タリーズでフラれた一週間後の話
地の底でかろうじて生きる
鬱的な気分に襲われ始めて以降、特に辛いのが朝目が覚めた時でした。目が覚めて、また眠りにつくまでの長い長い、意識のある時間が辛いのです。
ドラッグの依存症はこのようなものかもしれない、とこの時考えていました。
スマホの通知、アップルウォッチの振動、彼女を視界にとらえること、彼女の声を耳で聞くこと、あらゆる彼女にまつわる刺激に対し、私の脳は脳内麻薬的な強烈な快感を覚え、パブロフの犬よろしく学習してしまったのです。
そしてそれが完全に遮断された後の感覚は一言で言えば「渇き」でしょう。
私の心は(あるいは脳は)、彼女に由来する刺激を求め続け、にも関わらず一切満たされない状態に置かれていたのでした。
私には親しい友人はいませんし、我を忘れるほどの趣味もありません。
彼女とのつながりを欠いた私という存在は本当に無価値に思えました(本当のところ、そんなの思い上がりもいいところで、彼女がいようがいまいが私の存在価値など特にないのですが)。
突然世界全体がヨソヨソしい態度をするようになったように思えました。こんな気分は、小学生の頃にいじめっ子のリーダーにいじめを止めるよう諭した翌日いじめの標的になってクラスの全員が口をきいてくれなくなったとき以来でした。
町の至る所に、ネット上にもこんなに人間が沢山いるのに、俺に興味があるやつはひとりもいない……(そしてまた、それは私も同じなのです。私自身、誰にも興味を持ってない。なのに勝手に孤独を感じているのだから片腹痛いですね。)。
アイデアは流行病のように
彼女にフラれてちょうど一週間後の夜、私は仕事の都合で夜遅くまで残業しなければならず、同僚たちが帰った後、一人でオフィスにいました。
忙しければまだよかったのですが、私は遅い時間に客から連絡が来る予定があってそれを待っていただけなので、むしろ暇でした。夜一人で時間を持て余した私は、その一週間そうだったように、彼女についての思考を走らせ始め、思考はそのまま勝手にグルグルグルとサーキットを走り回り始めました。
彼女の言葉の意味を、あの時の表情の意味を、あらゆる角度から吟味し、解釈をこねくり回し、取り返しのつかないことがまるで取り返しがつくかのように考え続けたのです。その果てに、淡い希望を見出したとしても、哀れみはされても非難される謂れはないでしょう。
彼女が別れ話をしたとき、彼女は「付き合う前みたいに戻りたい」と言っていました。
私は、その言葉の意味について延々と考えました。それは真意なのか? 彼女は私の逆上を恐れて、スッパリと別れ話ができなかっただけなのか? 私は逆上しそうだと思われる振る舞いをしたのか? 彼女は逆上を過去に経験し恐れているのか?
━━彼女にLINEを送ってもいいのだろうか?
彼女にLINEを送る、というアイデアは病気のように全身に廻ってしまいました。「そうだ、LINEを送ってみよう」と考え始めた時、初めて、鬱々とした胸を覆うモヤモヤが晴れたのです。ただ考えただけで、救われる道を見つけたような気分になったのです。起死回生の大発見をしたかのように。
ネット上の胡乱な記事には「一ヶ月以上は連絡するな」「一年開けなければならないこともある」など、別れた後に連絡をとるリスクについての記述も多くありました。
何が正しいかなど、誰にも分からない。思いついたのに何もしないで今日を過ごせば、どうせまた明日、迷うことになる。嘔吐を我慢し続けることができないように、きっとどこかで行動に移さなければならなくなるのは明白でした。
結論から言うと、彼女からは業務連絡に対する返事のような、他人行儀な短い文面が返ってきただけでした。
フランツ・カフカは、彼が小説を書く意味について「物語というものは人々の心の中にある凍った海を破る斧でなければならない」と言いました。
彼女のLINEはまさにその逆を成し遂げたのです。
私の心の海を凍りつかせ、そして全てを拒むように、何も感じないかのように、何もなかったかのように、分厚い氷の奥に閉じ込めてしまいました。
この時彼女にLINEを送った時の、初めてデートに誘った時に覚えたような緊張感、彼女から返事が来るまでの1時間半が、いかに長く、身を焼かれるような想いでいたことか。
私と彼女が出会って、そして今どこに行き着いてしまったのか、過ぎ去ったものの全てが一挙に感じられたような気がしました。
しかし矛盾するようですが、私は彼女とLINEのやり取りを一瞬しただけで、例えそれが拒絶的な内容であったとしても、嬉しかったのです。
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それから、私は今まだ生きており、この時、フラれて一週間〜一ヶ月間のどん底に穴を掘り続けるような日々を乗り越えて今は少し、マシな気分で過ごしています。
どのようにして快方に向かったかを記録して一連の記事を終えたいと思います。
つづく