(再掲①)2023年のモネ展をもっと楽しみたいならコレ読んで!!!
こんばんは。ぶんぶんです。
すみません、先日アップしたモネ展のやつなんですが、
「長文すぎるわ!!!」
というお声を頂きまして…。
下記、三分の一にして、再掲させていただきます…。
いいねしてくださった方、すみません…すみません…
ブログ超超初心者で申し訳ないです。いつも読んで頂いている方、ありがとうございます。
今日は1/3を再掲しまして、また明日、残りを載せますね!!
よろしくお願いいたします!
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本日も、先日行ってきた 上野の森美術館でやっているモネ展で展示されていた作品について、独り言ちたいと思います。前回同様、私だけの妄想で生み出したモネさん達の似顔絵出てくるので、苦手な方はブラウザバックお願いします。
参考文献は日本にある印象派の文献はほとんど読みましたが、結局、基本的には『印象派の歴史』ジョン・リウォルド著からの情報です。
タイトルにある通り、今回の展覧会をもっと楽しみたいなら、ジョン・リウォルドの『印象派の歴史』読んでからもう一回、展覧会に行くのもオススメです。文庫本出たんで、ぜひ気になった方はぜひ。特に若い頃の印象派のエピソードめっちゃ面白いので!
今回はその本の中から、展覧会に沿った絵で、印象派のモネさん周辺の面白いエピソードを抜粋しつつ、モネさんが27歳のときに描いたこの作品をご紹介します。↓
そう…個人的に大変気に入っている時代…1867ねん…胸アツ…
いや、正しくは「印象派」というグループ名(?)が生まれたのが1874年からなので、美術史では1874年よりも前の時期の印象派の作品群は「印象派以前」とか言うんですけども。
それでも言わせてくださいませ。
1867年頃 の 印象派は各々のエピソードが死ぬほど楽しっくてよ!!!!!
どこが楽しいかといえば、この頃のモネさん、バジールさん、ルノワールさん、シスレーさんの4人組の距離感が近い。一緒に住んでたりしている。
あと同じモチーフを描き合ったり、友達の肖像画を描いたりしている。
こんなに仲の良い画家同士のエピソードが読めるのは、そう1867年(及び1864年から65年)の初期印象派だけだと個人的に思っております。
なんとなくわかる
印象派 仲良し4人組 相関図
なんで、はい。上記のモネさんと同年頃に描かれた同じパリの風景を描いたルノワールさんの作品をどうぞ。↓
モネさんとルノワールさんは結構同じモチーフを描いていて、有名なあたりだと「ラ・グルヌイエール」(1869年)かな~と思います。
でもその前から、二人はお互いに似たようなモチーフを描いているんですね。かわいいです。あ、この頃はルノワールさんがバジールさんの肖像画を描いたり、バジールさんとシスレーさんで同じ鳥のモチーフで絵を描いていたりしている素敵エピソードもあります。
なんで、みんながそれぞれの似顔絵を描いた作品たちを貼り付けておきますね(^^)
※画家名は敬称略しました。
〇 ルノワールさんが描いたバジールさん
〇 バジールさんが描いたルノワールさん
〇 ルノワールさんが描いたシスレーさん
下記は余談で1864年頃に、モネさんとバジールさんがお互いに描き合った似顔絵…。エモすぎる…。
〇 モネさんが描いたバジールさん
〇 バジールさんが描いたモネさん
なぜかモネさんの似顔絵だけ、モネさんが足を怪我している姿(笑)
このときのモネさんは、超ビックサイズの絵を外で描こうとして、地面に穴を掘ってそこにキャンバスを入れて、絵を描いてたんですが、その穴に落っこちたらしいです。さすがっす、モネさん。エピソードに事欠かない。
話がずれて、すみません。
まとめると1867年頃の印象派は、モネさん、ルノワールさん、(たまにシスレーさん)ともに貧乏だったんで、唯一のお坊ちゃんバジールさんが借りていたアトリエに大集合する時期があり、そのときにお互いがお互いに影響を与え合う時期がありました!胸アツ!!という話です。
やっぱり同じ生活をしてたら、同じモチーフを描いたり、画風に影響を受けたりするようになるんですかね。
ふふふ…こんなやり取りがあったら楽しい…。(以下、妄想注意)
モネ「今日天気がめっちゃ良いから、外いって、描いてくるわ!」
ルノワール「え、じゃあ僕もいくーー!!」
シスレー「僕も~」
バジール「え…今月ピンチだから(主にお前らがいるせいで)、今日は安い食材の確保と資金繰りをしたいのだが…?お前らも手伝えなのだが…??」
モネ「安心しろ、昨日近所のおばちゃんにインゲン豆とビンズ豆を大量にもらった。食料はある。では絵を描きに行くぞ。」(貧乏には慣れている)
バジール「ぜんぶ豆じゃねーかッ!!いやだよ!」
ルノワール「食べるものがないよりはマシだね!!じゃあ行こうか!」(貧乏には慣れている)
バジール「ぜんぶ豆だが!?」
シスレー「バジール、こうなった二人は誰も止められないのだ…」(あきらめの眼差し)肩ポン・・・。
そしてバジールは結局、モネ達と絵を描きにはいったが、相変わらずお金はなかったので自分の時計を質に入れて、資金繰りをしたのであった…。
…みたいな。ぜんぶ妄想ですが。こういうやり取りがあったのかと思うと胸アツ。
あ、でもこの頃、モネさんたちはお金がなくて豆ばかり食べていた話や、バジールさんが時計を売って資金繰りをしていた話はほんとです。
もちろん、金欠の原因はバジール宅に居候していた彼らです。↓
あとこのときはまだ、外で絵を描くっていうのが珍しい通り越して変人扱いされてたんで、もし仲良し4人組のみんながパリの風景を描くときにセーヌ川の畔とかで並んで描いてて、それを見た当時のパリの人々は「な、なんじゃありゃ…」って白い目で見てるけど、それを一切気にせず、キャッキャッいいながら切磋琢磨して絵を描いていたかと思うとエモいです。(オタク特有の早口)
あ、今回の展覧会にもこの頃に描かれたモネさんの絵がもう一枚ありましたね。これです。↓
モネさんのこのときの、イケイケドンドンな生命力を感じる良い絵ですね。
このときはあれでしたね。恋人のカミーユと子どもができてしまったのに、官展どスベリしたし、絵も売れないしで、超困窮生活してましたね。
このときのモネさんはバジールさんに宛てた手紙の中で「思わず身投げをしちまった…怪我しなかったけど」という自殺をほのめかす内容を送っていたりします。印象派のとある本には「自殺をほのめかす」っていう文章で、まじで書いてある。ほのめかすって(笑)
それを見かねて、バジールさんがモネさんの絵を分割払いで買い取ってあげるっていうエピソードも残っています。
バジールさん、優しすぎる…(´;ω;`)(しかし後にこの件でケンカする二人)
あ、ちなみに買ったのはこの絵です。↓
明日は
モネさんとルノワールさんとバジールさんの幼少期ついても独り言つ!!!
よろしくお願いいたします!!
あと12月6日はバジールさんの誕生日だ!!おめでとうございます!!