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青木玉のカケラ〜手もちの時間〜

本棚の掃除をするときはこころしなければならない。どの棚にもこころひかれる背表紙がならんでいて、ついつい手がのびて、ちょっとだけのつもりが、おもわぬ時をすごしてしまうからだ。

わたしの家事がいっこうにはかどらないのは、実はそういうわけもあるのだと弁解してみたり……。

「手もちの時間」という背表紙にさそわれて、今日もそんなふうに時がすぎた。書いたのは青木玉さん。幸田露伴の孫、文さんの娘さんだ。

ぺらぺらとページをくっているとこんな文章に出会う。

「江戸小紋の図柄は行儀よくわずかな狂いも許さない、ごまかしの利かない律儀な染物だ。……江戸っ子は情にもろく喧嘩早くて、宵越しの銭ももてぬと言われるが、こんなに品のいい美しさを女たちのために作り出したいい男たちの居たいい世の中だったのだ」

そうかあ、っとなんだかうれしくなる。その目的から思いを汲み取る感性に惹かれる。

それにしても、玉さんの文章はいい。白洲正子さんとくらべると、それがよくわかる。すうーと体のなかまで染み込んでくるような気がする。

特に「二日の月」がすきだなあ。

そのなかに「ひかがみ」という言葉がでてくる。これは体の一部をあらわす言葉で、恥ずかしながら、あたしが知ったのはそう遠いことでもない。

「……吹き抜けてゆくたびに、ひかがみに強く風があたってひざが前に持っていかれそうになる。ぐっと踏みこたえて仰いだ空に、まるで鎌の刃を研いたように光る細い月があった」

ああ、いいなあ。

そう、「ひかがみ」というのは、ひざのうらのくぼんだところである。「ひかがみ、ひかがみ」ととなえると、なんだかどきどきしてくる。

これはおとなの思いだけど、ひかがみにくちづけされる、なんてシーンを想像してみてごらんなさいな。身体の部位のなかの目立たない、あまりきにとめない、気づかない、ひかがみって場所に、ですよ。それって、あなたをまるごと愛しています、と言われてるみたいじゃない?ふふふ。

そんなふうにひとつの言葉から巡って行く思いは手持ちの時間を食んでいくんだけど、なすべきことの重なりのあわいにそういう時間をもてることが、見えない贅沢なのかもしれない。そう思わせてくれた一冊。




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