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母のこころ⭐︎子の思い

6月に入りましたね✨
ようやっと身体の内部の不調から
少しずつ回復してきました。


4月から2ヶ月間!
ボロボロな身体と向き合い
心もひきずられましたが💦


この絶不調のおかげで、
わたしにも
色々な支援の足がかりもでき
たのは幸いでした😌


手は尽くしたと思うので
今は、ひたすら待つのみです🙏


以下は、少々重い話も含むので
興味のある方はどうぞ😇



さてさて、
木曜日の夜に絵のことで🖼
このところ大奔走のMくんから
LINEが。。。


『仕事、今日は朝から喉がヘン
で休んでいた。今熱を測ったら
38.4℃ある。
明日耳鼻科(私も前回お世話になったところ)
に電話してから行こうと思う』

びっくりしたものの、夜かなり
遅くにLINEに気がついたもので
どうしよう???と
思っていたと同時に


前回の自分の発熱のときに
いつも午前は特に激混みの
耳鼻科の受付の方に聞いた
ことを思い出した。

「もし、一人暮らしで発熱とかしたら
電話するより前に順番の受付終了したら
本末転倒ですよね?その場合はどうしたら
良いのでしょう?』


『原則ご家族の方が並ぶのですが、
お一人暮らしの方はそうは行かないので
厳重にマスクなどをして、並んでその場で
電話していただいて大丈夫ですよ』

と、確認したのを思い出して
Mくんに

『朝イチで、マスクして耳鼻科に
並んで!電話は並びながらで大丈夫
だと言われたから』

とLINEを返し夜を越した。



話が、飛びますが。。


長男Mくんは、自己紹介の方にも
書いてますが、ASD(自閉スペクトラム症)
です。


Mくんが生まれてからすぐに
ASDの頭角を現し、
幼少期の療育を経て特に学童期は


言葉で表すのがそれはそれは
難しいくらいの経過をたどりました。


途中の数々の試練に対して
沢山の支援の手が差し伸べられ


良き方々とのご縁のおかげで、
雪男⛄️さんとなんとか18歳
までは育てられました。

その後に雪男⛄️さんが
急性し、
大混乱の中、翌年の4月から
就労継続支援A型事業所へ就労
することが決まりました。

と、同時に教育相談センター
の、Mくんの担当のスーパー
バイザーの先生から提案が
ありました。

『Mくんは、高校生となり勉強したい
という意欲が強い。働きながら
通える日曜日にスクーリングがあり
発達障がいの子へのサポート体制も
しっかりしているS高校(公立の通信制高校)に行かせてあげてはどうか?』

Mくんが、特別支援学校の高等部に
進路先を決めた時にはこちらの
高校は進められず、
???だったのでそのことを伝えると

『その時は、サポート体制が
今ひとつだったのよ。
今は、最高だからぜひ』

その先生の力強い言葉を
信じて受検。

また、幸いその職場である
就労継続支援A型事業所の所長さんの
理解と応援も得られたのも大きく

Mくんは、働きながらS高校の高校生と
なった。

2017年の4月のことである。


働きながら日曜日のスクーリング
夏のお盆の時期と1月の試験

必履修の体育と美術以外は、
全ての教科はレポートがあり
期限内に郵送か持参で
提出しないといけない。


最初は、レポートをだすのに
苦戦したものの
そのうちに慣れてきて
わからないところは、担当の
先生を捕まえて質問攻めに(笑)


でも、念願の普通高校の生徒に
なれたMくんは、生き生きと
日曜日のスクーリングに
通っていた。


このS高校は、入学と同時に
希望すると担任の先生以外に
メンターの先生が
個別サポートをしてくれる。


他にも、曜日は限定されるけれど
国のサポートステーション
のサテライト教室があり


Mくんは、2年生くらいから
進路のことや職業適正の
相談をしたり、

また、担当の先生が変わりはしたものの
三年生のときから、
個別のSST(ソーシャルスキルトレーニング)
もしてもらい、今の就労先で活かして
いるように思う。


同時にこの時期には、
自立支援の会とも連携して
就労に向けた公官庁での
インターシップを
2回させてもらえて多くの
学びを得た。


ただ、2020年のコロナ禍に入り、
四年生の最後の年に
学校自体が閉鎖になってしまい
予定していたインターシップが
全てできなくなってしまった。


入学当初から定期的にやって
いた私も交えた対面の三者面談
もできなくなり、
進路をどうしようか???と
Mくんも、途方に暮れたいた。


進路を決めるギリギリのときに、
学校が再開した!

そのタイミングで
担任の先生が、Y市の
障がい枠の会計年度職員の
募集要項の一枚の紙をくれた。


その試験を受ける準備は、
一か月くらい。


小論文が得意な妹のMちゃんの
添削なども受けながら

6月末の筆記試験無事に通過!

7月二次試験の実技試験&
3人の面接官からの圧迫面接(笑)
を受けた。


8月初旬に採用予定の通知
(いわゆる内定)を受けた。


親子で、雪男⛄️さんが
亡くなって以来少し
涙目になった。


こうして、コロナ禍の
2021年、Mくんは、
妹のMちゃんと同じ3月に
S高校を卒業し、
彼の念願の普通高校の卒業資格を
取得した。


卒業式の会場で、
母ひとりのわたしが
彼の堂々とした姿を
泣きながら静かに見守ったのは
いうまでもない。



卒業と同時に、
Mくんは、高校三年生の時に
亡くなった義母のマンション
で一人暮らししながら
新しいY市の職場に通いたい
との申し出があり、

少し悩んだものの
わたしが定期的にチェック
しても良いことを条件に
ひとり暮らしの練習も兼ね
Mくんは、我が家から巣立ちを
していった。

そして、時々noteに書いてきた
様々な事件の後、


2022年の秋に
今のアパートに
自分の名前で賃貸契約をして
Mくんが完全に一人暮らしを
はじめた。


そして、本格的に油彩にも
取り組みはじめた。


もちろん、わたし以外の
相談サポートなども受けながら。


障がいを抱えながらの
自立というのは
長い長い時間がかかりそう
だが、


わたしがいつまでも
生きている訳ではないので。


失敗しては、何かを学び
だんだんと
自立していってほしいと思う。



話は、やっと冒頭のところに
戻ります😇


結局、耳鼻科の検査結果は、
なんと、コロナ陽性!


すぐに、職場のジョブコーチに
連絡したところ、


病気休暇を使うには、
診断書が必要とのことで
わたしが駆り出され(笑)


今朝、その診断書と
お見舞いのフルーツと
ヤクルトジョアを届けに
Mくんのアパートまで
久しぶりに行きました。


LINEの既読がつかず、
いきなりピンポン!

少し時間がかかり、
Mくんと一週間ぶりに
インターホン越しの会話


熱は下がったらしく
声は枯れていたけど
大丈夫そう。


発熱🥵したときに
ひとりでいるときの
心細さも伝わってきた
けれど、


お互いに思いを抑えた
気がしました。


わたしも、
『お大事にねー』という
明るい声だけを残し
足早にアパートをあとにしました。


母のこころ


子の思い


神様と宇宙のどこかにいる
雪男⛄️さんたちだけが
知ることでしょう✨


お読みいただき
ありがとうございます😇🙏


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