見出し画像

書道作品が売れないワケ

先日、某"書家"の特集番組を見た。

絵画も描きつつ、
そこに文字を入れ込むなど、
アートとしての書を発表しており、
世間の目に触れる題字なども
多く書いていることから、
メディアにもよく取り上げられる、
”書家”らしい。

その番組は、
アートコレクターがアーティストの作品や
実際の揮毫風景を見たり、
直接対話をしたりする中で、
アーティストや作品そのものの
将来性を見極めて、
最後に作品を購入するかジャッジするものだ。

今回の番組では、
最終的に購入の判断が取られたわけだが、
前衛作品とそれを見るコレクターの様子から、
古典立脚の書道に長年注力している身として、
色々と思うところがあったので、
こちらに書いておきたい。

なお、古典か前衛かのような類の話は、
むろん読者の皆さんには
どうでもよいことなので、
それ以上は触れないこととする。

●率直な感想

番組を見た率直な感想として、
「書作品が売れない理由」を
改めて感じさせられたような心持ちだ。


ところで、
あなたは絵画を購入した経験はあるだろうか。

絵画といっても、
美術館のお土産売場で売られているような
廉価品ではなく、
数十万〜数百万程度の、
いわゆるアートオークションで
取引されるような作品。

購入経験としては、
おそらくゼロか、あっても片手で足りるだろう。

ただ、アートオークションと聞いて、
なんとなく想像される雰囲気があると思う。

アートコレクター、
日本語でいえば画商と呼ばれる人々や、
大富豪などが、
新進気鋭のアーティストの作品などに
高値を付ける、あの感じ。

では、
そこに書の作品が並んでいるイメージは
あるだろうか。

皆さんの想像は正しく、ほとんど無い。

●書作品が売れないワケ

いったいなぜだろうか。
考えられる理由は、いくつかある。

まず、
絵画と決定的に違う点として、
書作品は言語表現であること。

つまり、
文字そのものの意味が理解出来なければ、
ただの黒い線でしかなくなる

すなわち、漢字圏を除く海外のマーケットで
評価されにくいのは言うまでもない。

もちろん文字の造形美や
作品全体で見たときの柄模様の美しさも、
書の大きな魅力ではあるが、
言語を切り離すことは難しいだろう。

加えて、
書作品の場合には、
見る人間すなわち評価する側に、
ある種の”書道リテラシー”なるものが
必要となる


ここで言う書道リテラシーとは、
書作品の基本的な見方を心得ており、
客観的かつ”適切に”作品を評価できる
見識、経験のことを示す。

これを持ち得ない人間が書作品を評価する場合、
評価が上にも下にも大きくブレる可能性がある

一つの書道界をとっても、
会派によって各々「良しとするもの」が
若干異なる部分はあるが、
日展(国内の展覧会で最高峰)のような
ハイレベルの展覧会に集う
審査員の先生たちであれば、
作品を見る観点と水準は、共有しているだろう。

書作品の作り手であれば、
作品の着眼点をある程度心得ているはずだが、
特に専門的に学んだ経験が無ければ、
「読めないけど、きっと凄いのだろう」
ぐらいの感想に留まりかねない。

これは至極当たり前で、
致し方ないことだと思う。

書道界は時折、閉鎖的、排他的と
言われることがあるが、
このあたりが一因なのかもしれない。

その点、絵画をとってみれば、
たとえ抽象画であっても、
それが風景画なのか肖像画なのか
くらいの見分けはつくものだろう。

ただ、日本の書道文化は、
外国人の興味を誘いやすいものでもあるため、
あとは実質的な価値を、
どのように伝えられるかだと思う。

●独立書家として

今回、絵画と比較して
書作品が売れない理由を
改めて知らされたとともに、
海外からの関心を広げられるよう、
文化表現の場や手段を考えていく必要性を
感じるところである。

書道界から独立した身としては、
YouTubeを始めとする発信活動において、
前例に捉われすぎぬように意識しつつ、
更なる創意工夫に努めたい。

これを読んでいる皆さんが、
もし書家の個展に足を運んだ際は、
そこに心に響く作品があれば、
是非購入して、手元に置いてみてほしい。

書家|榎本剛

-Soundtrack for The Post-

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?