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現代アジアの華人たち vol.1 ◆ 劉子超(作家・翻訳家) 後編

漢字、言語、食、風習――。中国ルーツの文化に生きる〝華人〟は、広くアジアの各地に暮らしています。
80年代、90年代生まれの、社会で活躍する華人や中国研究者の言葉を通して、私たちの前に見えてくるものは何でしょうか。
日本語のメディアでは初登場となる北京出身の作家・翻訳家、劉子超りゅうしちょう(Liú Zǐchāo)さんを取り上げた回の後編です。
インタビューと構成は、北京大学大学院で中国近代文学を専攻した河内滴かわうちしずくさんです。

前編

サムネイル画像は本人提供

1984年、北京市生まれ。作家、翻訳家。最新作の中央アジア旅行記『失落的星(地に落ちた衛星)』(2020年、未邦訳)は、豆瓣2020年ノンフィクション部門第1位・第6回単向街書店文学賞(年間青年作家部門)を受賞。北京大学中文系卒業。


〝幸運〟という名の青年

 タジキスタンの首都ドゥシャンベ。酷暑のせいで遠くに陽炎かげろうがたちのぼる。路上で一休みしていた劉の耳に、明るい青年の声が飛び込んできた。

「哥! 我免费给你当导游?我正在学中文! (お兄さん! 僕が無料でガイドをしてあげようか。今、中国語を勉強しているんだ!)」

 声の主は爽やかな表情の青年だった。名前は「幸運シンユン」(Xìngyùn)。彼が自分で考えて名付けた中国語名だ。彼は中国留学を夢見る大学生で、そのための奨学金の取得を目指しているところだった。
 中国語を話す訓練のために、幸運はときおりタジキスタンに来る中国人を見つけると、こうして積極的にガイドを申し出ているのだった。

普段なら断っていたでしょう。でも、そのときはどうしてか、断る気になれかったんです。だって、「哥!(お兄さん!)」と気さくに声をかけてくれる、中国を学びたがっている、しかも自分で自分に「幸運」と名前をつける青年を、どうして無下にすることができますか。

 この時、劉は第3作目の『失落的卫星(地に落ちた衛星)』(2020年、未邦訳)の取材のために、中央アジア5カ国(キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、カザフスタン)をひとりで旅していた。最初に中央アジアを訪れてから、作品を出すまでの期間は約9年。この間、現地の人とコミュニケーションを取るためにロシア語も学び、各国の歴史もよくよく頭に入れておいた。
 ドゥシャンベで出会った幸運とは、その後1週間ほど行動をともにした。1991年にソ連から独立を果たしたタジキスタンでは、その翌年から約5年間にわたって内戦が続いた。この間、多くの死者が出て、難民と国内避難民の数は合わせて約100万人にのぼるとも言われている。

タジキスタン国立博物館(ドゥシャンベ)

ドゥシャンベの国立博物館
(撮影:劉子超)

 幸運が生まれたのは和平協定が結ばれた1997年。不安定な国情から逃れるように、彼の父親は生まれたばかりの幸運を含む3人の子どもたちを連れて、黒海の東に位置するロシア南西部の都市クラスノダールに移り住んだ。
 父親は警備員をしたり、ドライフルーツを売る小さなお店を開いたり、職を転々としながら、幸運たちを育てあげた。20年間クラスノダールで働き続けたのち、身体が衰えてきたこともあって、再びドゥシャンベに帰郷した。

幸運はとても楽観的で、努力家の青年でした。ただ、行動をともにしている間、彼が何度も「我被困在里了(僕はここに閉じ込められているのさ)」と口にするのが少し気がかりでした。その後も、中央アジアを旅するなかで、そうした思いは幸運ひとりだけが持っているものではなく、多くの若い青年たちが抱いているものなのだと知りました。
たとえばわたしは今、作家という仕事をしていますが、これは中国に作家が活躍する市場があり、需要があるからできることなのです。“自分の夢を叶えるためには、自分の生まれた国を離れなければならない”という状況があることを知った時は、少なからぬ衝撃を覚えました。

 劉が旅してきた中央アジアの国々では、幸運のような青年にはこれまで主にふたつの選択肢があった。ひとつは公用語でもあるロシア語をいかしてロシアへ行くことで、もうひとつは英語を習得しアメリカに渡ることだった。
 しかし、ロシアではホワイトカラーの仕事につけるチャンスはそう多くはなく、アメリカは近年の政府の意向もあってビザの発給が厳格になった。こうした背景のなか、新しい第三の選択肢として中国がにわかに注目を集めているという。

タシュケント 大鍋でつくるピラフ(新疆にも同じような料理あり)

大鍋で手抓飯ピラフをつくる(タシュケント)
(撮影:劉子超)

 『失落的卫星(地に落ちた衛星)』に描かれている劉と幸運の交流は、タジキスタン在住の中国人の間でちょっとした話題になり、現地メディアにも取り上げられた。さらに、幸運の中国留学がかかった面接でも、面接官がこのことに触れたという。
 その後、幸運は最高峰の中国語教育を誇る北京語言大学に1年間の留学を実現。ふたりは劉の故郷で再会を果たすことができた。

アラル海の孤独な山東人

 ウズベキスタンの北西部に広がるキジルクム砂漠に敷かれた孤独な公道を、劉たちの乗った四輪駆動車がひた走る。目的地はおよそ1000km先にあるアラル海。ソ連時代の大規模な灌漑かんがい政策の影響をこうむって、アラル海は現在も年々縮小し続けている。
 途中、イスラーム都市国家の記憶が残るイチャン・カラを有するオアシスの古都ヒヴァと、ウズベキスタン内の自治共和国(カラカルパクスタン共和国)の首都ヌクスに立ち寄った。ヌクスを出て、さらにいくつかの街を抜けると、劉たちの乗った車は、道路も敷かれていない広大な荒野に出た。そこから更に150km、ほとんど景色の変化しない荒野を北上し続けて、ようやくアラル海にたどり着いた。

旅の疲れを感じながら静かな水面のアラル海を眺めていると、近くで湖水のまじった泥を掘り起こしていた数人の労働者たちに、ぎこちない中国語で話しかけられました。彼らは塩分濃度の高いアラル海の土壌に生息するプランクトンを集めていて、それを加工した飼料を中国に輸出しているようでした。その時、労働者のひとりが「自分たちのボスは中国人だ」と、近くにある簡易テントを指差しながら教えてくれました。

 テントから出てきたワン(Wáng)と名乗る中年の男は、簡単なロシア語で労働者たちに指示を与えてから、劉に声をかけた。山東なまりの中国語を話す王は、久しぶりの来客である劉をテントの中へと迎えてくれた。テントの隅には中国から持ってきた食料品が散らばっていて、まな板の上には包丁が置かれたままになっていた。子猫が1匹、鼻をひくつかせながらテントのなかを歩いていた。

アラル海の王さんのテント

アラル海の王さんのテント
(撮影:劉子超)

 山東省の民間企業に勤める王は、遠いアラル海に7年前から駐在していた。一番近くのWi-Fiはここから160km離れた魚の缶詰工場にあった。
 王は簡単な晩ごはんを振る舞いながら、これまでにどのような訪問客がいたのか、驚くほど仔細しさいに劉に話して聞かせた。ふたりは延々とウォッカをみ交わす。劉が頃合いを見て席を立とうとするたびに、王が巧みに話題を変えてもっとここにいるようにと促すのだ。7年間の孤独の重さを、ひしひしと感じずにはいられなかった。

 中央アジア各国を旅するなかで、多くの道路がきれいに整備されていることに劉は気づいた。整備された道では多くの車が法定速度以上で走行する。そのため、劉が乗ったあるバスの運転手は、事故に遭わないよう出発前に祈りをささげていた。
 中国政府が主導する「一帯一路」構想が進められていくなかで、実は中央アジアの国々の交通インフラを整えるために、現地の労働者のほかに、多くの中国人の出稼ぎ労働者たちも現地に来ていた。実際に、中央の都市を離れ地方にまで足を運ぶと、こうした中国人たちに劉自身も何度か出会ったことがある。

国家主導の大きな構想やプロジェクトが打ち出されたとしても、それを実際に前に進めていくのは、例えばアラル海の王さんや、各地で出会った道路整備に携わる中国人労働者など、現場にいる一人ひとりの人間です。
わたしが国外で出合った「中国」は、まだほんの一部に過ぎませんが、実にさまざまな側面が存在していました。そうした「中国」をひと口で語ることは難しく、立体的に捉えなければならないと思います。

文明の交差路を渡り歩いて

 2008年に初めてベトナムを旅して以来、異なる文明の街々を劉は渡り歩いてきた。訪れた博物館や美術館は数知れないが、それよりも胸打たれるのは、日常生活で出会う〝生きた歴史〟だった。

ワハーン回廊の少年

ワハーン回廊の少年(タジキスタン)
(撮影:劉子超)

 例えば、2017年に、劉がカザフスタンを訪れたとき、街角でまるで北京の胡同フートン(伝統的民家の立ち並ぶ古い路地)に住んでいそうな顔立ちのおばあさんを見かけた。もちろん、彼女の話す言葉は中国語ではなくカザフ語(ロシア語とは異なる語族)で、住居や食生活などにはソ連時代の影響が色濃く見てとれた。
 こうした場面に何度も出合うにつれ、劉はひとりの人間が持つ文化にはグラデーションがあることを意識するようになる。

世界には多様な文化やライフスタイルがあり、交易、民族移動、戦争などを経たことで、それらがどこかで繋がりあっていることを実感しました。
また旅では歴史に翻弄されたさまざまな背景を持つ人たちと出会いました。それぞれの悲しみを心に秘めながらも、今いる自分の場所で楽しみを見つけ、時には「幸運」のように夢に向かって努力を重ね、日々暮らしています。そんな人々の姿が心に残っています。
そうしたなかで、人間にとって何が本当の幸福なのかをよく考えるようになりました。少なくとも、経済的豊かさを盲目的に求めることだけが、人生の唯一の目的ではないとわたしは思っています。

アラル海までの道

アラル海までの道
(撮影:劉子超)

 コロナ禍下の2020年に出版された『失落的卫星(地に落ちた衛星)』は、中国最大のレビューサイト「豆瓣ドウバン」の2020年度ノンフィクション部門で第1位に輝いたほか、多くのメディアからも年間優秀作品に選ばれ、読者からもたくさんの反響を呼んだ。
 中国が世界で急激に存在感を増していくなか、外の世界へ関心を持つ人が決して少なくはないことの証左なのかもしれない。

衛星は自ら軌道を定めることはできません。常に近くにある大きな惑星の引力を受けることで、自身の進む道が決定されます。そして、中国はすでに中央アジアをはじめ、この世界におけるひとつの惑星になっていると強く感じます。

 コロナ禍を早期から抑え込めているとはいえ、容易に海外旅行に出ることができなくなったのは中国も同様だ。中東への旅の計画変更を余儀なくされた劉は、2021年4月からチベットのラサに長期滞在を開始した。
 チベットでの経験が、これまでと同様のノンフィクションの旅行文学になるのか、あるいは純粋なフィクションの文学作品として結実するのか、それはまだ劉自身にも分からない。(終)

Vol.2は10月14日公開予定

インタビュー・構成/河内滴(かわうちしずく)
1991年、大阪府生まれ。2020年1月北京大学大学院中文系修士課程(中国近代文学専攻)修了。同年2月より都内の雑誌社に勤務。

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