ポルトガル ファド「ジャカランダの花」を勝手に深読みする
こんばんは。ぶんぶんです。
今日も、お仕事お疲れ様です。
今日はポルトガルの音楽の「ファド」というジャンルで、先月発売された個人的に最高に好きなアルバム「ジャカランダ」の中に収録されている「ジャカランダの花」という歌の歌詞を勝手に深読みしたいと思います!
ジャカランダの花 小暮はな
シンガー・ソングライターの小暮はなさんについてと、このアルバムについては、販売元様のHPをご覧ください。↓
小暮はなさんはポルトガルを中心に欧州で活動もされておりまして、今回のこのアルバムにはポルトガル語でのファドも収録されているんですが(この曲も最高に好き)、今回は日本語で歌われている「ジャカランダの花」を激推ししたいんですわ!
本場のポルトガルのファドはポルトガル語なんで、意味がぜんぶわかるわけではないんですよね。なので曲調や声色とかで哀愁を感じ取るしかないんですが、この「ジャカランダの花」は歌詞が日本語なのでその辺、大変わかりやすいです。
歌は日本ファド大使に任命された、ファドの神様と私がお呼びしております月本さんという方がすばらしい曲を作っておられまして、そこに小暮はなさんが歌詞をつけられたので、本場のポルトガル語のファドを聞くよりも、日本人だったらこちらの曲を聴いてから本場のファド聞いたほうが、ファドにしかない独特の哀愁の良さが(個人的には)わかる気がします。
いや、私は本当に存分に感じている…最高に好きです。個人的に曲がほんとに最高…。毎日リピートしてる…。
そして歌詞!!哀愁があって、でも暗すぎないで、明るすぎないで、繊細で情景が思い浮かんで、なんともその辺の塩梅が絶妙なバランスで配合されていてですね…。
とゆうことで、下に歌詞もはりつけとくんで、ぜひファドの哀愁を感じてくださいまし…!
そしてここからが勝手に深読みのコーナーなんですが、
いつもより長文なんで、苦手な方はここでブラウザバックしてくださいませね!!
まず個人的なポイントは、この歌の主人公、人に恋をしていないってところです。
Lisboa(※)に恋をしているんです。
※「リシュボア」、ポルトガル語で「リスボン」
歌詞から考えるにおそらく主人公は過去になにかあったんです。
それがどんなことなのかは歌詞に書かれていないので判断つかないんですが、「ただ悲しかった」とあるので、たぶん主人公は過去に傷ついたことがあり、それをずっと引きずっている状態だと思うんです。(たぶん人間関係でなんかあった)
でも被害者意識が強い傷つきってよりは、どちらかというと傷ついて、立ち直れない自分自身に対して自己嫌悪に陥っているのかな…とか。それでそういう自分を受け入れられてはいないけど、そういう状態には慣れてしまった…みたいな。そういう傷つき方なんだと思います。
そんな状態で主人公はリスボンに行ったんでしょう。そこで哀しい瞳をしてずぶ濡れで立っていた「きみ」と出会い、昔の自分と重なったので、声をかけてしまった。
そこから二人の関係がはじまります。
二人が出会ったのはジャカランダの花が咲く季節だった。
その時期は6月で、リスボンでは聖アントニオ祭というお祭りがあるときだった。
主人公は「きみ」にリスボンの街を案内されて、リスボンという街に恋をするようになる。(ちなみにCDについてた歌詞カードに、その聖アントニオ祭のことが軽く触れてありまして、そこを参考に妄想しております。)
ただ主人公は「きみ」のことを、少なくとも嫌いではなかった。でも主人公は過去の出来事から「人」を愛することに臆病になってしまっていて、「きみ」を素直に好きになれなくて。そんな気持ちがあって、主人公は「きみ」からのさよならを待ちながら、淡い恋心をリスボンとの恋心に重ねながら、一緒にいたのだと思います。
傷ついて、それすらも受け入れ切れていないこんな自分を、リスボンで出会った「きみ」は好きだと言ってくれたんでしょう。
でも主人公は好きとは言えなかったし、その恋心に気がつきたくなかった。好きになっても、いずれは「別れ」がきて、また傷つくかもしれない。好きにならなければ、傷つくこともない。
同時に「きみ」の好意を断って、相手を傷つけるのも嫌。
自分からさよならを言えば、「きみ」の気持ちを無視して自分の気持ちを押し付ける形になってしまう。だから「きみ」が「もういいよ」というまで、主人公は「きみ」と一緒にいようと思っていたのではないでしょうか。
そんな理由から三年前、つまり出会った時から、主人公は相手が「さよなら」を言うのを心のどこかで待っていたんだと思います。
傷つきたくないからと、すべてを曖昧にした結果、まんじりとも動けない
がんじがらめ状態になっている主人公。
そういう形でしか主人公は「きみ」を愛せなかったのでしょう。
そして二人に、別れの時がきます。
この節は「散る」、「濡れる」、「消えた」というワードがあるので、「きみ」との別れ話なのかなと思います。
でも「きみ」の情報が一切ないんです。表情がどうだったとか悲しそうだったとかそういうのが一切ない。
このシーンは「きみ」が主人公にさよならを言っているシーンを、主人公の目線で情景的に語っているかんじが個人的にはぴったりきていますね。
ジャカランダの花びらが(風が吹いて)散って、雨が降っていたのか、ジャカランダの花に夜露が濡れていて。それはまるで「きみ」が流した涙のようで。
そして主人公は、泣きながらさよならを言った「きみ」を見ながら、恋をしているリスボンの美しい情景と重ねている。主人公はあくまでリスボンが好きだから、リスボンの景色と重ねて「きみ」をみているのかも。
だから最後に「声は消え」て、「一面の青い海」というのは、「きみ」が去ってしまって、残ったのはリスボンから見える美しい一面の青い海しかなかった…。
そういうシーンなんだと思います。
主人公も悪くね?とは思いますが、まぁ「きみ」に振られて、振り出しに戻ったわけです。
主人公はまた傷つきました。
奇しくもその時期はまたジャカランダの花が咲く季節だった。
前と違ったのは、主人公にはリスボンがあった。「きみ」がいなくなったあとも、傷心の主人公を美しいリスボンはやさしく慰めてくれたんじゃないでしょうか。(あくまで主人公は「きみ」への恋心を認めていないので)
そんな薄暗い主人公の心とは裏腹に、リスボンは聖アントニオ祭の時期で華やかなパレードが聞こえていた。皆は愛を語り合っていた。
人を愛することに怯えていた主人公は、そんな光景を見つめながら過去の思い出を振り返っていたんだと思います。
「きみ」が自分を好きだと言ってくれたこと。
主人公は自分から好きというのではなく、相手から好意をもってもらえるなら、そういうやり方でなら「愛せると思った」、のかもしれない。
でも結果はダメだった。それは主人公もわかっていた。
でもあと一歩の勇気が出なかった。
そういう不器用な愛し方しかできなかった。
でも主人公にはリスボンの美しい、ジャカランダの花の季節があった。
だから主人公は悲しくても、前みたいにはならなかった。
主人公は、やさしく見守ってくれているジャカランダの花が咲くリスボンに恋をしていたから。
…みたいな?
なんかそういう哀愁を感じました――!!っていう話なんですけどね!(長いわ!!)
妄想ですよ!?妄想!!
この曲は、こうハッキリと明確にしていないところがいいんですよね。
ハッキリとしないところがあると、そこに想像する余地ができて、遊びが広がると思いません…?
まぁ感じ方は人それぞれなので!!
いやはや、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます…。
なにか問題があれば非公開にするかもですが、とりあえず記録としてアップしときます。
ぶんぶんの妄想の世界へようこそ…?(行きたくないわ)
尻切れトンボですが、今日はここまでにします。
お付き合いいただきありがとうございました。
ぜひご興味を持たれた方は、聞いてみてください。
ぶんぶんの妄想はとりあえず横に置いておいて、ファド独特の哀愁感じてみてくださいね。
それでは。
皆様、よい夜をお過ごしください。
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