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「ミステリーという勿れ」を読む

主人公の名は久能整。整と書いて「ととのう」と読む。天然パーマのカレー好きな一人暮らしの大学生が本人の意思に関係なく、否応なしに、あれあれあれとトラブルや事件に巻き込まれて行く。そのゆくたて。

彼自身が言うように、探偵でも、その助手でも刑事でも、検事でも、検視官でも科捜研でも、弁護でもルポライターでも、作家でもカメラマンでも、大学教授でも陰陽師でもプロファイラーでも家政婦さんでも、塀の中の有名な殺人鬼でもない、ただの学生なのに、なりゆきで、なぜかミステリーの解決人ような役回りになってしまう。

たとえば、いきなり殺人犯の嫌疑をかけられ、しょっびかれたりする。その理不尽には訳があるのだが。

その警察署でのととのう君の観察、考察、台詞に、こちらはおどろき、目を見張る。ああ、そうか、視点を変えると今見ている世界はこんなにも変わるのだと教えられる。

年頃の娘に嫌がられて、育て方を間違った中と嘆く初老の刑事に、整くんは言う。

それ、娘さんのせいじゃないですから。生き物としての反応ですから。生き物の多くは父親と子供が一緒に暮らさない。そしたら、子供が大人になって父親と知らずに会ったりする。そこで生まれる子供は遺伝子的に弱いわけです。だから遺伝子レベルで警戒警報を出している。娘さんのなかで「この人は相手にしちゃだめよ」ってその作用なんですよ。

そしてこう付け加える

育て方を間違ったとおっしゃった。でも逆です。正しく育っている。……これを寂しいと思うあなたはちゃんとお子さんとむきあってきたんだとおもいます。

もうひとり、妻が妊娠中の若い刑事が、自分は家事を、たとえばゴミ捨てを手伝っているのに妻の機嫌が悪いと言うのを聞き、こう言う。

ゴミ捨て…どこからですか?おたくにゴミ箱いくつありますか?ゴミ捨てって家中のゴミを集めるとこから始まるんですよ。分別できてなかったらして、袋を取り替えて、生ゴミも水切って、ついでに排水口の掃除もして、ゴミ袋の在庫があるチェックして、そこまでが、面倒なんですけど、それで感謝しろっていわれても奥さん身体がしんどいじゃないですか。

ああ、よくぞ言ってくれた!と痛快な心待ちになる。名もなき家事をわからん人に届け!と思う。

自白を迫った刑事に対して、ことの終わりに、刑事としての生き様と家庭人としての来し方のネガとポジ、その底の底の心根を浮き彫りしていくさまはまさにあっぱれ。居場所を得ることもあればしっぺ返しを食らうこともあるのだと、ととのう君が語るカタルシス。

人を見つめるフラットさと深さなんだな。これは哲学コミックだ。

徒党を組むおじさんたちのことや、死に際を見せない猫のこと、真実は人の数だけあるが事実はひとつであることなどを語るととのう君のセリフも実に印象的だ。ととのう君がこの世の中の外側の薄皮を剥がして見せてくれる。

続きももちろんおもしろい。その事件解決ののちに出かけたバスのなかでまた巻き込まれる。これはなんだか怖いおはなしになっていく。そう、ミステリーのごとくに。

どの場面でも、整くんの真っ直ぐな言葉に、普通ってなんだろうな、と思わされる。当たり前に見えてるけど、ほんとはそうじゃないんだよ、と何度も何度も諭される。

そして、鮮やかな謎解きの向こうに深い人生の断層が見えてくる、そんな漫画がここにあり、まだまだ続いて行く。次はどうなるの?とワクワクする。そんな漫画があるしあわせ。

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