批評の話でもしましょうか
文芸批評時評・7月 中沢忠之 瀬戸夏子の「我々は既にエミリー・ディキンソンではない」(『群像』7月号)を読みながら、私は批評にネガティブな感情をもったことがないなと思った。たぶん鈍感なんだろう。私事で恐縮だが、おそらく批評らしきものを意識しだした20代全般の記憶が私にはあまりない。大学時代からダークサイドに落ち、なんとか卒業できたものの、就職活動はせずに2年間誰とも会わず実家にひきこもっていた。さすがに何かしなければと思ったのだろう、柄谷行人という名前をたまたま目にした大阪の