そんな日の東京アーカイブ 浅草 2006年の花やしき
浅草 花やしきにいった。花粉症だからひきこもりのように毎日家にいると、なんとなく自分が発酵していくような気分になる。
誰からも忘れられてしまったような、それでいて誰かといるのはわずらわしくてならんというような、行きつ戻りつの思いのなかで立ち往生していた。
そしてふっと思いたつ。そうだ「花やしき」へ行こう。
なんで花やしきなのか?
我が敬愛する武田百合子さんの本で「遊覧日記」というのがある。その最初の行き先が花やしきだった。
六角堂前の早咲きのしだれ桜を背に記念撮影をしていたひとたちは、きびきびとした中国語を話していた。「遊覧日記」にはこの通りのごちゃごちゃした家並みの描写もあった。
背広タキシード古着屋、和服花嫁衣装古着屋、古靴古鞄屋、日米仏各国古革ジャンパー屋、新品皮製品屋、質流時計屋、旧帝国陸海軍及びアメリカ軍装古着屋、クリーニング屋、ほこりだらけのねずみ色になっあ模食を陳列している小食堂など、………
こんなふうに逐一並べて書くのが百合子さんらしいと思う。
当時の入場料は100円だった今は900円。百合子さんのエッセイの時代からはずいぶん変わっているし、平日とはいえ、春休みということもあって結構にぎわっていた。
祖父母に連れられた幼子が多かった。子供たちだけで来ても安心かもしれない。もぎりのおにいさんがまことに、にこやかだった。
斜めになってるのはローラーコースターの通り道。実をいうとわたしも乗ったのだ。そういうのはあまり得意ではないのだが、ここのならたいしたことないだろうとタカを括って。
ところがこの乗り物、つくりのせいか、衝撃がモロにくる。そしてえらいスピードで隘路を抜けていく。背景の茶色い民家の中がトンネルのようになっていて、両側に洗濯物が干してあったりして
なんだかぶつかりそうで怖いのだ。ちょっと泣きそうに顔を歪ませていた。
百合子さんのエッセイにこの乗り物に乗る男の描写がある。きっとそんなふうに髪が逆立ち口が開けっ放しだったに違いない。あっという間の一周だ。
スカイシップと言うのにも乗った。悠々と見下ろす。遠く塔が見える。武田花さんの写真にもこういう遠景であの塔が写されてあった。
後楽園とはずいぶんスケールは違うが、聞こえてくる黄色い声の弾み方というものは、そこもここも、あまり変わらないのかもしれない。
なにしろ狭いスペースにみっしり遊具が配置されていて押入れ収納の達人みたいな発想だなあと感心する。
不動の大滝というもの。百合子さんのエッセイにも出てくる。ひしゃげた神棚があると書いてあった。
造園業のひとが作った遊園地という面影もある。
幼い大正天皇がおしのびで来られたと書いてあった。
こういうところでは、普段と違うことをしたくなる。で、手相占いのおばさんの前に立った。なんとなく褒められたりもしたが、最後に心配症だといわれてしまう。それは当たってる。
なんとなく江ノ島にきたような気分にもなる。かつて日本人が愛した娯楽のかたちみたいなものがあるのかもしれない。
取り残されたものが周回遅れでトップに立つ。そんな感じのする場所だった。