実に対してだ。そしてイスラエルもまた、世界中に点在するユダヤ起源説の信者たちを招いて帰化させ、パレスチナとの紛争の最前線であるガザ地区やヨルダン川西岸地区の隣接地に入植させていたという。
 こうしたエピソードだけでもめちゃくちゃおもしろいのだが、個人的にもっとも興味を引かれたのは、文化人類学とカーゴ・カルトの類似性に関する部分だった。両者はどちらも、突然目の前に現れた「得体の知れないモノ」――文化人類学なら現地住民とその風習、カーゴ・カルトなら白人とその積荷――をなんとか理解しようとする営みとして捉えられる。ただし、文化人類学が他者理解のための確実な(蓋然性の高い)知識を求めるのに対して、カーゴ・カルトはむしろ「こうであるかもしれない」可能性を引き出し、「まだ–ない」現実(ソロモン王の黄金!)を創出しようとする点に違いがあるという。
 この対比を見たとき、批評もある意味ではカーゴ・カルトみたいなものじゃないか、と思ってしまった。少なくともわたしにとって批評とは、作品なり出来事なりの衝撃をときにアカデミックな言説とは違うやり方で意味づけ、新たな文脈を創出しながら「こうであるかもしれない」可能性へと開いていくものだからだ。
 もちろん批評にもいろいろあるから、一概にそうだと言うつもりはない。そもそも予言者と批評家は違うし、信仰と解釈も違う。けれど「信じる」という行為が、たんにありそうだから、確からしいからではなく、本当か噓かわからないケースでこそ決然として生じるように、批評もまたアカデミアが躊躇するような暗闇のなかでこそ跳ばなければいけない。ある批評家がどこかでそんなことを書いていた気がするが、いまあるものとは別の世界、別の「まだ–ない」現実を予感させてくれるのが、わたしにとって批評の一番おもしろい(そしてうさんくさい)ところだ。
 そういう意味で、橋爪の論考はきわめて刺激的なメタ批評でもある。他者理解の難しさに向き合う論考の趣旨からは外れてしまうが、カーゴ・カルトと同様、批評もまたひとりの「胡乱な他者」としてわたしたちの現実認識を揺さぶり続けてほしい、と思わずにはいられなかった。陰謀論が跋扈する現代社会では、あまりにも能天気な希望かもしれないけれど。

 いよいよ第1位は、磯部涼「文化はひとを救い、時に殺す──映画『ルックバック』評」https://qjweb.jp/regular/121003/)。「QJWeb(クイック・ジャパン ウェブ)」で連載されている「音楽のなる場所」の第3回目だ。こちらも余計な広告がほとんど入らないため、ストレスなく読み進められる。
 著者は『ルポ川崎』や『令和元年のテロリズム』で知られる音楽評論家・ライター。とくに『令和元年のテロリズム』は京都アニメーション放火殺傷事件などの犯人の生い立ちを追ったルポルタージュで、個人的にも大きな影響を受けた。今回ベストに選んだのは、2024年に公開された藤本タツキ原作のアニメ映画『ルックバック』を磯部が論じたものだ。
 京アニ事件を題材に描かれたこの作品について、京アニファンだったわたしにはいろいろと思うところがある。学校新聞の4コマ漫画をきっかけに漫画好きの2人が出会い、才能を認め合って合作するようになるが、ひとりはプロ漫画家、もうひとりは美大進学のために袂を分かつ。そして後者は大学に侵入してきた見知らぬ男に殺害され、残された前者は無力感や罪悪感に打ちひしがれながらも、無二の親友の思いを背負って漫画を描き続ける――というのが『ルックバック』の大まかな内容だ。
 映画公開後、創作の喜びと苦しみを鮮烈に描いた同作が「クリエイター」たちに大きな感動を与えたと、SNSや各種ウェブサイトの記事がこぞって伝えた。けれど、わたし自身はどうにも違和感をぬぐえなかった。『ルックバック』は京アニ事件を下敷きにしながら、事件の根底にある問題をまったくつかめていない、それどころか助長してさえいる、と感じていたからだ。
 作中では反実仮想のかたちで、本編とは別の世界線が描かれる。それはたとえば、漫画をやめて空手を習得した主人公が犯人を間一髪で撃退し、もうひとりを救出するといったものだ。ところが、そこでは「自分が犯人だったかもしれない」「自分が殺していたかもしれない」という本当にクリティカルな可能性は一切描かれない。主人公もかつては相方の才能に激しく嫉妬し、そしておそらくは犯人の男も2人と同じクリエイター(志望)だったにもかかわらず、である。同作では漫画のコマと重ね合わせるかたちで窓や扉のモチーフが繰り返し現れるが、そのうちのどれひとつとして、自分自身が犯人になってしまう世界線へはつながっていないかのようだ。
「自作をパクられた」という犯人の言い分が、被害妄想に取り憑かれた男の戯言にすぎないのは言うまでもない。だがその言葉は同時に、わたし(加害者)とあなた(被害者)が本来は交換可能であるべき/はずだという、ねじれた倫理の帰結でもあったのではないか。それは言ってみれば、現代のクリエイター産業が生み出したワナビーのテロリズムだ。消費者を「ファン参加」へと誘引して自らの経済圏に取り込み、クリエイターとの格差を再生産し、才能や努力の有無を口実にエスカレートさせる文化産業への破滅的な異議申し立て……。
 犯人を擁護するつもりは毛頭ない。わたしが引っかかるのは、『ルックバック』がこうした「クリエイター神話」を解体するどころか、むしろ促進しているように見えるところだ。同作は事件を売れっ子クリエイターの自己憐憫じみたヒロイズムへと回収してしまう。自身の絶大な影響力を棚上げし、悲劇に見舞われながらも漫画を描き続ける(ことしかできない)というお涙頂戴のヒロイズム。そりゃあ世のクリエイターやアーティストは感動するだろう。そしてそんなクリエイターに憧れ、また多くのワナビーが生まれるだろう。漫画家志望者が増えれば『週刊少年ジャンプ』も安泰だ。
 大量の承認と収入をエサに人々を創作へと駆り立て、ひたすら何者かになることを煽り、メンタルを病むまでオリジナリティを競わせる。わたし自身のルサンチマンがだいぶ入っているのは否定できないが、事件の犯人が生まれてきたのも、こうしたサーキットからではなかったか。
 磯部の『ルックバック』評を第1位に選んだのは、この問題に真正面から切り込んでいるように感じられたからだ。著者は原作漫画と映画版との比較を通じて、事件の犯人が作者=主人公たちの「分身」としても描かれていることを論証しようとする――というより、ほとんど著者自身の信念にしたがって「“男”は我々の中にもいる」ことを、つまりは「本当にどこにでもいるような、才能のない人間」であることを詳述していく。これはむしろ作品の肌理に逆らって、現実の側からもうひとつの可能性をえぐり出していくようなオペレーションだろう。実際の事件を題材にすることの是非とか、セリフを改変することの賛否も大事かもしれないが、同作についてまず論じられるべきだったのはこの問題だと、わたしは思う。

 磯部は文章の末尾で、京アニ出身の山田尚子監督の『きみの色』にも触れている。淡白な内容に「拍子抜け」したそうだが、むしろそこにこそ『けいおん!』以来の監督の強い信念がある。
 何者でもない少年少女たちの創作活動を見守り、持てるプロフェッショナルな技術のすべてを投入して、アマチュアリズムを徹底的に擁護するという逆説。彼女たちはプロになるのかもしれないし、ならないかもしれない。だがそんなことはどうでもいい。重要なのはあのとき、あの場所で、彼女たちだけの幸福な瞬間がたしかに存在したということだ。それはクリエイターの再帰的な自己神格化とは比較にならないほど痛切な、創作への讃歌ではなかったか。
 冒頭でも述べた通り、わたし自身は職業批評家ではない。たんなる愛好家にすぎない。けれどいまは、そのことにひそかな誇りを抱いてもいる。

▶てらまっと。ごくごくインディーな批評サイト「週末批評」管理人。最近の論考に「『るろうに剣心』と重なる戦後日本の“ねじれ”――志々雄が背負う旧日本軍の無念」(KAI-YOU、2025)、「救済のパラフレゾロジー――長崎、京アニ、きみの色」(週末批評、2024)、「もうひとつの『おにまい』(2)――オオサンショウウオと成熟の問題」(低志会会報 vol. 2、2023)など。週末批評=https://worldend-critic.com/

⑦〈物〉の自律性 西村紗知

〈物〉の自律性というのか、物質の手触りと言ってもよいが、「客体の優位」というほかないような、現実との出会い方が可能かどうか定期的に考えている。
日常のあらゆる場面で、何でもすぐ言語化されてしまう状況が優勢な気がする。自分のための行いや言葉が、すぐさま利敵行為になってしまいかねない、そういう緊張感のなかで生きている感覚がある。間断なくのんべんだらりとした、自他境界の往来にストレスのない社会というのはまさにストレス社会そのものだが、コミュニケーションについてのみ切り詰められた現実からでも、ふっ、と異物が到来することが、まだあるような気がしている。
ささやかな経験において、幻想が幻想だったとわかる、人間都合のものがやはり人間都合に過ぎなかったとわかる、イデオロギーがひっぺがされる――そういう瞬間は、たくさんあるものではないか。
今回は、日常生活における〈物〉の自律性というアイデアから出発して選んでみた。なお、それぞれの筆者の問題意識や手法は私が受け取ろうとしている方向性とは異なる。最初のはポストコロニアリズム的見地に則っており、二番目は実証主義的かつ徹底的に技術に限定した内容で、最後は、テクストの男性中心主義的性格を解き明かすタイプのテクスト分析の方法を貫いている。

●「わたし」と「アメリカ」の間にある〈物〉

・唐木元「「しょーらいのユメは外人になることです!」と叫んだ少女がいたんですよ」、Rolling Stone Japan、2024/07/05 14:40。https://rollingstonejapan.com/articles/detail/41195

何と言っても、写真のインパクト。「壁に、壁からね、鉛筆削りが生えていたのだ」。
筆者はNY在住の、ミュージシャンでありライターだ。現地での生活において、いかにして「自分のなかの舶来信仰みたいなもの」がキャンセルされ、「なんでもないありふれたものをありがたがっていた」とわかったのか。その端緒が写真にうつっている「ボストンの鉛筆削り」とのこと。
筆者はこの文章を、「浮き上がってくるのが非対称性だ」「ただ借り物でない言葉と、借り物でないサウンドを、少しでも獲得できたらというささやかな、でも大それた願いだけが、ある」といって締め括る。文化相対主義的なスタンスを保持しつつ自文化の獲得を目指す、という所信表明がここにあるわけだが、私がいろいろと思ったのは、そのパラダイムとはまた違ったことだ。
筆者は、ボストンの鉛筆削りとの出会いを次のように回想する。「当初私はボストンの大学に通ったのだけれど、最初に教室に入った瞬間、すでに衝撃があった。壁に、壁からね、鉛筆削りが生えていたのだ。アメリカ文具に詳しい人はわかると思うのだが、その名もボストンという、日本ではとてもよいものとされている名門の鉛筆削りがあるんだけど、それが壁に雑に打ち付けてあるの。なんか釘で」。
私が注目したいのはこの引用全体の、文章表現の手法についてである。「思うのだが、」「あるんだけど、」などと、かしこまったり砕けたり、口調が微妙に混在している。こういう口調の混在が筆者の動揺を生き生きと伝えているのだが、注目すべきは、鉛筆削りを記述しようとすると口調が砕ける、というふうにみえるところ。さらにその「鉛筆削り」の描写に注目すると、ひとつめが「壁に、壁からね、鉛筆削りが生えていたのだ」で、次が「壁に雑に打ち付けてあるの。なんか釘で」。この記述の違いと順番は重要だ。ここには「信仰」の破壊の起こり方が端的に表れている。
壁から鉛筆削りが生える、という〈物〉が主語になった記述が、壁に鉛筆削りが打ち付けてある、という動作主を含めての記述より先にある。この感覚が大事なのではないか。ここには〈物〉の自律性が立ち現れている。
〈物〉が主語になるような、破壊の経験。この経験においてキャンセルされたのは、本物なるものへの憧れではなくて、本物/偽物という二項対立のほう、つまりは〈物〉にまつわる人間都合の観念のほうだったのではないか。
何が本物で、正しい歴史とは何か――こういうことを考えていると人は排外的な思想体系に落ち着きやすいのかもしれないが、こういう思想のブレ自体をキャンセルするには、鉛筆削りが壁から生えている、と言うしかない経験、二項対立が爆破され、〈物〉の自律性がそこにあるような経験をひとつずつ積み重ねていくしかないのだろう。

●「わたし」と「あなた」を支える〈世界〉

・長井優衣「〔研究ノート〕レンズ付きフィルム『写ルンです』における写真表現のエモさVol. 1 ―主観的評価からエモさの要因を読み解く―」、『學苑 昭和女子大学紀要』975号、2024年3月、pp.85-95。https://swu.repo.nii.ac.jp/records/2000066

2010年代半ばの「写ルンです」(平成期に多く流通したフィルムカメラ)ブームと、「エモい」という若者言葉についての調査・実験研究論文。このVol. 1は「写ルンです」ブームの概要をまとめ、「エモい」という言葉の用法の整理を行い、仮説を立てるところまでに紙幅を費やしているので、本番はVol. 2のほうだ。
写真表現にとっての「エモさ」とは、カメラの「性能の表れ」だと筆者は言う。「写真におけるエモさをカメラの「性能の表れ」にあると仮定し、一定の条件下での撮影検証を行うことで、撮影方法や被写体に関わらず『写ルンです』元来の仕様から発生してしまう純粋な「カメラ性能の表れ」を明らかにする」と。
この論文は「エモい」という言葉を理解するための示唆に富んでいる。しばしば「エモい」という言葉は、「ノスタルジック」という言葉と部分的に重複して、古いメカニック特有の不便さに由来する感受性とされたりして、意味上様々に混在して用いられてきた。そうこうするうちすっかり様式化され、ネタとして消化され、以前ほどには使われなくなった。この論文で示されているのは、これまでとはまた別の視点だ。つまり、「撮影方法や被写体に関わらず」というところ。ここでも私が思うのは〈物〉の自律性なのだ。
ここから先は私が発展させて考えたことになる。撮る「わたし」の主観ではなく、撮られる「あなた」の主観でもなく、カメラの性能。こう言葉にすると当たり前に過ぎるが、写真を撮るのはカメラである、というこの普通の現実のことを、どうして「エモい」という情緒的な、叙情的な表現で捉えてしまう人が多いのか。当然そういう疑問がわいてくる。〈物〉の自律性を人が感じ取っても、この感触がどうしてメカニックなものへの愛着ではなく、「エモい」という叙情に回収されてしまうのか、と。
それは、「エモい」が「わたし」と「あなた」の密着した二者関係にまつわる行き詰まりや退廃に裏打ちされているからではないだろうか。私が思ったのは、「わたし」と「あなた」を取り囲んで支える〈世界〉に向う心情のことを、言ってみれば関係から逃げたい気持ちを、「エモい」と言い表そうとしてきた人が多かったのではないか、ということだ。
だが、単なる逃げだとして、それがどうして「エモい」などと素敵なものに思えるのか。それは、「エモい」が〈世界〉を寿ぐ脱歴史的な感受性を支えにしているから、なのかもしれない。
ずっと、「わたし」と「あなた」の間は透明なのではなく、いかなるメディウムも透明ではありえず何ものかの支えなのであって、「わたし」と「あなた」の場合に限らず、現実ではずっと前から、いついかなる時も、「わたし」と「あなた」を取り結び、支えとなってきた〈世界〉があり……というように。こうなると、〈物〉の自律性はどこかに行ってしまっている。

●「君」は「僕」の〈道具〉

高木信「残酷な《秋元康》が支配する(2)何を言っているんだ、君は? 欅坂46=櫻坂46のために」、『相模国文』51号、2024年3月、pp.43-72。

二者関係から逃げた結果出てくるのが〈世界〉を寿ぐ姿勢で、そこに根をもつのが「エモい」という感受性だった、ということにして最後まで話を進める。誤解のないように言いたいのは、〈世界〉を寿ぐこと自体がいけない、というのではなく、そこに至る理路が問題なのだ、ということである。
ところで私が思ったのは、ちょうどこの言葉が流行りはじめてから今現在に至る、世界的にみて日本のアイドルが劣勢を強いられている状況についてである。日本以外のアイドルや、ショービジネスが優勢な場合(大抵お隣の韓国だが)、しばしば日本のロリコン文化がいけない、という論調が強まるのが常である。そしてなんとなく毎回、《秋元康》(ここでは、上記の高木論文にならって《》をつけることとする)がとりあえず悪者にされる、というのもお決まりの流れである気がする(が最近はもうそこまでバッシングされなくなってきているかもしれない)。
この論文で筆者は、主に欅坂46(のち櫻坂46)の作品の詞を、徹底的、というよりコテンパンにテクスト分析でもって批評する。秋元がいかに論理的に不明瞭な言語運用をしているのか、解明していく。秋元詞の主体である「僕」を、筆者は次のように説明する。言葉で説明したがらず、テーゼを提示するにしてもいつも根拠が薄弱で、無責任で、勝手に「わかってくれない」などと悲劇をつくりあげていて、「君」にこれまた勝手に熱をあげている、と。これが基本的な批判のラインである。
興味深かったのは櫻坂46「桜月」の分析だ。歌詞にある「君を想う桜」という文言に筆者は特に注意を払う。この「桜」が結局何なのか、「僕」なのか「君」なのか、心情のメタファーなのか実体の桜なのか、決定できないと筆者は言う。可能となる読みを徹底的に洗い出した結果、「「君」はどこまでも「僕」の美しい失恋を描くための〈道具〉でしかない」と結論付けるに至る。
思えば、秋元康の詞世界、一種独特な君-僕の二者関係の世界は今となってはクリシェで埋め尽くされ、退廃そのものだ。それは「エモい」と形容されてもおかしくないような気がする。だが「エモい」とは違う。秋元の詞世界はむしろ、関係から逃げる気持ちと縁遠い。「君」が「僕」の〈道具〉である。
「君を想う桜」は〈物〉でもなければ〈世界〉の側にもない。君-僕の堅固な主従関係のなかで、身を潜めているだけではないか。だが、他方で「エモい」と思い合う「わたし」と「あなた」とて、主従関係とまったく無縁でもないだろう。主従関係が発生してしまう現実から目を背けたくて、心情を〈世界〉へ逃がしているだけかもしれない。

〈物〉の自律性が知りたい。相手を〈道具〉にするか、〈世界〉を寿ぐか。そんな馬鹿げた二者択一を爆破してしまうような。

▶西村紗知。1990年鳥取県生まれ。批評対象は主に音楽。東京学芸大学教育学部芸術スポーツ文化課程音楽専攻(ピアノ)卒業。東京藝術大学大学院美術研究課芸術学専攻(美学)修了。単著に『女は見えない』(筑摩書房、2023年)、論考に「椎名林檎における母性の問題」(『すばる』2021 年 2 月号/第 4 回すばるクリティーク賞)、「お笑いの批評的方法論あるいはニッポンの社長について」(『文學界』2022年1月号)、「いしいひさいちについて」(『すばる』2024年8月号)など。ちえうみPLUSにて「新しい典礼」を隔月連載中。https://chieumiplus.com/tags/atarashiitenrei

⑧ 富野由悠季・メディア論・考察――2024年論文個人的BEST3 渡邉大輔

 私の2024年の論文の推薦作は、いずれもおそらくそのうち書籍の形にまとまるだろう3作の連載である。以下、発表時期の早い順に挙げていく。

(1)藤津亮太「富野由悠季論」webちくま、2024年4月~2025年2月
 アニメ評論の第一線で活躍する筆者による、タイトル通りアニメの巨匠・富野由悠季をテーマにした渾身の長篇評論である。3月には早くも単行本化されるようだ。ご存じの通り、富野は戦後日本アニメを代表する大ヒットコンテンツ『ガンダム』シリーズの生みの親であり、『勇者ライディーン』(1975-1976)、『伝説巨神イデオン』(1980-1981)、『聖戦士ダンバイン』(1983-1984)などの数々のロボットアニメを手掛けたアニメーション監督・演出家である。『機動戦士ガンダム』(1979)の大ヒットによって、戦後アニメ史上、最も早くから「作家」として世間に存在を認知されたクリエイターであるとされ、とりわけ近年はその評価がアニメ業界の外でも著しく高まっている。2009年から実物大のガンダム立像がお台場ダイバーシティに設置されている他、2019年には文化庁長官表彰、2021年にはアニメーション界で2人目の文化功労者にも選出された。2019年からは大規模回顧展「富野由悠季の世界」も全国を巡回し、改めて富野の仕事が脚光を浴びている。そこには、アニメーション研究の文脈では、富野が先駆的に関わってきたようなメディアミックスを軸にした日本アニメ研究が国内外で活発化している状況も関係しているだろう(例えば、トーマス・ラマールやマーク・スタインバーグの仕事など)。
 だが、奇しくも同い年である宮﨑駿とは異なり、その大衆的人気や知名度に比較すると、富野の作品はこれまで本格的な研究や批評の対象にはほとんどなってこなかった。あっても、宇野常寛『母性のディストピア』(ハヤカワ文庫)のような、文化批評的なサブカルチャー評論の枠組みで語られることが多かった。それは一つには、スタジオジブリで高いクオリティの「映画」を発表してきた宮﨑に比較し、主に「テレビアニメ」の世界で、しかも「ロボットアニメ」という通俗と見られがちなジャンルで長く仕事を続けてきた富野のキャリアに由来するだろう。
 富野のアニメ業界入り60周年、『ガンダム』誕生45周年の節目の年に連載を開始した本稿は、その意味で、この「あまりにも知られながらいまだ知られざる巨匠」の全貌に初めて肉迫する画期的な作家研究となっている。筆者は本稿の冒頭で、これまで長らくスポットライトが当たってきた「文化人」としての富野ではなく、「アニメーション監督」としての富野について論じると宣言した上で、その実像を作家本人の発言に基づき、「演出の技」と(作家ではなく)「戯作者」という2つの切り口から明らかにしていくと語る。
 現状では、富野の経歴や同時代のアニメの歴史的変遷、また業界における「監督」という職能の成立プロセスなどが概論的に整理された後に(第1〜3回)、脚本・演出家デビュー作となった日本初の30分枠テレビアニメ『鉄腕アトム』(1963-1966)、続けて『機動戦士ガンダム』、『イデオン』、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988)と、富野の80年代の代表作が順次、具体的に読解の俎上に上る。例えば、3回に分けて『ガンダム』の第1話のみを、シナリオ、絵コンテ、関係者の証言などの1次資料を縦横に駆使しつつ丹念に読み解いたり、『アトム』において過去のラッシュフィルムを再利用し、まったく新しい話を作る「再編集エピソード」に携わった経緯から富野のこだわる映像的なダイナミズムのルーツを探る部分などは、良質のアニメ評論の醍醐味を存分に味わえる。私事ながら、2024年はスタジオジブリを主題にした新著を執筆していたので、本稿はたいへん刺激的だった。世評的にも再評価の機運が高まっているこのタイミングで、このアニメーション監督のキャリアを総体的に振り返る連載になっている。

(2)福嶋亮大「メディアが人間である」リアルサウンドブック、2024年9月から連載中
 同じ名前繋がり……というわけでもないが、続いては、私ともほぼ同年代で、いわゆる「ゼロ年代の批評」から出発しながら、文学、思想、歴史からサブカルチャー、アートまで多角的で高密度の批評を展開し続ける文芸批評家による思想的エッセイの連載。筆者はこの媒体の版元から同じく連載に基づいた『書物というウイルス』(blueprint)を2022年に刊行しており、本稿も後日に書籍化される可能性は高い。
 本稿は、20世紀のマーシャル・マクルーハンのメディア論やジャン・ボードリヤールのシミュラークル論のアップデートを念頭に置きつつ、21世紀の新しいメディア論や美学の姿を試論的に構想する。筆者の仕事は、かつてはサントリー学芸賞を受賞した大著『復興文化論』(青土社)を含め、重厚な文芸評論という趣の強い著作が多かったが、近年は『感染症としての文学と哲学』(光文社新書)や『思考の庭のつくりかた』(星海社新書)など軽めのエッセイ的なものが増えており、本稿も、文章、内容ともに読みやすい。
 タイトルの「メディアが人間である」は、もちろんマクルーハンが『メディアの理解』(邦訳『メディア論』)で記した有名な「メディアはメッセージである」という標語に基づいている。20世紀にマクルーハンは、メディアの本質を「人間の拡張」と定義した。そこでは映画にせよ電話にせよラジオにせよ、メディアは人間にとってその限界を空間的/時間的に拡張する他者=「エイリアン」として存在する。しかし筆者によると、YouTube、Instagram、TikTok、VR、メタバースといった21世紀のメディアの本質は、そうではないという。それらはむしろ、人間的関心や人間の生理、情報を適切に補正するように働く。21世紀のメディアはいわば「再人間化」され、「人間を拡張するのではなく、人間がメディアの拡張を制限する」。これが、「メディアが人間である」というタイトルが意味するところだ(ここには、筆者自身が参照するように、ノーバート・ウィーナーの「人間の人間的利用」という言葉が響いている)。
 情報処理を司る「神話」(ミュトス)というアクタントの挙動に注目したデビュー作の『神話が考える』(青土社)、人間を脅かす「災厄」を起点に日本文化を捉え直す『復興文化論』以来、人間/非人間の関係の諸相から独自の壮大な文明論・文学論を展開してきた筆者らしい野心的なメディア理論のコンセプトで読み応えがある。
 個人的には、連載第1回のYouTubeやTikTokなどの動画アプリが、20世紀の映画とは異なり、人間の情動こそに特化し、それを活性化させるという見立ては、拙著『新映画論』(ゲンロン)で提起した(「美しさ」ではない)「楽しさ」(快)の美学という論点とも呼応するように思った。それは第4回で参照される18世紀ドイツのシラーの「遊び」に着目した「美的教育」にも通じる。この筆者らしく奇抜なタイトルで、いくつもの刺激的な論点のある連載だが、要点そのものは昨今のメディア研究や表象文化論の主要な潮流と呼応するところも少なくない。ベンヤミンの複製技術論を踏まえつつ、VRやイマーシブなどの21世紀の没入メディアに「遠さ/近さ」という距離の喪失を見出す議論は、「表象(再現前)から現前へ」「表象から体験へ」などという昨今のフレーズとシンクロしているし、そのプロセスでメディア自体が消去されるというイメージは、バイオアートなどの台頭による「スクリーンの消滅」という議論とも重なっている。
 本稿の醍醐味はこれも文芸批評家の筆者らしく、最新の知見を参照しつつも、マクルーハン、ベンヤミン、ボードリヤール、蓮實重彥……といった、「古典的」な思想家の言説からアクチュアルな主題を巧みに取り出してくる、スリリングな論述にある。

(3)三宅香帆「考察したい若者たち」(『Voice』[PHP研究所]11月号から連載中)
 最後は、2024年に『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)で大ブレイクを果たした新世代の文芸評論家・書評家による連載(今度は同じ大学繋がり……)。私や福嶋よりもひと回りほど下の世代である。
 本稿は、昨秋に総合誌で連載が始まった評論だが、もともとは2023年の暮れに筆者が自身のnoteに掲載した「『プロフェッショナル 仕事の流儀 “ジブリと宮崎駿の2399日”』を見て批評家の役割について考えた」というエントリがウェブでバズったのがきっかけだと思われる。私も当時、記事を読んで大いに示唆を受けたのを覚えている。この記事をプロトタイプとして始まったのが、この連載だ。おそらくそう遠からぬうちに、雑誌の版元から新書の形で書籍化されるのだろう。
 ごく簡単に趣旨を記すと、筆者は現代=令和を「考察」の時代だと規定する。それは、昭和・平成が「批評」の時代であったことと対比される。『あなたの番です』や『真犯人フラグ』などのテレビドラマ、『変な家』などの小説、『君たちはどう生きるか』などのアニメ……令和の多くの話題作は、SNSを介した「考察」を視聴者や読者に喚起するものが多い。筆者によれば、両者の違いは以下の点にある。考察とは、「作者が作品に仕掛けた謎を解くこと」。それに対して、かつて(例えばニューアカが流行った80年代や「ゼロ年代の批評」が流行った2000年代)の批評とは、「作者すら思いついていない作品の解釈を提示すること」だという。つまり、そこには「作者の意図の有無」が関係しており、考察には「正解がある」が、批評には「正解がない」。
 私自身も、2023年に刊行したミステリ論『謎解きはどこにある』(南雲堂)の中の1章で、『あな番』などの考察ドラマの時代的意味をメディア論的に分析したことがある。また、同書刊行の暁に、ミステリ系書評家の若林踏氏と対談した時も、筆者のnoteのエントリを話題に出した。確かに、筆者のこの「批評の時代から考察の時代へ」という見取り図は鋭い。YouTubeを覗いても、各種の考察動画が溢れ返っている。しかも、それは令和世代である20歳前後の大学生と日々接していても強く実感するところでもある。例えば、大学の講義で、ある映画作品やアニメ作品について、私なりの批評的な読みを披露すると、リアクションペーパーなどで、「あれはそういうことだったんですね!」と、解釈の一つではなく、あくまでもそれが「真相」だと受けとるような、ある意味で素朴な反応が、ここ数年で目立ってきた。最初は、テクスト論以前の反応だと思っていたのだが、次第に、これは一つの時代精神なのではないかと感じるようになった。つまり、本格ミステリに限らず、「謎」や「真相」に対する若い人々、あるいは現代人のリアリティが変わったのではないか。筆者は、考察の台頭の背景を、「物語を楽しむことにすら「報われること」を求めてしまう時代なのかもしれない」と記しているが、これは「コスパ」「タイパ」を重視する昨今のコンテンツ消費に注目してやはりベストセラーとなった稲田豊史の『映画を早送りで見る人たち』(光文社新書)の議論とも通じるだろう。
 藤津も福嶋も私も、そして三宅も「評論家」を名乗っているが、これからの時代は巧みな「考察」を披露するYouTuberや書評家が最も影響力を持つ時代なのかもしれない。その中で批評はどのようなリアリティを持ちうるのか。後続世代の筆者による刺激的な連載は、YouTubeが誕生した2005年に批評家としてデビューし、今年で20年を迎えた私に、そんなことを考えさせる。

▶渡邉大輔。批評家・映画史研究者。1982年生まれ。跡見学園女子大学文学部准教授。著作に『イメージの進行形』(人文書院)、『明るい映画、暗い映画』(blueprint)、『新映画論 ポストシネマ』(ゲンロン)、『謎解きはどこにある』(南雲堂)。

⑨ フィクション性・救済・将棋 勝田悠紀

 2024年に発表された書籍未満の文章BEST3というお題をもらって頭を抱えた。気になった記事をブックマークしたきり放置しがちな人間だからだ。あれはどうだ! と思い出して見たら一昨年の発表だったものもあった(その中では、個人的に謎の勇気を与えられたルポルタージュ、藤谷千明「YouTubeが大学になる(かもしれない) 第2回 リベラルアーツ大学編「お金が教養とされてしまうこんな世の中じゃ?」(1)」、終始感動しながら読んだ、山本浩貴『言語表現を酷使する(ための)レイアウト――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』を挙げたかった)。そういうわけで選者としてはたいへん心許ないのだが、改めて2024年を振り返り、遅ればせながら気になっていたものを読んだりもして、三点を選んだ。

ベネディクト・S・ロビンソン「フィクション性の本当の物語」(Benedict S. Robinson, “The True Story of Fictionality.”Critical Inquiry 50.3, Spring)

 フィクションについて考えるとき、「フィクション性」という概念を使いたいと思うことが多い。この言葉を最初に知ったのは、英語圏での小説研究では有名な論文、キャサリン・ギャラガー「フィクション性の勃興」(Catherine Gallagher, “The Rise of Fictionality”, 2006)を読んだときだった。小説の歴史は『ロビンソン・クルーソー』と共に幕を開けたとする通説をとりあえず前提するとして、ギャラガーはその18世紀前半のイギリスに、ジャンルとしての小説だけでなく、小説的=近代的「フィクション性」が誕生した(あるいは広まった)とする。今回挙げるベネディクト・S・ロビンソン「フィクション性の本当の物語」は、このギャラガー論文に対する、著者の専門(近世文学)を生かした反論である。『クリティカル・インクワイアリー』誌に掲載され、次の号にはギャラガーからの応答とロビンソンの再反論も載った。
 ギャラガー論文では、嘘とも真実とも区別される「本当らしい嘘」の確立を促した要因として、第一に名誉毀損の問題が挙げられる。政治的批判に文筆の才能が殺到した18世紀前半、作家は法制度との兼ね合いのなかで、名誉毀損罪を回避する必要に迫られていた。そこで、架空の人物が役にたつ。誹謗中傷(個人攻撃)ではなく風刺(普遍的批判)です、本当っぽいけど作り話ですという建前を確保しながら、実在の人物が攻撃された。小説は悪口の洗練として始まったという、示唆に富んだ見立てである。ギャラガーは他に、近代社会の流動化による懐疑の全面化と「不信の意図的な停止」(コールリッジ)、内面を書く文法的カテゴリーとフィクション性の相関などさまざまなトピックを取り上げ、刺激的な議論を展開した。これに対してロビンソンは、18世紀初頭にエピステモロジカルな断絶を見る態度を批判する。辞書的に見て “fiction” という語の意味合いがこの時期に変わったのだとしても、実質的にはそれと近しい概念が別の名前で(例えば「詩」という言葉で)呼ばれてきたし、それは古典喜劇から文法・修辞学を通じて近世悲劇へと継承されてきた。ロビンソンの力点は、ジャンル・メディア横断性にあり、これは近年のフィクション研究の傾向にも対応している。
 両者を比べて興味深いと思うのは、ギャラガーは本当の話が嘘を装う側面に注目していたのに対し、ロビンソンは不確かな事実や意図に本当らしい説明をつけようとする、ありえないもののなかにありえそうな理路を創出する側面にフィクション性を見出していることだ。筆者の観点からすると、後者はリアリズムの陰謀論的な特質に目を向けており、そのときどういうわけか、小説に抱え込まれた演劇が問題になってくる。私の学問的背景が英文学なのと、本媒体連載でも扱った「フィクション性」に触れたかったのもあって、初っ端から英語論文になってしまったことはお許し願いたい。ギャラガー論文を含め、そのうち訳せたらと思っている。

てらまっと「救済のパラフレゾロジー――長崎、京アニ、きみの色」(週末批評、9月20日)

 二本目はいわゆる「批評」らしい批評文を。掲載媒体の「週末批評」は著者てらまっと自身が主催する批評サイトで、改めて見ると2022年5月に最初の記事が投稿されている。スタート時のことを何となく記憶しているが、もう三年近くになるようだ。理念に共感するところがあり内容もおもしろいので、目についた記事を読んだり、たまに開かれているスペースを聞いたりしている。良質な記事が多く、壱村健太「《エンキリディオン Enchiridion》――山上徹也容疑者の未発表論文「哄笑」を読む」の衝撃も記憶に新しい。
 「救済のパラフレゾロジー――長崎、京アニ、きみの色」は、山田尚子監督、吉田玲子脚本の映画『きみの色』論である。長崎の架空のミッションスクールを舞台としたこのバンドアニメに、てらまっとは、キリスト教迫害と原爆、さらに京都アニメーション放火殺傷事件による大量死の影を読み取っていく。一方に、作品内のセリフや監督の言葉における一見どうということのない、しかし妙な含みを感じさせるニュアンスへの注目を、他方に、浦上天主堂の被爆マリアやカトリックの医師・永井隆の原爆解釈などの歴史的事実を置き、両者を絡み合わせながら展開される議論は、緻密であると同時にこちらを引き込んでくるもので、読後は素朴に、上質な批評文を読んだという感動があった。とりわけ永井隆の「浦上燔祭説」から「免責のプロトコル」を読み取り、それを冒頭で提示されたニーバーの祈り、「神さま、変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与えください」の解釈へと差し戻していくくだりが印象に残っている。
 てらまっとのいう「世俗の知恵」――「変えることのできるもの〔出来事の意味〕と、できないもの〔出来事それ自体〕とを区別できる知恵」――は、どこかで「週末批評」への自己言及でもあるように感じられる。変えることのできないもの(平日)と変えることのできるもの(週末)、終末が週末に「書き換えられ、そのたびごとにまた歩き直していく、そのような生のあり方」というような。てらまっとの論考は、一方で力強い発見的な方法――「画面外に……フレームアウト」されたもののなかにこそ重要なものを見出すという――を駆使して書かれているが、そうして取り出されてくるものは、受動的な立場に置かれた人が抱え込む機微である。てらまっとの立場は、原爆解釈において永井隆に向けられたのと相似形の批判を、自分の文脈のなかで引き受けているように思える。

大川慎太郎「永瀬拓也32歳、70分超の電話取材で本音を思わず口に…「藤井(聡太)さんを人間としてみてはいけないんです」「これが最後かもしれませんよ」」Number Web、9月26日

 ところで、私は将棋が趣味である。AIの実力が人間と拮抗し一瞬で抜き去っていったたしか十年弱くらい前にネットで指し始め、それ以来対局アプリでの昇級を楽しみにやってきたのだが、2024年は私にとってリアル大会に初出場した記念すべき年になった(しかもなんと優勝した)。ここ最近は、過去最大級に強くなりたい欲が高まっている。それと呼応するように文学業界の将棋熱も高まっているらしく、昨年は『将棋と文学セレクション』なる本が出版されてイベントもやっていた(残念ながら未読)。
 私にとって将棋がおもしろいのは、棋士の生き様とか文学における表象とかとは別に、盤上での出来事やその歴史的な展開、あるいは強いプレイヤーの持つ特別な感覚を、コンセプトや言葉で捉えていくその仕方である。山本一成『人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?』(ダイヤモンド社)を読んでいて、ゲームをプレイする人工知能を作る上での難易度が、可能局面数よりも状況判断の言語化の難しさに比例すると知ったときは感動した。ここではこう指すべきという「正解」が示されたとして、そうだこれはいい手なんだと、自分でどう納得し、再現性を高めていくか。そのとき駒の配置と移動でしかないものを言葉で捉え直す必要が生じ、しかもその枠組みは時代によって変化してゆく(この分野での名著に保坂和志『羽生 21世紀の将棋』がある)。今日では将棋は、思考過程は不明だが圧倒的に正しいことだけは確かなAIの出力とどう付き合うかの実験場になったりもする(この辺については前に書いたことがある)。
 そんな私からすると、プロ棋士の言葉はたいへん気になる。棋士といっても言語化の能力、意欲は人それぞれだが、彼らの言葉から何かを汲み取りたいという気持ちにさせられる。一言で言うと、彼らの目で将棋の世界を見てみたいというのに近い。最初に言ったことと矛盾するようだが、こうなってくると棋士の勝負観や人生観もひっくるめ全部が気になってくる。
 中でも注目している棋士に、永瀬拓也がいる。2023年に藤井聡太がタイトル8つを独占したことは知る人も多いと思うが、その最後のタイトルを藤井に献上したのが永瀬である。今回選んだのは、その永瀬が一年後に同じ王座戦で藤井に再挑戦し、敗れた後に出たインタビュー記事で、ここでは場違いかもと思いつつ、間違いなく昨年最も衝撃を受けた記事だったので選ばせてもらった。上に挙げた二本と違いどこがどうということがあまり言えないのだが、たとえば「人間をやめる」ことをめぐる諸々の発言。あるいは記事の最後の方に出てくる、「言葉を捨てる」という発想。棋力の向上と言葉の獲得がトレードオフになるというその感覚。永瀬の言葉には、将棋を指す人としての自分の思考になんとか明晰な形を与えようとする苦しい力強さがある。なお、「非人間・永瀬」を描いた上記記事の兄弟版として、「人間・永瀬」が見られる記事に『将棋世界 2024年11月号』のインタビューがある。

・香川祐葵「真理が語れない時代に再考する物語の役割:日本におけるポストモダン思想の観点から」(『共生学ジャーナル 第8号』3月)

 最後に次点として一本。タイトルの通りの内容で、「大きな物語の終焉」以後に到来した「虚構化の加速とナマの現実の台頭」という事態(いずれにおいても象徴的な「真理」は「語れない」)を分析し、その先に「ナマの現実」から発するもうひとつの物語として、病者のナラティヴや当事者研究を置く。「常にナマの現実から出発する語りは私たちを裏切らないであろう」という評価については、例えばワクチン陰謀論を思い浮かべながら、賛成できないと感じるところはある。しかし、「大きな物語の終焉」を謳ったポストモダン思想の延長線上に今日のナラティヴ研究を位置づける香川の図式は、今日の「物語」を考える土台として貴重である。てらまっとの論考も、香川の論とは別の仕方でではあるが、「ナマの現実」と物語の関係を考えるものだと言えた。理論的な観点からは、この方向性で「物語」という語にどこまでの荷を負わせられるのかが気になっている。

▶勝田悠紀。1991年生。東京大学大学院博士課程。論考に「今村夏子とポスト・クリティーク——新たなリアリズムと批評の声を求めて」(『エクリヲ vol.9』、2018年)、「ポータブル・キャラクターズ——ディケンズの複製技術」(『リーディング』39、2019年)、「距離、あるいはフィクションの恥ずかしさについて」(『エクリヲ vol.13』、2021年)など。最近の関心事は、将棋と魚の流通。

⑩「喪の悲しみ」から始めるための3つの論考 幸村燕

 2024年という年は私にとって思い入れの深い人々が多く亡くなった年だったように思う。あえて一人ずつ列挙するという事はしないが、それでも国内外問わず多くの人の死を経験した。勿論、死は常にあり、そして日々誰かが亡くなっているのだから、2024年を特権的な年に位置付けるのはいささか不誠実であるようにも思われる。だが、今回このような原稿依頼を頂いた時、私が真っ先に「喪」について考えたのも事実である。だからこそ、あえて私は「喪の悲しみ」の中から本稿を始めようと考えた。とはいえ、この「喪の悲しみ」は単に暗く悲痛なものではなく、私にとって光ともなり得るような希望の悲しみである。人文学の営みは何千年もの間、数百年前数千年前の故人と対話し続けてきたのだから、私は故人に対して「さよなら」とは言わず「また会おう」と言うべきなのだと思う。私にとっての「喪の悲しみ」とは、そんな気分のことである。
 本稿で紹介する三つの論考はそれぞれ「喪」や「死」について私に多くの示唆を与えてくれたものである。初めに紹介する石井咲「喪から「新たな生」へ」(日本フランス語フランス文学会,『フランス語フランス文学研究 125 (0)』, 99-113, 2024)は、石井が研究対象とするフランスの思想家ロラン・バルトの晩年の営みに関する論考である。そして、二つ目に紹介する蓮實重彥「ナード・デューという女優が、もしカルロッタという名前だったとしたら」(株式会社キネマ旬報社,『FILM ANNONCE DU FILM QUI N’EXISTERA JAMAIS:《DRÔLES DE GUERRES》』,02-03,株式会社ファインフィルムズ,2024)は2022年に亡くなったフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールの遺作『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』を巡って書かれたものだ。最後に取り上げる浅沼光樹「生の相関主義」(『現代思想2024vol.52-4#03特集=人生の意味の哲学』,125-134,青土社,2024)は喪という趣旨から少し逸れるものの現代における「反出生主義」と「思弁的実在論」という「人間不在の哲学」に関する優れた論考となっている。

1 石井咲「喪から「新たな生」へ ロラン・バルトのテクストにみられるダンテの影響」

 1980年2月25日、当時コレージュ・ド・フランスで「小説の準備」という講義を担当していたロラン・バルトは当時予定していたセミナーであった「プルーストと写真に関するセミナー」の準備のためコレージュ・ド・フランスへ向かっていた。そして、その道中で軽トラックに撥ねられ、重傷を負い同じ年の3月26日に亡くなった。享年64歳であった。不慮の事故によって命を失ったバルトであるが、その彼がその死の直前の数年間「小説」を書こうとしていたという話は研究者やバルト愛好家たちの中では有名な話である。バルトが「小説」を書くことを宣言している文章は、邦訳にもなっており1977年6月のスリジィ・ラ・サルで行われたバルトに関するシンポジウムの抄訳である『プレテクスト』(諸田和治・訳,日本ブリタニカ,1980)や、『ロラン・バルト講義集成3コレージュ・ド・フランス講義1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』(石井洋二郎・訳,筑摩書房,2006)などで見受けられる。また日本では石川美子が早い段階からバルトの「小説」を書くという試みに関して研究を進めており、研究論文のみならず一般書においても石川美子が率先してこの問題を取り扱っていた。日本で唯一のバルトに関する新書である石川美子『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』(中央公論新社,2005)の中でも、多くのページを割いて論じられている。他にも、石川美子が編者となっている『ロラン・バルト著作集10 新たな生のほうへ 1978-1980』には、石川美子の解説とともにバルトの小説のメモ書き段階の草稿が翻訳され、紹介されている。このように、バルトが書けなかった「小説」という神話は多くの研究者を魅了してきたが、また同時に危うい道でもあった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の続編についての研究などがわかりやすい例だと思われるが、これはどんな作家の研究についても言えることとして、「未完」あるいは「構想段階」でしかない文章をどこまで再現するべきなのか、想像すべきなのかという問題は必ず袋小路に陥り、独断的な推論の罠にかかってしまう危険性が伴う。例えば、バルトの草稿が完全に修復でき、そこから一つの小説に再現する方法を確定できるような方法ができたとしよう。しかし、それはバルトの「小説」なのだろうか。このような行いは私には、バルトが最も嫌っていたイメージと言語の多元性が「固まること」になってしまうのではないかと思う。そのため、このバルトの「小説」を巡る研究は晩年のバルト研究にとって重要なものでありながらも、こと日本においては石川美子以降取り扱う研究者は少なかったように思われる。
 勿論、若手研究者である石井咲にとってこのような危険性は当然承知の上である。だからこそ、石井咲はバルトの「小説」を再現し想像するような道は取らず、巧みにも「なぜバルトは小説を書かねばならなかったのか」という問題と「バルトが小説を書こうとした際に、重視した作家たちの問題意識とバルトの問題意識の照応関係」へとこのバルトの「小説」問題の問いの立て方を刷新している。これらの問いとは換言すれば、バルトが自身の小説の元ネタとした作家たちに対してどのような読解を加えていたのか、そしてそれらがバルトの「小説」を書くという欲望とどのような関係にあったのか、というようなものである。要するに石井咲は「小説以前から小説へと向かっていくバルト」を読むという作業をしているのである。当然のことながらこのような作業は石井咲の持つ膨大な文献学的能力とテクストの精緻な読解力によって初めてなされるものである。
 この石井咲論文ではバルトの「小説」構想に影響を与えた作家の一人であるイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが取り上げられている。これまで、多くの場合バルトの「小説」構想はプルーストとの比較で読まれることが多かったのであるが、石井咲が指摘しているように、バルトが小説の構想を語る際、常にプルーストと並んでダンテが現れる。実際、バルトが書こうとしていたと言われる小説の仮題は『新生Vita Nova』であり、さまざまな講演録を読む限り、ダンテが晩年のバルトに与えた影響はかなり大きいものである。石井咲は「バルトは小説の構想段階にあたる1979年7月27日付の覚書に、ダンテからの「創造にまつわる衝撃」を受けたと記している」ことを指摘している。また、時系列が逆になってしまうが小説を書こうと宣言したバルトが衰弱していく母アンリエットの世話を優先したことで一時、小説を書こうとすることを後回しにしたとしており、1977年の母の死から始まる『喪の日記』(石川美子・訳,みすず書房,2009)からバルトの「文学への回心」を読み解いている。1978年12月9日のセミナーで、「わたしは長いあいだ、〈書く意志〉それ自体というものがあると信じてきた。書くというのは自動詞だと――今ではその確信が薄れている。おそらく、書く意志=何かを書く意志なのだ→〈書く意志〉+〈対象〉」(『ロラン・バルト講義集成3コレージュ・ド・フランス講義1978-1979年度と1979-1980年度 小説の準備』p.17-18)なのであると述べたバルトにとって、母こそが〈対象〉であったはずだ。石井は『喪の日記』を参照し、母の喪失という「喪の悲しみ」の中にいるバルトに、「「忘却」によって母という存在が風化することを恐れ、それと「戦う」ために「記念碑」としてのテクストをつくる」という決意を読み取っている。そして、ダンテ『神曲 地獄篇』導入に出てくる「道半ば」や「暗き森」という言葉に関するバルトの読解を行い、「バルトの「喪」、ダンテの「暗き森」、プルーストの「夜」は、エクリチュール以前という闇の状態として響き合う」のだと述べ、続けて「そして作家が「人の生の道半ば」という転換点に立ち、新たな生を見据えたとき、ようやくその闇はエクリチュールに変換されうる。バルトが「新たな生」という語を口に出したこのとき、彼もまた二人の先達と同様に、ようやくその闇を書きうる段階にさしかかったと言えよう」と述べている。
 前五節まである論文のうち、ここまでが三節までの内容なのであるが、残念ながら紙面の関係上これ以上書くことができないため、読者にはぜひ石井咲の論文を読んでいただきたいと思う。また、去年の12月に石井咲の博士論文の公開口頭審査会が行われ、そこでの博士論文『ロラン・バルトの「道半ば」の詩学:生と死、批評と小説の漂流』が提出されたようで、これに関してはこれまで石井咲が論文で扱っていたテーマの集大成であると思われるため、個人的には是非とも読める日を楽しみにしている次第である。
 近年、筑摩書房や水声社を筆頭に邦訳のなかったバルトの高等研究実習院でのセミナーが大量に刊行されており、2022年にはクロード・コスト『バルトの愚かさ』(桑田光平,栗脇永翔, 中村彩・訳, 水声社, 2022)が訳され、その翌年にはティフェーヌ・サモワイヨー『評伝ロラン・バルト』(桑田光平,伊澤拓人,伊藤靖浩他・訳, 水声社, 2023)が訳された。このように、密かに訪れているロラン・バルトブームであるが日本で受理された博士論文がほとんど書籍化されていないのは嘆かわしい事態であると思う。特に、記号論や修辞学の方面からバルトを考えている自分にとっては、金谷壮太の博士論文『ロラン・バルトにおける提喩的意味作用』(2016)が未だ書籍化されていないのはとても嘆かわしい。また、バルトに関しては文庫化されている書籍も少なく、重要な文献が未だ単行本のままで高価なのも出版業界の方々には考えていただきたい問題だと思う。日本におけるバルト研究は長い伝統を持っており、特に近年の発展は目覚ましいものがあるため、今後の若い世代への影響を鑑みるにあまり好ましい状況とは言えないのが本音である。

2 蓮實重彥「ナード・デューという女優が、もしカルロッタという名前だったとしたら──ゴダールの「奇妙な戦争」に触れてふと思うこと──」

 この原稿が載っているのは『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』のパンフレット『FILM ANNONCE DU FILM QUI N’EXISTERA JAMAIS:《DRÔLES DE GUERRES》』である。このパンフレットには堀潤之や万田邦敏の書き下ろしも載っており、正直なところ蓮實重彥をわざわざ持ってくることに確たる必然性はない。ただ、先に紹介した石井咲論文との関連で述べるなら、バルト、ゴダール、蓮實の間には奇妙な関係があり、そのような関係へのフェティシズムが、私にこの論考を選ばせたということは言えるだろうと思う。あくまでもこれは私の独断的な考えなのであるが、蓮實重彥、花輪光、篠田浩一郎は日本で最も早くバルトの「核心」を掴んだものたちである。ただ蓮實の場合には、映画という問題が常に彼の核にあり、そしてそれこそが彼をバルトから逸脱させている。なぜならば、バルトにとって映画はあまり好みのものではなく、彼にとっては写真や演劇、そして絵画が与えてくれるものの方が遥かに大きかったからだ。これはまさしくバルトのいうところの「好み」の問題である。蓮實はバルトを深く理解していながらも、「好み」の次元でバルトから逸脱している。それが彼の独創性ではあるのだが、それでもなお彼が用いる「ショット」という概念もバルト的な磁場にあるようにも思える。バルト、ゴダール、蓮實を三人並べた時、蓮實は両者に引き裂かれている。そしてこれこそが、彼の新しさなのである。余談だが、バルトはゴダールからの映画出演依頼を断っており、その後両者は互いを「保守的」と罵りあったという逸話がある。この逸話からわかるように、バルトとゴダールの間には一定の距離感がある。しかし、ゴダールの映画に魅了されている私にとって、この相違は魅惑的である。そして、蓮實こそこの魅惑の磁場に留まり続けている作家だと私は考えている。そのため、私は蓮實が追悼文のように書いたこの論考を取り上げることにした。
 ゴダール『遺言 奇妙な戦争』は二十分ほどの短い映像で、ほとんど予告編的な遺作である。ゴダール自身の映画や他の様々な映像から持って来られた映像やイメージは、スクリーンに映されたボードに貼り付けられながら、映像はモンタージュされ続ける。
 正直言って、私は『はなればなれに』や『勝手にしやがれ』などの初期のゴダール作品が好きであり、70年代以降のゴダールの映画はあまり好きではない。勿論それは私の映画的素養と教養不足に起因するものなのであるが、私は初期のゴダールの方が好きなのである。それもどうしようもなく好きなのだ。だが、『遺言 奇妙な戦争』は私にとってどこか懐かしく、そして私の好きなゴダールを見せてくれた映画であった。蓮實は「ジャン=リュック・ゴダールは、決して短くはない生涯で、一貫して「戦争」を描いてきた。『勝手にしやがれ』――男女の戦争!――から『イメージの本』(2018)にいたるまで、あらゆる意味での「戦争」しか描いてこなかったとさえいえるかと思う」と述べているが、まさに『遺言 奇妙な戦争』は戦争についてのゴダールの遺言のような映画だった。さらに言えば、遺言というよりも祈りに近い映画だったと思う。複数の大きな戦争が起きている中で、映画を用いてミクロとマクロを問わない戦争を描き続けたゴダールによる祈り。『遺言 奇妙な戦争』はそんな映画に思えた。勿論、いかにもゴダール的な映像と音楽のモンタージュと和音、不協和音は彼の映像を素晴らしく見応えのあるものにしているとともに、彼の祈りの強度を表現しいている。この祈りもまたバルトの「喪」と同じように単に悲痛に満ちたものではなく、希望に満ちたものである。だからこそ、観客は戦争やゴダールに思いを馳せるのみならず、彼の映像を楽しむことができる。
 これは蓮實とて同じである。蓮實は「戦争」という題名から必ず『アワーミュージック』の有名なショットが用いられるだろうと考え、「ゴダールにみだらに驚かされるのを拒むためには、何よりも予感というものが必要なのだ」と述べている。そして、「明らかに見たことがあるのに、どの作品からの抜粋なのかさっぱり記憶も定かならざるイメージや文字も画面に挿入されているが、これだけははずせまいという「名高い」ショットの挿入される瞬間、それ見たことかと既に他界しているゴダールに微笑みかけてやりたく思う」と述べ、予想した『アワーミュージック』のショットが「短くはないショットとして挿入されている」のを確認し、「その事実を確かめえたとき、ゴダールは思いもかけぬ身近な存在となる。目の前にいるわけではないいまは亡きこのスイス系の映画作家に向かって、それ見たことか、と思わず声をかけてやりたくなるのも不快な体験ではない。というより、むしろ、爽快きわまりない態度だといっても良い」とまで述べている。
 このような蓮實の「喪」に私はとても感銘を受けた。

3 浅沼光樹「生の相関主義 反出生主義と思弁的実在論」

 本論考はディヴィッド・ベネターDavid Benatar『生まれてこないほうが良かった』に端を発する「反出生主義」という思想への反応に対する批判として書かれた文章であり、さらに「思弁的実在論」の核心である相関主義批判、つまり人間不在世界の哲学における問題を「反出生主義」と結びつける挑戦的な論考である。「喪」というテーマから少し外れてしまうが、しかし「生前」ないし「死後」に挟まれた「生」の問題を取り扱っている本論考は現代蔓延っているニヒリズムに対して「反出生主義」と「思弁的実在論」のアクチュアリティーを再提示するという優れた論考であるため、紹介させていただくことにした。浅沼はベネターの反出生主義の独自性が哲学的論証によって行われていることであるを指摘しながらも、ベネターの論証を突き崩そうとする立場がベネターの論証を破壊することで彼の「反出生主義」から独自性を剥奪し、「ニーチェ以来の〈生の自己肯定〉の思想を対置すれば」完結する問題であるかのように片付けようとしていることを批判している。そして浅沼はベネターが〈永遠の相のもとで〉というスピノザ『エチカ』のワードを用いていることに注目し、ベネターの理論は「まさに文字通りに受け止められてしかるべきではないのか」と述べている。そして、まさにベネターのこの視点こそが「思弁的実在論」のメイヤスーにおける「祖先以前」とブラシエにおける「絶滅」という「人間不在世界」につながるものであると浅沼は考えている。さらに、浅沼はこの議論を一歩先に進めることで、ベネターの「反出生主義」や「思弁的実在論」の中にニーチェ的な〈生の自己肯定〉とは異なる仕方でのニヒリズムの克服を見る。「思弁的実在論」が提供している「人間不在世界」の哲学とは、〈永遠の相のもとで〉の真理の模索であり、人間なき歴史の展開を肯定する思想なのである。この発想に関しては、雑誌『情況』2023年秋号「メンタルヘルス」特集に寄稿した拙論「未来を希望するために――ポストモダン論としての思弁的実在論と加速主義」でも、「歴史の終わり以後の歴史の可能」という問題として取り上げているし、2025年5月刊行予定の『ぬかるみ派vol.4特集=開闢する唯物論』に掲載予定のバディウに関する私の論考でも展開する予定のものに近いものであるが、「歴史」の展開としてのニヒリズム克服という問題から浅沼は一歩先に進んでいる。浅沼は「思弁的実在論」のイアン=ハミルトン・グラントによる〈生命中心主義〉批判を介することで、人間不在のみならず生命不在の自然の歴史というものの可能性を引き出す。浅沼は述べる。「現代の思想的境位をふまえると、人間が人間を肯定するとか、生命が生命を肯定するということは、たんにそれだけでは完結することができず、人間の生を〈生命でないもの(非生命)〉としての〈人間でないもの(非人間的なもの)〉――言いかえると、人間の生にとってみずからの絶対的否定にほかならないもの(その究極のものは死であろう)――と表裏一体のものとして――しかもあくまで後者に軸足を置いて――とらえる、という仕方でしか達成できないのではないだろうか。そのかぎりにおいて〈生の哲学〉もまた、もはやそのままでは私達が自己を肯定するために十分とは言えないのではないか」。さらに続けて、浅沼は次のようにまとめている。「『生まれてこないほうが良かった』におけるベネターの思想は、いまだ誰も生まれていない状態(メイヤスーの〈祖先以前性〉)から、もはや誰も生まれることのない状態(ブラシエの〈絶滅〉)という両極のあいだで展開される〈生の反相関主義〉(グラントの〈生命中心主義批判〉)にほかならない。その根本洞察によれば、〈すでに生まれてしまった私〉と〈決して生まれることのなかった私〉とを〈永遠の相のもとで〉比較できる、ということが、人間であるかぎりの私の謎を形づくっている。だとすれば、この謎を避けて通ることはできない。あくまでもこの謎に立脚して〈人生の意味〉が探求されなければならないのである」。
 「反出生主義」と「思弁的実在論」における「人間不在」の哲学を、グラントを用いて結びつける浅沼の洞察はとても鋭い。私個人としては、バディウ的な減算による多元的普遍性の存在論を推したい。しかし、浅沼的視点は、我々の生と死の事実性を考えるうえで示唆に富む論考であると思われる。

▶幸村燕。ロラン・バルト研究から逃走中の25歳。地上の愛と平和を守るため獅子宮を守護する獅子座の黄金聖闘士。アグレシブベースライナー、性格は冷静沈着で、他人に流されない。少し神経質な面もあるが常に前向きで虎視眈々と文学プラスへの寄稿を狙っていたようだ。誕生日は8月11日、血液型はA型、好きな言葉は下剋上。

このロンブンがすごい 2024、いかがでしたか? これからもたくさんのロンブンを掲載していくので、少し余裕がある方は定期購読をしてくださるとうれしいです。それではまた、このロンブンがすごい 2025でお会いしましょう。


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