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エッセイ

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文學界noteに掲載されている、エッセイをまとめました。
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2023年10月の記事一覧

【論考】真山仁「秘すれば花――玉三郎の言葉」

 二〇二三年六月一一日――。  その日、私は京都にいた。気温は東京より低いのだが、ひどく蒸し暑く、首筋からふき出る汗が止まらない。  学生時代を京都で過ごした私は、その不快さを懐かしく感じたものの、年を重ねた体には、苦行でもあった。  コロナ禍が落ち着き、京都のまちにも人が溢れている。  鴨川には川床が並び、京都は、夏本番の準備を整えつつある。  暫し木陰で休み、汗の引いたところで、京都南座に向かう。  歌舞伎発祥の地に建つこの殿堂で、『星降る夜に出掛けよう』のゲ

【論考】四方田犬彦「零落の賦」

  よしや   うらぶれて異土の乞食となるとても                犀星 1  一九七〇年代も半ばを過ぎたころのことだった。学位論文を執筆するため映画にも芝居にも出かけず、髪も髭も伸ばしっぱなしで、昼も夜も部屋に閉じこもり、案前に積み上げた英語の書物を相手に唸っていた時分のことである。  もうすぐロンドンに行くからちょっと出てこないと、元同級生の女性がわたしを誘った。親には一週間で帰るっていってあるのだけど、本当のことをいうと、もう二度と帰るつもりはないのよ