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1月8日 壽山満瑞気~『毎日に感謝したくなる 禅ごよみ365日』

壽山満瑞気
~じゅざんずいきみつ

『毎日に感謝したくなる 禅ごよみ365日』

壽山は長寿のことで、その壽山にめでたい気が満ち満ちている。
長寿、健康を言祝ぐ禅語である。


「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

『毎日に感謝したくなる 禅ごよみ365日』

「一休宗純の歌で「正月門松はめでたいものとされているが、門松を飾るたびに一つずつ年を取り、死に近づくので、死への旅の一里塚のようなものだの意。」のようです。」(参考:『日本国語大辞典 第3巻』)〈レファレンス共同データベースより引用〉
そりゃそうだ。その通り。

 これについて枡野住職は

たしかに、新年はひとつ年を重ね、冥土に近づくことですが、いっぽう、その年も命をいただくことができた、と解釈することもできます。

『毎日に感謝したくなる 禅ごよみ365日』

そう受けとれば、また生かされたということで、めでたいこと、ありがたいことで、良いではないですかと仰った。

 ドラッカーの「コップの水論」が頭に浮かぶ。

コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。
とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる

P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』

物事を楽観的に捉えるか、悲観的に悲観的の捉えるかで行動が変わり、良い方に考えてチャレンジしていきましょうということ。
経済ではそうあるべきだと思う。

これについて私の希望を申し上げると、楽観でも悲観でもなく、「空になった=経過した時間」での経験を振り返り、「入っている=残りの時間」によく活かし、最後の最後に後悔しないように、最大限の充実と、安全な人生にできたらと思っている。

「まだ」でも「もう」でもなく、残り時間と体力を正しく知り、残してはいけないものを実行したい。
終活だ。
そろそろ、その時が見えてきた。


こちらの禅語をもとに、毎日noteを更新しています。
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