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昨日、おひさしぶりに滋賀県のお友達と会った。貸した本を返してもらったり、ご予約あった文袋をお届けした。

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お渡ししたのはこれ。京都南座の手ぬぐいで作った文袋。実に小粋にデザインされた手ぬぐいだった。

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持ち手は三枡模様の帯地で作った。成田屋ゆかりの模様だ。

友人は歌舞伎に詳しいわけではないが、親しくしていた先輩に何度か南座に連れて行かれたらしい。すぐに居眠りしていた、と苦笑する。

この文袋はその先輩へのプレゼントだそうだ。あたしもお会いしたことがある。とてもバイタリティあふれる方だったが、過日、くも膜下出血で倒れ、命はとりとめたものの、いまなお、入院中らしい。

歌舞伎、特に、先代の團十郎さんが大好きなそのひとがきっと喜ぶから、と、この文袋を選んだという。文袋がそのかたを元気づけられたら、どんなにうれしいことだろう。

あたしからは、noteには前出だが、團十郎さんを思い出すこの歌舞伎のはなしを送ろう。病床のかたをこっそりささやかに応援しよう。

それは事件を起こして謹慎していた当代の團十郎、当時の海老蔵が舞台へ帰ってきたおりの観劇の記憶。

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謹慎の解けた海老蔵さんが新橋演舞場に帰って来た。私の見た昼の部では「勧進帳」と「楊貴妃」に出演した。

開演前のロビーには村松友視さんがいた。このかたもおまちかねだった、ということか。

勧進帳の幕が開くと富樫が現れる。ひさかたぶりの海老蔵さんの登場に客席が沸く。成田屋!のかけ声が方々から聞こえてくる。

二階席からみると一階席のお客さんの興奮ぶりが見渡せた。おばさまがたの拍手をする手の位置が高い。頭のあたりで手が合わさっている。こんなふうにして客は期待を伝える。

富樫が名乗りをあげる。久しぶりに聞くその声。

お能から取った松羽根もののセリフは重々しく響くが、その抑揚の高い部分が、凛と伸びやかに透き通る。ああ、この声だった、と思い出す。

長袴を引きながら颯爽と舞台を横切り、端正な横顔を見せて、富樫は座る。

義経主従が舞台中央で勤行を行う間、じっと座り続ける。引き締まったあごのラインが美しい。時々小さく揺れる。

芝居が進み、義経の姿を見とがめたとき、富樫が刀に手をかける。緊張した身体のラインがキマっている。

そして、そのときの力のこもった「にらみ」にまた拍手がわく。ああ、これが海老蔵だ、とばかりに。

ずっとこの姿を見たくて見たくて、見られなかった。その時間が長かった。どのひとにも飢餓感があったに違いない。

まだまだギアはトップに入ってはいないのだろうけれど、与えられた場所で精一杯、という感じは伝わって来た。

義経たちが逃げ延びて、最後に弁慶が花道に残る。さあ、これから團十郎さんの飛び六法だ、と期待が高まる。

と、そのまえに團十郎さんが客席に向かって、ゆっくりふかぶかとお辞儀をした。

そのお辞儀に万感がこもっているようなきがして團十郎さんの誠実なお人柄が偲ばれて、なんだか胸が熱くなって,涙が出た。

これまでのことで、さまざまに交差する思いをぐっと呑み込んで、弁慶は花道を力強く飛んだ。

今日お隣の席は、水色のアロハシャツとパナマ帽のおじいさまだった。もう隠居だから毎月歌舞伎を見に来てます、とのことだった。

戦争に行ってたから、歌舞伎を見始めたのは戦後ですよ、というおじいさんが語る役者さんの話は
なんとも面白かった。

ご贔屓は團十郎さんで、今、弁慶役者といったら、彼でしょうねえ、と言う。

生い立ちのことや、父親が早く亡くなったこと、自身の病気や息子のこと、

團十郎は苦労してるからねえ。

そんな言葉が染みた。


そして、松禄さんがすきだった、とおっしゃるが
それは当代の松禄さんのおじいさんのことだ。
いい役者でしたよ、と懐かしげに。

俊寛は、カンエモンが一番でしたよ、と言われるが、その役者さんのことがわからない。

俊寛の最後のシーン、島にひとり取り残され、出て行く船を見送る俊寛。その表情は役者さんによっていろいろなんだけどカンエモンさんはふっと笑ったのだそうだ。あれが、よかった、と。

ながいながい観劇の時間のなかで、たった一回観たカンエモンさんのその表情が、今も記憶の底に鮮やかな姿で居ること、それはすごいことだと思う。

きっと今日の團十郎さんのお辞儀も、そんなふうに、わたしの記憶に刻まれることだろう。

「それはしあわせなことですよ」


とおじいさんはにこやかに答えた。そんなおじいさんと話せたことがあたしのしあわせだとも思った。


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bunbukuro(ぶんぶくろ)
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️