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阿部真央らいぶ2025 -15th ANNIVERSARY- at 東京ガーデンシアター



あのステージを一言で表すなら、「人生」だった。
青さも痛さも喜びも成長も転機も挫折も前進も決断もいつの日も、あべまから生まれたものと共に生きた。
広く高い天井を何度も見上げては、15年、歩んだ道のりを見つめていた。


スクリーンには過去から現在へ繋ぐように、2009年の阿部真央から今の阿部真央へ紡がれた映像が流れる。
アニバーサリーライブ、始まりの合図。

会場を見渡すように朗らかな顔で登壇し、突き抜ける声で心を掴むは「HOPE」だった。
"もう逃げたりしない"の一節で幕を開けたガーデンシアター。

今のあべまからのメッセージに聴こえてならない。

"向き合う怖さ 認める苦しさ
愛する人を 守り抜く尊さ
その全てを教えてくれたのは僕を見つけてくれた君だった"


ここで、観客を指差す仕草に体が一気に熱くなる。
15年の歩みを込めた彼女の"希望"に心を任せた。

続く「Believe in yourself」で、会場が沸くのを肌で感じる。何度聴いても、歌い出しの"Wow~"で会場のボルテージが一気に上がる様に痺れてしまう。ここに居るみんなが、"悔いなく終わる命でありたい"と願い葛藤し、集まっていると思うとたまらなくなるのだ。
あべまの顔の横に歌詞が見える。はっきり浮かぶ。この歌詞をお守りに生きた今までを思い返すと、太く色濃く刻まれた歌詞がまるでそこに彫られているかのように見えた。我々を引っ張り上げるように堂々と唄う彼女はこの勇ましい歌詞がとても似合う。しかし、曲間で自分を落ち着かせるように大きく息を吐くような仕草に、彼女もまた"そう在ろう"と葛藤してきた側(がわ)であることに気付かされる。この強弱のコントラスト、阿部真央の醍醐味を感じ取れる瞬間だった。

そして、腹の底に響くようにドラムが弾ける。このドラムが走ると阿部真央のライブは一層ひとつになる。
「キンチョーしてまーす!!」「たぶん歌詞も間違えまーーーす!!」と声高らかに選手宣誓するあべま。会場が和んだのも束の間、どよめきが起こった「ふりぃ」。
歌い出し、来いよとでも言わんばかりに手で煽る。そんなあべまに従うように綺麗に揃う手拍子と掛け声。微笑むあべま。とても良い顔をしていた。
阿部真央はここから始まったんだ。

続いて、胸が躍るようなイントロが鳴る。「pharmacy」だ。
ここであべまはメインステージから花道に降り、一人一人に挨拶するように唄う。あべまの曲を聴いていると度々起こる、「私のために歌ってくれている!」という感覚は、彼女のこの寄り添う姿勢が生み出すものだと思う。あくまでもあべまはステージの上に居る人で、ファンは下から見上げることしかできない。しかし、あべまは同じ目線に立つようにそこに居てくれて、"傷ついた時は抱きしめて欲しい"と唄う。あべまが握り返してくれるようにいつでも右手を差し出してきた。そんな気持ちで応援し続けた15年は、宝物のような日々だった。

感動して声が揺れるというあべまに、拍手が鳴り止まない。
おめでとう、ありがとう、最高だよ、大好きだよ、みんなの伝えたいことを拍手に乗せて届けているようで、とても美しいひと時だった。それを噛み締めるように俯くあべま。

そして、歌い出した「君を想った唄」。この流れは反則だよ。
この曲は、アルバム「戦いは終わらない」に収録されている。私の記憶が正しければ、これはファンに向けて書いたと、リリース当時(2012年)何かのインタビューで答えていた。ファンに向けて、と言うからどんなハートフルな曲に仕上がったのだろうと心を踊らせるも、聴き出してすぐに胸を捻り潰されるほど苦しくなったことを覚えている。"君には重荷かもしれない"という一節から始まる、"君"に向けた唄。

"僕が生きているうちに
伝えたいこと見せたい顔 たくさんあって
そのどれも切なすぎて
明るい唄になんて 出来ないよ"


詩を書く者として、そして、阿部真央ファンとして、この歌詞には本当に胸を突き破られた。「ふりぃ」や「Believe in yourself」のように、確かに阿部真央はキラーチューンに載せた応援ソングが似合う。しかし、この側面があるからこそ阿部真央に叩かれた背中に熱を感じるのだと思う。あべまがただ明るいだけの人だったら、きっと私はここに居ない。
あべまが認(したた)め続けた、"自分を認めてやれない"という気持ちに痛く深く共鳴したからこそ、こんなにもあべまを想い慕い続けている。
2012年のらいぶNo.4を彷彿とさせる今回の衣装と髪型。それも相まって、あの頃から今へのグラデーションを見ているようだった。
当時を映し出すように青白く放つ照明。いつかの闇をも背負ってそこに立つあべまは凛として見えた。綺麗な青だった。

そして、静まる会場を一層切なくさせたのは「じゃあ、何故」だった。
会場を見渡すと、前のめりでステージを見つめる多くの姿に青春の匂いがした。それぞれの苦い思い出が、まるでシャボン玉に包まれたように宙に浮かぶ。
"君が好きなのは僕じゃないだけだ"と叫ぶ声が、一瞬にしてそれに針を刺した。弾け飛んだ淡い記憶。あの別れも、あの言葉も、いつもあべまがこうして昇華してくれた。

続いて披露されたのは、まさかの「TA」!
3枚目のアルバム、2011年の曲。同年に開催されたZEPPツアーぶりじゃないか。予想外な上に、歌声の振り幅にも改めて驚かされ、興奮に包まれるステージ。いつものバンドメンバーに加えて、ストリングスも参加した今回のスペシャルライブ。彼らの演奏が良く映える選曲だった。ふわっと覆うような弦の音が心地良い。かと思えば、切ない「僕」の声から一転、"ダーリン"に甘えるような声で唄われるキュートな言葉の数々にドキドキが止まらない。

"たまに大人ぶらせて 貴方を超えられない程度に
たまに不安愛させて 貴方が笑える程度に
たまに格好つけさせて 貴方がやきもち妬かない程度に
たまに母で居させて 貴方も包み込めるように"


ゆっくりと体を揺らしながら、歌詞に沿うような身振りで唄うあべまがピンク色に染まる。恋している時の心の部屋を覗き込んでいるような、また、覗き込まれているような気がして照れてしまうほどに甘い甘い時間だった。

そして、バンドメンバーもストリングスも捌け、暗転したステージに残るは阿部真央ただ一人。
ギターを抱える姿に息を呑む。「morning」だ。周年の度に披露されてきたこの曲こそ大きなステージが似合う。日本武道館、神戸ワールド記念ホール、東京ガーデンシアター、広ければ広いほど映える彼女の孤高さ。咳払いすらも反響する静けさの中、ぽつりぽつりと呟くようなAメロから、情緒を爆発させたようなサビへ、滲み出る強弱は圧巻の一言。
"心の中にしまっとくわがまま"、"心の中で願う「まだ帰らないで」"、情感を苦しそうに歌い上げるも、ザクザクと振り落とすような力強いストロークは、"私だけの人にはなってくれない"不健康な恋を断ち切るような音だった。


そして、ステージには一部メンバーが戻り、「昨年のツアーではやらずに、ガーデンシアター用に取っておいた曲」として「Everyday」が披露された。
「キレイな姿で生きようとする貴方がどうか救われる世界であってほしい」という気持ちを込めた曲だと語ったあべま。
川のせせらぎのようなピアノに、朝日が指す水面を思い浮かべる。彼女の透き通った心を映しているようだった。

"人を守るようにおどけられる人"

こんな詞が書けるキレイな瞳をしたあべまこそ、いつも笑えていますように。
あべまが救われる世界でありますように。

ひだまりのような温かさに包まれた会場に、更に深い愛が重なる。母なる愛。ポーンと響くアコギの一音で思わず顔を覆った。次は、「母である為に」だった。
会場のあちこちから啜り泣く声が聞こえる。母親を想うのか、我が子を想うのか、また、あべまを想うのか、そのどれにも当てはまるであろう涙が会場に溢れていく。

"母より綺麗で気立が良くて強い 誰か を連れて来なさい"

一部歌詞を変えたあべまの粋な計らいに心の中で大きく拍手した。


そして、フルメンバーが戻り、「いつの日も」へと続く。
たった一人取り残された「morning」から、徐々にバックミュージシャンが増えていく。ストリングスも加えたメンバー総出で奏でた「いつの日も」は花束のように見えた。
あべまが築き上げた軌跡が美しくてたまらなかった。
黄色、オレンジ、ゴールド、夕日のような暖色に染まった花束。
重厚感のある音を率いるあべま。
祝いの場に相応しい彩りだった。

多角的な阿部真央の愛をドラマチックに表現したこのパートは15周年の象徴となっていた。
彼女の腕に包まれたような心地良さが忘れられない。

ホクホクとした会場を一気に引き締めたのは、独立の最中に書いたという「I've Got the Power」だった。
熱く燃えたぎったパワーを表すように赤々と光る照明。力強いサウンド。小気味良いパーカッションに思わず体が揺れる。
あべまの声は本当にどこまでも突き抜けるから、その詞に納得せざるを得ない声量。
終わりの狭間で見た景色が、こんなにも能動的な曲になったことがファンとして誇らしくて仕方がない。

「阿部真央のライブではやったことのない試み」と、スマホを片手に話し出すあべま。ライトを点灯させる演出を観客に促す。スクリーン上には、"Somebody Else Now/君は今じゃ違う誰かみたいだ"とあべまの手書きの歌詞が映し出されていた。
「すべての辛いことにバイバイするように手を振って、この曲を一緒に歌おう」と説明する。
揺れる無数の光は、あべまが救ってきた命の結晶のように見えた。

あべまが話している間、後ろにはサーッと風のような音が流れ続けている。サンプリングされた電子音がとても気持ち良い。演出の趣旨の説明、サビでの合唱練習を経て、「後で一緒に唄おう!」と言った直後に、唄に入るあべまの歌唱テクニックが凄すぎる。

"最後の言葉だけはどう考えても
何を言われたのか 把握できないまま
汲みとって 寄り添って
それはもう出来ないほど 心は君から離れた"


原曲では、冒頭のこの部分はドラムのビートが象徴的な入り方をしている。それがライブバージョンだと、サンプリングされた音のみで、リズム隊や主旋律がなく、いわばあべまの歌唱力に全振りしているのだ。
サビが来て初めてバンドサウンドがなだれ込むように重なる。このライブならではの演出がたまらなかった。


シンバルが弾け、「まだまだ盛り上がれますか」と、アッパーな曲を匂わす。「immorality」のイントロに高まる会場。
背を向け、両手を掲げて、手拍子を煽るあべま。
スクリーンにはMVを彷彿とさせるあべまが映し出される。
妖艶に渦巻く私念に取り憑かれ、インモラリティハイになる。
「踊れ東京!!」の声が乱れる合図だ。

ヒートアップした会場はもう完全に阿部真央の手の内にいる。そんな中、披露された「K.I.S.S.I.N.G.」の一体感は格別だった。"あべま歩き"とでも言おうか、彼女が曲中によく見せる、腰を反り、胸を張り、大きな歩幅でリズムを取りながら歩く様で花道へ降りてきた。ころころと変わる表情、一挙手一投足も見逃せない。このパフォーマンス力に釘付けになってしまった。あべまは本当にステージが似合う。

続いて披露されたのは、「どうしますか、あなたなら」だった。
ギターを抱えたあべまに代わるように、パーカッションのぬましょうさんが手拍子を誘う姿が印象的だった。
軽快なメロディに、突き刺さる歌詞。
楽しくて、儚くて、もどかしい。
"どうしたいの?あなたはさ"と背中を押された勢いで、"完璧な自分を諦める勇気"を手にしたようだった。

まだまだギターサウンドが引っ張っていく。

次は「進むために」。
これぞ、阿部真央!というキラーチューンに載せた決断の数々。散りばめられたあべまのエッセンスが光るこの曲は、最大瞬間風速を感じるような勢いがあった。重いドラム、分厚いベース、疾走感あるギター、そして、未来を切り拓くような歌声。
ライブ映えする一曲に、熱気は増すばかり。

そして、ここでお約束のドラムが響く。
「モットー。」に入る前の煽りタイムだ。
このドラムが掻き立てる衝動は計り知れない。
そこへあべまが、"疲れました~"と歌い出せば、涙が止めどなく溢れてくる。もう、何万回聴いても良い。良いものは、いつまでも良い。この曲にどれだけ救われてきたんだろう。弱冠二十歳のあべまが書いたこの曲にどれだけの大人が支えられているだろう。
"三十路でした"の部分を、"35になりました~"と茶目っ気たっぷりに唄うあべまに湧き上がる歓声。
どれだけ時を経ても、この曲はいつまでも色褪せないと確信したひと時だった。

最高潮に盛り上がる中、間髪入れずに「ロンリー」を歌い出す。
これだけの曲数を歌っても一切乱れることのない声。そして、唄いながら「楽しいね」と噛み締めるように漏らす。そんな感無量の顔で唄うから、泣けて泣けて仕方がない。あべまが良い表情を浮かべれば浮かべる程に、涙が溢れてくる。ずっと応援してきて良かったと心から思った。

そして、あべまは花道の上で今の想いを語り出した。

「私の願いはみんなの人生がキラキラと輝くこと、みんなが迷うことなく、なりたい自分になって進むこと」

「みんなが自分の人生を精一杯やって、たまにパワーが必要になったらいつでもライブに来てもらえるように、私は歩みを止めないよう活動を続けていく」

「この場所はいつでも守っておく」

「それが私の目的であり、使命であり、目標であり、人生」

「みんなが笑ってることが私の幸せ。みんなの人生がキラキラと輝くように、願いを込めて」

と熱い眼差しで丁寧に語ってから披露された「それぞれ歩き出そう」。

冒頭の鈴の音は、あべまが魔法をかけてくれた音に聴こえた。

"「あなたを愛してくれる人 寂しさを埋めてくれる人
守ってくれる人はきっと他に居るわ
でも、誰に頼ったら良いのか分からなくなった時は帰っておいで
私はあなたの味方だから」"

"「あなたが笑ってられる 幸せである それが私の幸せだから自分ばかりを責めないで
私は勝手に幸せになるから あなたは前向いて」"


曲中のこの台詞は、お母様からあべまに向けた台詞だと解釈していたけど、あのMCの後に聴いたらあべまから私たちへのメッセージにもぴったりと重なる。ここに居る全員が「あなた」だと言うように、会場をゆっくりと指でなぞる仕草を見せながら唄った。
あべまにかけられた魔法のおかげで、明日からの日々に輝きを見い出せる。

深い愛情と感謝に包まれた会場から、あべまを始めとしたメンバー全員が去り、暗転する。

待ちきれず、すぐに派生した「あべま、おー!」コール。

そんなアンコールの期待値を、バイクの音が捲し立てた。特攻服に身を包んだあべまがスクリーンに映し出されると、会場は一気に湧き上がる。

そして、「アンコールありがとうございまーす!」と特攻服姿でステージに登場したあべま。
ご要望にお答えして、と言っていたけど本当に似合いすぎて笑ってしまう。
雰囲気を出すべく、「夜露死苦!」と言ったり「かかってこんか!」と凄味を見せ、更に笑いを誘う。

この姿のまま唄う「I  wanna see you」と「貴方の恋人になりたいのです」のギャップで最高に盛り上がったアンコール。

特攻服にギターを抱えた堂々たる姿で、
「次の曲の中に何度も頑張れ~とありますが、今日はみんなの応援団長として唄います!」と語ってから、「伝えたいこと」も披露した。

"心晴れるまで泣けばいい"

太く逞しい歌声に興奮が収まらない。
安定力抜群のピッチ。
頼もしい団長のエールに応えるように突き上がる無数の拳。

バンドメンバーも、あべまも、スクリーンに映し出されるファンも、みんな良い顔をしていた。


そして、ここでバンドメンバーが捌け、あべまが一人になる。
いよいよ終わりが近付いていることを察する瞬間。

そんな寂しさを拭うように発表された次のツアー。

またあべまに会える。
だから、頑張れる。
だから、生きていられる。

それを繰り返した15年だった。


豊かなサウンドと共に歌い上げた20数曲の最後に、アコギ1本の「ストーカーの唄」と「母の唄」を披露して、阿部真央の原点に帰る。

脈打つように響くこの上ない愛の唄は、大きなステージで一層輝く。叩くギター、伸びる歌声、ライブでしか聴けない未音源のこの逸品を15年以上守り抜く潔さに、改めて惚れ惚れした。



"もう二度と君を悲しませない"というメッセージから始まり、"この場所はいつでも守っておく"という固い約束で締めた15周年ライブ。

あべまから受け取ったギフトのおかげで、明日からも生きていられる。あべまが守り、歌い続けてくれた場所へいつでも帰れる喜びを胸に歩き出そう。

輝ける方へ。 輝ける方へ!


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