マガジンのカバー画像

エッセイ

35
文學界noteに掲載されている、エッセイをまとめました。
運営しているクリエイター

#追悼

【追悼 ミラン・クンデラ】沼野充義「ヨーロッパ文化への亡命者」

  ミラン・クンデラが七月十一日に九十四歳で亡くなった。亡くなったのはパリの自宅だが、生まれたのは一九二九年、現在のチェコ南部のブルノである。つまり彼はチェコ出身のチェコ人なのだが、フランスに亡命しフランスに帰化したという意味ではフランス作家でもある。彼を「チェコ出身のフランス作家」と見るべきなのか、「フランスに亡命したチェコ作家」と呼ぶべきなのか、いまだに批評家や研究者の間では揺れがある。  第二次世界大戦後から一九八〇年代にかけては政治的抑圧を逃れて旧ソ連・東欧圏から多

【追悼 大江健三郎】蓮實重彥「ある寒い季節に、あなたは戸外で遥か遠くの何かをじっと見すえておられた」

 一つの時代が終わった、とつくづく思わずにはいられない。子供心にも戦前のこの国を多少とも知っており、「戦後は終った」といわれた1960年代にあなたがその才能を遺憾なく発揮された途方もない世代の終焉である。その時代をともに生きていられたことを、この上なく幸運なことだったといまは自分にいい聞かせることしかできない。わたくしたちは、中国大陸への理不尽な軍事侵攻が活況を呈しはじめたころ、そんな事態はまったくあずかり知らぬまま、侵攻しつつあるこのちっぽけな島国に、みずから責任はとりがた

追悼 吉田喜重 『喜重さんは「驚かせる」ことが得意な方だった』   蓮實重彦 

 吉田喜重は、何よりもまず、「驚かせる」ことが得意な人だった。しかし、喜重さんにはあえて他人を驚愕させようとする魂胆など、これっぽっちもなかったはずである。彼としてはごく普通に振る舞っていただけなのに、その普通さが驚きをもたらさずにはおかぬというあたりに、「驚かせる」人ならではの彼の特質が露呈されている。  実際、『ろくでなし』(1960)から『鏡の女たち』(2002)へといたる40年におよぶときに前衛的とも呼ばれたりする映画作家としてのキャリアはいうまでもなく、『美の美』